第4話 メイスンの先輩、神崎香奈

「私はエーガ財団植物研究所の神崎香奈かなというものだ。よろしく頼む」


 現れたのは、やけに背の高い、ボブカットの女であった。美人ながらその目つきは険しく、カーキ色のミリタリージャケットとオリーブグリーンのカーゴパンツという装いからも、何処かの民兵組織の女性兵士なのではないかと思わせる。


「ああ、彼女が柿の鑑定をしてくださる植物学者です」

「なるほど……」


 エーガ財団。それは海底油田開発で財をなしたサメ・エーガ氏が、動物学や植物学、細菌学の研究促進のために設立した財団である。現在はサメ・エーガ氏の没後に財団を引き継いだ妻のビー・Q・エーガ氏と息子のゼット・Q・エーガ氏の共同運営体制となっている。


「彼女はハイスクール時代の知り合いでしてね、対サメ戦闘競技の先輩なんですよ」

「久々に見込みある奴がうちに来たな……と思ったら、本当に凄い奴だった。私に教えられることなんか何もなかったさ」

「いやいや、神崎サンには色々と教わりましたよ」

「対サメ戦闘競技が何か分からないが……お二方は高校の先輩後輩みたいなもんか」


 時雨はメイスンという男の過去を殆ど知らない。ただ、異様に戦闘能力が高かったり、生き物のことに詳しかったりする辺り、結構な英才教育を受けてきたのではないかと察せられる。


「さて、久闊きゅうかつを叙するのもこの辺にしておきましょうか」


 メイスンは柿の入ったケースを神崎に手渡した。ケースの中の柿は、牙をむき出しにしながらも沈黙を守り通している。


「ご苦労さん。可愛い後輩が危険を冒して持ってきてくれたんだ。ちゃんと報いてみせるさ」

「ええ、頼みますよ」


 時雨とメイスンは、ケースを持って去っていく神崎の背を見送った。


***


 それから翌朝のことである。丁度、メイスンが特殊生物対策課に出勤した頃であった。

 

「とんでもないことが分かったぞメイスン」


 メイスンが電話に出ると、電話の向こう側の女――神崎は開口一番に言い放った。その切迫した声色から、彼女が重要な発見を得たということが分かる。


「あの柿、一度死んでから蘇っている。ゾンビみたいなもんだ」

「え、そんなこと分かるんですか?」

「そのくらいできるさ」


 流石のメイスンも、それは予想外だとでも言わんばかりに声をうわずらせた。


「アタック・オブ・ザ・キラー・柿……いや、デッド柿と言うべきでしょうか……」

「柿の木を見たって言ったよな? あれは危険だぞ。切り倒すんじゃ駄目だ。完全に燃やし尽くさないと。私も現場に向かう」

「分かりました」


 メイスンが通話を終えると、視界に人影が見えた。時雨だ。時雨は朝いちばんで大会の運営本部にマラソン大会の中止要請に赴いていたのだ。


「くそっ……やっぱりマラソン大会中止は無理だった」

「ああ……やはりそうでしたか。パニック映画ならこれは既定路線……予想通りです」

「ああ、これが映画ならよかったよ。でも現実なんだよなこれ」


 殺人キラー柿が人を襲うなんて、まるでB級映画のネタではないか。だが悲しきかな、これは現実の出来事なのであり、目下対処の必要性のある事項なのである。例の柿がマラソン大会を襲撃すれば、被害はこの間の三人程度では済まない。とはいえ、大会当日に急に中止させるのはどだい無理な話であった。


「取り敢えず、あの柿の木をどうにかしに行きましょう。神崎博士も現場に来てくれるそうです」

「なるほど。分かった」


 こうなれば、物理的にあの柿を除去する他はない……二人は足早にオフィスを出た。


***


 現場近くの街道は、マラソン大会のコースになっているからか通行止めになっており、車で横断することはできなかった。沿道には人がひしめき合い、スタート地点には選手やその他大会関係者らが集まっている。


「まずいぞこりゃあ……警察も警備しちゃあいるが……本当なら自衛隊が出るべき事案じゃないのか」

「ええ、ですから、ワタシたちは木の方を始末に行きましょう」

「どうする。車で行くとかなり大回りになるぞ」

「……この辺で降りましょう」


 車を停めると、時雨とメイスンはすぐさま走り出した。今二人がしなければならないことは、神崎の言う通り可及的速やかに柿の木を除去することである。

 晴天の下、マラソン大会が今にも始まろうという時に、二人はわき目もふらず走っていた。


「はぁ……流石に俺も年取ったな……」


 目的地まであと半分という所で、時雨は完全に息が上がってしまった。若い頃は体力自慢であったものだが、もう時雨も四十を超えている。年齢には勝てないということか、と、時雨は己の肉体の加齢を呪った。


 そうして、とうとう二人はあの柿の木のある家から二十メートルほど離れた公園へとたどり着いた。疲労困憊といった風の時雨に対して、メイスンはそれほど辛そうな顔をしていない所に、両者の体力差が如実に表れているといえる。

 

「さて、神崎サンを待ちましょう」

「いや、待つ必要はないが?」


 声とともに、公園の木の上から突然人が飛び降りてきた。カーキ色のジャケットをひらめかせながら着地したその人は、あの神崎であった。


「うわ! 忍者みたいな登場の仕方だな……」

「ええ、彼女はハイスクール時代ニンジャと呼ばれていましたから」


 驚く時雨と何処か誇らしげに語るメイスンをよそに、神崎は首から提げている双眼鏡を持ち上げた。


「あー……なるほど、そうやって兵隊を増やしてるんだな」


 神崎は、双眼鏡を使って遠巻きから柿の木を眺めた。柿の木は実らせた果実を枝から切り離し、地面を転がして外へと送り込んでいる。切り離した跡からはまた、再び果実を実らせていた。それを神崎は確認したのである。


「実が増えてるのか!? 早く止めなきゃまずいだろ」

「ええ、その通り、非常にまずいですね……さて……」


 メイスンはリュックサックを下ろすと、その中からホースを繋げた小型のボンベのようなものを三本、取り出した。


「これを一人一本背負ってください。ホースについたこのボタンを押すと、除草剤が噴霧されます」

「なるほど……これなら効くかもしれん」

「よぅし、今度は負けねぇぞ」


 メイスンが言われるがまま、三人はボンベを背負い、ホースを構えながら目的地――例の空き家の柿の木を目指した。

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