第5話 マラソン大会? オレが食っちゃる!
その頃、マラソン大会の会場は、丁度スタート時刻を迎えていた。選手たちはスタート地点に集い、今か今かと開始を待っている。
「それでは、ようい……」
スタート地点の横に立つスターターが、スターターピストルの銃口を天に向ける。選手たちの体に、ぴりりと緊張が走った。
「スタート!」
スターターが叫んでピストルの引き金を引こうとしたが、その引き金は引かれなかった。
ピストルを握るスターターの手に、柿が噛みついていたのだ。
「おい、何だあれ」
「か、柿が来たぞぉ!」
物凄い数の柿が牙をむき、街道の左右から一斉に人々を襲った。
「な、何で柿が!」
「逃げろぉ!」
「うわああ!! サイコロステーキにされるぅ!!」
会場は、すぐに大混乱に陥った。蜘蛛の子を散らすように逃げ出す人々。それらに向かって柿は物量をたのみに押し寄せた。柿の牙が人の皮膚を食い破り、肉を食いちぎる。柿が人を襲うさまは、さながら陸のピラニアの如くであった。
さらに、柿の実たちは牙だけではない、新たな武器を披露してみせた。柿がその牙と牙の間から、赤いガスを噴出させたのだ。
「干し柿、いや干し人間にされるぅ!!」
赤いガスに包まれた人間からは、みるみるうちに水分が抜けていき、ほどなくしてミイラのようになってしまった。瞬間的に人体から水分を抜き取ってしまい、人を干し柿ならぬ干し人間に変えてしまうガス、恐るべしである。
まるでパニック映画のような騒乱が、マラソン会場に再現されていた。地獄絵図、という言葉はまさにこの状況のためにあるのだろうと思えるような光景が、辺り一面に広がっていた。
***
「来たぞ! 柿だ!」
「この間はやられたが、今度こそは!」
柿の木の元へ急行する時雨たち三人の前にも、柿の実が転がってきて立ち塞がった。その数はざっと二十ほどである。
三人は目の前の柿の実たちに向かって、ホースから除草剤を噴霧した。化け物とはいっても、所詮は植物である。除草剤の効き目はてきめん、除草剤を浴びせられた柿の実は、あっという間に枯死したようにしぼんで溶けてしまった。
「よっしゃ! 楽勝! ざまぁみろってんだ!」
この前は襲いくる柿の実を振り払うのに精いっぱいだった時雨にとって、除草剤を散布するだけで柿の実が溶けていくのは痛快そのものであった。
そうして、三人は例の柿の木のある空き家の敷地内に踏み込んだ。
目の前の柿の木からは、まだ青く小さい柿の実がなっていた。その実も、徐々にではあるが大きくなり、色も変わってきている。
「アハハ、よく来てくれた」
女の甲高い声だった。驚いて目をきょろきょろさせた時雨とメイスンであったが、唯一、神崎だけは落ち着き払っていた。まるで予想通りとでもいうかのように……
「シオリ、やっぱりキミか」
「ハハッ久しぶりだね、カナ」
現れたのは、眼鏡をかけた、白衣姿の小柄な女であった。神崎とは対照的に穏やかな顔つきをしているが、その目は焦点が合っておらず、不気味な薄ら笑いを浮かべている。
「神崎サン、お知り合いですか?」
「
神崎は目線を下に落としながら、メイスンの問いに答えた。
「俺たちはその木をどうにかしなきゃならん。そこをどいてくれ」
「それは無理な相談ね刑事さん。さあおいで、ブルースちゃん」
女がそう言うと、家と塀の間から、四つん這いで歩く大きな獣が姿を現した。見たところそれはクマのようであったが、しかし日本の本州で見られるツキノワグマと違い、体毛は熟した柿のようなオレンジ色をしている。
そのクマが立ち上がり、腕を広げながら大口を開けて威嚇してきた。首元の毛だけ白いのは、元のツキノワグマの名残であろう。
「あれはツキノワグマ……いやカキノワグマです!」
「ク、クマだと!? 除草剤じゃ役に立たねぇ!」
時雨の反応は早かった。すかさず銃を抜き、その引き金を引いた。乾いた音が響き渡り、銃口が煙を吐く。放たれた銃弾は二発、クマの眉間と胸をそれぞれ穿った。
素人では、銃を持っていてもクマを仕留めることはできないという。だが時雨の拳銃の腕は高い。この中年刑事は、急所である眉間と胸に正確に銃弾を叩き込んだのである。
「やったか!?」
クマは、どさりと力なく倒れ伏した。あまりにも呆気ない、カキノワグマの最期であった。
「フフ、無駄だよ」
藤野は変わらず薄ら笑いを浮かべている。伏せったクマは、そのままむくりと起き上がると、時雨の方に向かって襲い掛かってきたのだ。
「ブルースちゃんはあの柿を食べさせてあげたクマなの。お陰で不死身のクマになれたし、すっかりアタシに従順になったよ。さぁ、やっちゃえブルースちゃん!」
「危ない!」
襲いくるクマ。咄嗟に、メイスンは時雨の体を突き飛ばした。そのメイスンに、クマの腕が迫る。時雨を狙ったクマのひっかき攻撃は、メイスンの左肩をざっくりと切り裂いた。燕尾服の肩口が裂け、そこから鮮血が溢れ出した。
だが、それで手を緩めるクマではない。クマは再び、その腕を振り上げた。
「くらえ! 唐辛子スプレー!」
助けに入ったのは神崎であった。懐から取り出した、唐辛子の成分が入ったスプレーをクマの顔面目掛けて噴霧したのだ。流石のクマも、目や鼻の粘膜をやられて大いに怯んだ。
「さぁ、早く逃げるよ!」
「せっかくここまで来ておいてかよ……」
「いいから早く」
「神崎サンの言う通りにしましょう。時雨サン」
時雨は渋々といった風に、無言で神崎とメイスンの後ろについていった。肩を庇いながら歩くメイスンの姿は、何とも痛々しい。
「させないよ、柿ちゃんたち行って! ドライヤーガス攻撃!」
汐里の指示で、柿の実が十個ほど、三人の退路を塞ぐよう左右に広がって立ち塞がった。そして、それらは牙と牙の間から赤いガスを吐き出した。
「やばいぞ! ガスを避けろ!」
神崎はそう叫びながら、除草剤を噴霧した。ガスを吐いていた実たちは、すぐさま沈黙させられた。
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