第9話 女の戦い
除草剤入りのボンベを背負い、ホースを構える神崎。柿の実はその神崎に対して、自らの新しい能力を発揮した。
柿の実は宙に浮き、空中を飛行して神崎に迫ったのである。
「何! 進化したのか!?」
「そうだよ。凄いでしょ?」
面食らった神崎であったが、それでも迫りくる柿の実を相手に、一歩も引かずに除草剤を噴霧し続けた。飛行能力を得ようとも、所詮は柿である。除草剤を浴びた柿は、そのまましぼんで墜落してしまった。
「むむむ~こうなったらドライヤーガス攻撃!」
藤野が、いささかふざけた風に指示を飛ばした。すると柿の実たちは空中から例の赤いガスを噴射してきた。
あのガスについて、神崎は詳しく把握しているわけではない。だがマラソン大会での柿襲撃事件の生還者の中に、「柿が赤いガスを吐きだした。ガスに包まれた人の体はあっという間にミイラになってしまった」という証言をするものがいたそうだ。だから、あの赤いガスはきっと水分を奪ってしまうようなものなのだ。そう神崎は推測している。
神崎は除草剤の噴霧をやめると、咄嗟に走り出した。柿は空中を浮きながら、その後を追い始める。
神崎は敷地の北側の建物に入った。柿もその後に続いて中に入っていく。逃げる神崎に、追う柿たち。それはさながら鬼ごっこのであった。違うのは、逃げている側が一人なのに対して、鬼は多数で追いかけ回していることだ。
神崎は給湯室に入ると、扉を閉めて鍵をかけた。そして、ガスコンロのつまみを捻ってガスを噴出させた。
その間、柿の実は数をたのみにドアに向かって体当たりを敢行していた。一個一個は小さくとも、多数集まれば大きな塊となる。その柿の集団がタックルを仕掛けてくれば、ドアの方もそう長くは持たない。
神崎は窓を開け、素早くそこから外に飛び出した。そして、給湯室でゴミ箱から拾ってきた紅茶のティーバッグの空き箱に、ライターで火をつけた。
数に任せてドアに体当たりし続けた柿の実は、とうとうドアを蹴破って給湯室に侵入した。
――この時を、神崎は待っていた。
神崎は燃えた空き箱を部屋に投げ入れると、素早く身を伏せた。空き箱にまとわりつく炎がガスに引火し、部屋の中で爆発が起こった。
轟音と地鳴り、そしてガラスの割れる音が、神崎の耳と体を震わせた。恐る恐る窓から部屋を覗くと、部屋に侵入した柿の実は、一つ残らず爆発に巻き込まれて木っ端みじんとなっていた。
「よし……」
全ては、神崎の狙い通りであった。目下最大の障害であった柿の実の排除に成功した神崎は、そのまま走り出した。
「遅いなぁ……柿ちゃんたち」
敷地内のベンチで足を揺らしながら、藤野は柿の実たちが神崎を始末して戻ってくるのを待っていた。
「ああ、待たせたな、汐里」
しかし、藤野の元へと戻ってきたのは、柿の実の方ではなく、追われていた神崎の方であった。その手には、クロスボウが握られている。
「え……」
「もう観念しろ、汐里」
そう言いつつも、神崎は手に持ったクロスボウを藤野に向けなかった。
「もうやめてくれ。私はキミと戦いたくなんかない。警察に行こう」
「へぇ、この期に及んでそんなこと言うんだ」
藤野は懐から、緑色の薬液が入った注射器を取り出した。そして……
「何をする気だ! やめろ汐里!」
「ハハッ、こうするんだよ!」
注射器を自らの首に刺し、薬液を注入する藤野。薬液を全て血管に取り入れた藤野7の顔には、みるみるうちに変化が現れた。頭は大きく、そしてオレンジ色になっていく。
そうして藤野の頭は、大きな柿のようになった。柿怪人とも言うべき異形へと変身したのである。
神崎は息を呑み、静かにクロスボウを構えた。だが、その前に藤野の方が先に動いた。藤野の柿頭から、あの赤いガスが神崎目掛けて噴射されたのである。
「くっ……こいつもガスを!」
神崎は横に転がってガスを避け、クロスボウを構える。だが逃げた先にも、ガスが噴射された。引き金を引く余裕はなく、またしても横に転がって回避した。
「早くしないと……」
そう、早く決着をつけないと、シンポジウムの参加者が集まってきてしまう。そうなれば彼女は無差別に殺戮を行うであろう。マラソン大会での大虐殺を思えば、自分を見限った室長や同僚たちだけではなく、学会の者たち全てに復讐の矛先を向けるであろうことは容易に想像がつく。
神崎は、膝立ちの姿勢のままクロスボウを構えた。動きを止めた神崎に、藤野は赤いガスを噴射する。
だが、神崎は逃げなかった。ガスに体の水分が奪われていく。それでも彼女はめげずに、クロスボウの引き金を引いた。
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