#9 嘘を見つめるということ
「事実をなかったことにする」魔法を手に入れたことで、カラカラと笑いながら泣き崩れているラン。
アイルはその様子を見つめて、
ふと、胸の内に意識を向けた。
アイルは、ランの表情の意味を知っていた。
——魔法国家アルテミアでは、人々は幼い頃から魔法の練習を始める。
魔法は個人の幼い頃の原体験とか、あるいは大きな衝撃とか、その人間を決定づける本質的なアイデンティティによって発現する。
アイルの場合、幼い頃の彼女の特性は「ちょっとした嘘をつく」ことであった。
なぜ「ちょっとした嘘をつく」ことが特性なのかは、はっきりとはしていなかった。
だが確実なのは、幼いアイルは「ちょっとした嘘をつく」ことがある大きな問題に対する解決策として、どうやらそれを身につけざるを得なかったらしい、ということだった。
やがて、幼い彼女が習得した魔法は「転送魔法」であった。
つまり、物体をある地点Aから別の地点Bに送ることができる。
そういう、魔法だった。
転送魔法は「ちょっとした嘘をつく」ことには便利な魔法であった。
忘れ物をしたとき、忘れ物を「転送」して、忘れていなかったふりをしたり。
家で待っていると言いながら、「自己転送」で、友達のところへ遊びにいったり。
そういうことをしていた。
彼女はそれを「召喚魔法」と周囲には言っていた。召喚魔法は、「触媒」があれば誰でも使えるような、アルテミアではポピュラーな魔法だ。
実際には、彼女の魔法には「触媒」は必要なかった。
単に、別の場所にあったものを「転送」しただけにすぎなかった。
幼いアイルにとっては、他の人が使っている「召喚魔法」とは違う魔法を使うのが嫌だったから、そういう嘘をついていた。
アイルはずっとそれを人に打ち明けたかった。
——自分は嘘をつく人間だ、と。
アイルはアルテミアという国を愛していた。
美しい国だった。
高い城壁の上から外を見ると草原が広がっている。
遠くを見ると、いちばん先の地平線で、青い海と水色の空が交わっている。
城壁の上から、きっといろんな国とか海を旅しているような、ずっと遠くに見える小さい鳥の影を見るのが好きだった。
そして、アルテミアは平和だった。
アルテミアの人々は争いをしなかった。
そんな国が誇らしいと、アイルは思っていた。
そして、15歳のとき、アイルはアルテミアの兵士に志願した。
両親も、友人も、なぜ彼女が兵士を志そうとしたのかまったくわからなかった。
アルテミアは美しい国だ。
そして人々は争いをしない。
平和の中で暮らしている。
そのさまは高潔であった。
——しかし、同時に矛盾している。
人間は心のどこかで——表面の意識的なところかもしれないし、もっと奥の、深層心理かもしれないが——嘘をついている。
そういうものだと、アイルは思っていた。
他ならぬ彼女が「嘘をついてきた人間」であったからこそ、そのことがわかった。
アルテミアの人々が争いをしないのは、それを美徳としていたからだ。
しかしその裏で、まったく反対の感情の流れが確かに存在していた。
結局のところ、アルテミアの人々の信じていた美徳とは、アルテミアが「対立のない平和」だという、
結局、アイルはアルテミアを守るための兵士となった。
アイルは、魔法の鍛錬を怠ることは決してなかった。
「嘘」の魔法でも、それがこのアルテミアの人々を守るものだ。
そういうものだと、信じるようになった。
——しかし、嘘は人を孤独にするのかもしれない。
たゆまぬ鍛錬の結果として強大な魔法を手に入れるにつれて、彼女はより孤独になっていった。
魔力がまだ強くなかったときは、8人くらいの部隊にいた。
魔力が強くなるにつれ、部隊の人数が減らされた。戦力の均等配分のためだ。
5人、3人、2人。
そして、最終的に1人だけの部隊になった。
しかし、アイルの心は強かった。
彼女はそれを受け入れることができた。
アルテミアを守るために。
ある日、アイルは1人で城壁の外で警備を続けていた。
孤独を紛らわすために、ちょっとくらいなら良いかと思って、少し離れた草原を歩いて、海を見渡してみる。
やはり、綺麗な海だ。
鳥が近くで飛ぶのも見えた。
向こうの海からアルテミアの
上空を飛んでいった1匹の鳥が、ちらっとこちらを見た気がした。
鳥と目を合わせるのはなんだか奇妙だなと思いつつも、ちょっぴりだけ孤独が紛れたなと、そう思った。
羽がひらりと落ちてきた。
孤独な自分へのささいな贈り物かなと、思ってみたりした。
転送魔法で、自分の部屋の机に送った。
そして、城壁へと戻った。
何やら、街が騒がしい。
——そのときの大統領が、亡くなった。
持病で倒れたとのことだった。新聞にもそのように書いてあった。
——嘘をついている。
真実が捻じ曲げられている。
そのことがわかってしまった。
大統領は殺されたのだ。何者かによって。
そのことは、アイル以外にも、みな薄々気づいていた。
しかし、それを誰も認めようとしなかった。
強大な嘘に、向き合うことをやめていた。
——ただひとり、アイルを除いては。
人々は、捻じ曲げられたその真実を、恐れた。
その後の大統領選挙に名乗りを上げるものは、誰もいなかった。
政治の話をする者も、いなくなってしまった。
兵士も、次々とやめていった。
そしてある日、兵士は、彼女ひとりとなった。
そのとき、アイルは心の底から、アルテミアの世の中が憎らしいと思った。
今まで生きてきて、はじめての感情だった。
アルテミアを守る兵士であるはずなのに、アルテミアが憎い。
矛盾していた。
しかし、アイルの心は強かった。
矛盾する気持ちを、受け入れることができた。
その憎しみをさえ受け止められる自分の強さは、結局、こんなアルテミアの弱さを守るためにあるのかもしれないなと、そう思った。
アイルは決心した。
アイルは翌日、亡くなった大統領の邸宅に人間の魔力の存在を感じないことを確認すると、こっそり自分を転送して忍び込んだ。
真実が、そこにあると思った。
誰が大統領を殺したのか、はっきりさせたかった。
——執務室。
そこには、鳥の死体があった。
それはうっすらと魔力を帯びているだけだった。
しかし、何か凶悪な、人間がもっとも憎むべきものであると、アイルはそう感じた。
カーペットに散乱した羽根を見た。
アイルは、この羽根を知っていた。
城壁を離れて景色を眺めていたとき、海からアルテミアの草原に向かっていた、あの鳥の羽根だ。
あのときは鳥の美しさに見とれていて、悪意の魔法に気づかなかった。
違和感を覚えるべきだった。
ただの鳥が、アルテミアを覆う魔法結界を貫通してくるはずがないのだから。
そして、羽根が帯びている、かすかな魔力の波長も、一緒だった。
他の国の何者かが、この鳥を何らかの方法でコントロールして、毒物をここに運ばせた。
そういう結論に至った。
アイルは、後悔した。
あのとき、鳥を魔法で撃ち落としていれば——そう思った。
しかし、そんなものは、もはや意味のない仮定に過ぎなかった。
——なんの因果であろうか。
今まで「嘘」をついて生きてきたアイルが、結局、「真実」にもっとも立ち向かおうとしていた。
大統領を暗殺した他の国から、アルテミアを守らねばならない。
そして、アイルは大統領選挙に立候補した。
他に立候補するものは、誰もいなかった。
アイルはそのまま大統領になった。
アイルは強く、そして優しい兵士であると、みんな思っていた。
アルテミアの人々は安心した。アイルにたくさんの花束と手紙が贈られた。
他の政治家と兵士は、どこへいったのだろうか。
彼女は孤独だった。
ふと、国民から送られてきた、部屋にあふれんばかりの花束を眺めた。
この花束の意味は「嘘」だろうか。「真実」だろうか。
——わからない。
しかし、人々がアイルに花束を贈ろうとした気持ち、それ自体は紛れもない「真実」であると、アイルは、そう信じることにした。
アルテミアの人々を守りたい。
花束の中から一本の赤い薔薇を手にとって、そう決意した。
——異国の地、東京。
見知らぬ建造物の前で、少女が泣き崩れている。
虚しい笑い声も、もう、なかった。
ランに向かって、アイルは歩きだした。
ひざをついて、ランを抱きしめた。アイルの頬も、濡れていた。
「百合ヶ丘ラン、あなたは嘘つき——私と同じだ」
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