第5話 やわらかな白い牢獄
「君のような女は私には必要ない。将来私の隣を歩くのに相応しくない。婚約は破棄させてもらうよ」
これはいつも隣を歩いてきた私の愛しい婚約者の。
「お前は我が家門に泥を塗ったのだ。そこから出てくることは許さない」
これは厳しいけれど優しくもあった父の。
「お姉さま、本当はみんなから優しくされているお姉さまが妬ましかった。もう一生顔も見たくないわ」
これは可愛くて可愛くてしょうがなかった二歳下の妹の。
「お前は愚かな妹だ。私に好かれているとでも思っていたのか? 反吐が出るな」
これはひたすら甘やかしてくれた三歳上のお兄様の。
今まで優しかった人達が代わる代わるやってきてはドアの前に立ち、怒りで声を震わせ、時々言葉を詰まらせながら私への憎しみを口にするのです。
そしてその言葉が鋭利な刃物になって私の心を抉り続けているのです。
真っ白な部屋の中に閉じ込められた私は、心無い言葉を投げつけられて、それでも愛しい人たちを信じたくて信じられなくて、ずっと考えています。
ですが、私には分からないのです。
一体どうしてこうなってしまったのでしょうか。
小さな頃から良家の令嬢としてそれなりに役割をつとめてきたはずなのに。みんなにたくさん与えてもらった愛を返していたつもりなのに。
ある日突然何も知らされずに屋敷の地下深くにある地下室に幽閉されてしまいました。
「わがままなお嬢様のお世話に疲れ果てました。ここを辞めた方がマシです」
これは母のいない私を幼い頃から世話してくれた優しい侍女の。
痛い。痛い。痛い。
あの日から心がずっと泣いているのです。涙が枯れ果てても、声が出なくなっても。心が泣くことを止めないのです。
みんなの突然の心変わりにどうしてと叫んでも憎しみは湧いてきませんでした。
それまでの日々が幸せすぎたから。
婚約者に望まれ愛され、みんなに祝福されて幸せな未来が待っていると疑わなかった私。
もしかして私は贖罪すら許されないほど取り返しのつかない過ちを犯してしまったのでしょうか?
ただ平穏な日々を生きてきただけなのに、それでもこんなに憎まずにはいられないほどみんなを傷つけていたのでしょうか?
それとも神様はただ幸せを享受していただけの私に罰を与えることにされたのでしょうか?
部屋には一日に二度簡素な食事が部屋に設置された魔法陣から送られてきます。ですが送られてくるのは温かい食事ではなく、冷たい缶詰ばかり。
私はこの絶望の理由を知りたくて。
そうしないと死にたくても死にきれなくて。
冷たい缶詰を食べ、泣き疲れては眠るだけの日々をしばらく過ごしていました。
しかし、ある日私はしばらく食事の差し入れがされていないことに気づきます。
とうとう食事を運ぶことすら…いや、もう存在すら疎まれているのかと消えてしまいたくなりました。空腹よりも悲しみが支配する中、身体も段々と動かなくなっていきますが、不思議と恐怖は感じませんでした。
誰にも望まれない生なんて手放してしまっても惜しくないとさえ思っていました。
カチャン。
薄れゆく意識の中、何かが開くような金属音が響きました。
「おい、まだ生きてるぞ」
そんな声が聞こえた気がして──私の意識はそのまま白い闇に飲まれました。
──────────
「意識戻りました! 脈拍正常です!」
「血液チェックも終わりました! 感染もしてないようです」
ある小さな王国を襲った悲劇。
それは感染すると生きながらゾンビ化してしまう原因不明の恐ろしい奇病。いつの間にか感染してるというその病気に対して何をもってしてもその感染の拡大を防ぐことは出来ず、たった数週間ほどでその小さな王国は滅んでしまった。
一国が滅んでしまったというとんでもない事態と感染が飛び火するかもしれないという恐慌から、隣接していた国々は共同戦線をはり、ゾンビ化した国民とその国土全体を焼き払うことにした。
そして全てが焦土と化したその国で、偶然発見された少女が一人いた。それは王国のたった一人の生き残りとなった。
どうやらその少女は感染前に地下深い部屋に隔離されていたらしい。不思議なのは国民ほぼ全てのゾンビ化が確認されてから、実際に地下室から救出されるまでには何日もかかったはずなのに、それでも彼女が生き延びていたことだった。
何もないはずの部屋に閉じ込められていた彼女は何故生き延びることができたのだろうか?
──────────
長い長い夢から醒めて、あの日私が知った真実は。
地下深くの部屋に幽閉したのは、感染を防ぐためだったのだろうということでした。そして、感染の可能性を極小に抑えるために部屋を訪れることなく食糧を魔法陣にて転送していたのだろうと。
何故彼らが閉じ込めた私に暴言を吐き続けたのか──それは彼らがいない今、私の妄想でしかないのですが、多分私に憎んで欲しかったのだろうと思います。
憎しみというのは、一時の優しさよりも生きる糧になると聞いたことがあります。
誰もいないあの部屋でただ一人生き延びることこそ辛く悲しいことだと思うのです。自分一人が残されると知っていたなら私は部屋で自害していたかもしれません。
それに、大切な人たちが感染したことを知ったら私はきっと、何としてでも部屋の外に出たことでしょう。あの頃の私には大切な人たちがいない世界で自分一人が生き残ることに意味が見いだせなかったからです。
そういえばみんな私を詰る時に言葉を詰まらせていましたが、今考えるとあれは泣いていたのかもしれません。
いつも隣を歩いてきた私の愛しい大好きな婚約者。
厳しいけれど優しくもあった大好きな父。
可愛くて可愛くてしょうがなかった大好きな妹。
ひたすら甘やかしてくれた大好きな兄。
母のいない私を幼い頃から世話をしてくれた優しい大好きな侍女。
私の大好きな優しい人たちはきっと、私を傷つけながら自分たちはそれ以上に傷ついていたに違いありません。
生きながら死んでいくその恐怖はいかほどのものでしょう。自分が自分でなくなっていく苦しみは…想像を絶するものでしょう。どんなにか逃げたかったことでしょう。どんなに恐ろしかったことか。
いっそ自らの命を経ってしまった方が楽だったに違いありません。でも、彼らはできなかったのです。
──私がいたから。
そんな恐怖と戦っている間も、ほぼ意識の保てない状態になってもなお、彼らは私の生存を確認し続け、私に食料を送り続けていたのです。自らの身体が焼かれて灰になるまでずっと…。
「愛してる」
愛しい私の婚約者。
「愛してる」
大好きな私のお父様。
「愛してる」
可愛い私の妹。
「愛してる」
優しい私の兄。
「愛してる」
母代わりの私の侍女。
屋敷も何もかもが灰になってしまった今、彼らの形見は何は一つ残っていません。滅びてしまった王国からは砂粒一つですら持ち出すことは禁じられています。
でも私は、彼らが自らを傷つけながらつけたあの時の心の傷が痛む度に彼らのことを鮮明に思い出せるのです。
たくさんの愛を貰ってたあの頃のことを…。
この胸の痛みさえ愛しい。
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