#7 現れては消える真実

 原子炉建屋に向かうランは、ある時点で後ろに倒れた。

 というより、何か電流のような強い衝撃を受けて跳ね飛ばされたようだった。

 科学者の本能として、ノートパソコンを抱えるように守った。


 アイルは思わず自己転送ワープして、倒れそうになるランの体を拾い上げた。

 ランの体がかなりの熱を帯びているのを感じた。


「大丈夫か?」

「ああ、ありがとう」

 アイルの腕の中で、ランの声は少し震えていた。


 続いてシュウが駆け寄ってくる。

 ランは「降ろしてくれ」と、アイルにささやいて、彼女の腕から降りた。


「先生、大丈夫ですか?」

「ああ……シュウ、手元の放射線測定器を少し、ほんの少しだけ……前に出してみるんだ」

「はい、わかりました……」


 おそるおそる、放射線測定器を持った手を前の方に出す。

 数値が上昇していく。


 3.12マイクロシーベルト、3.17マイクロシーベルト。


 そしてある時点で、なにか見えない壁に軽くぶつかったような感触がした。そのとき、数値が急激に上がった。


 21マイクロシーベルト、35マイクロシーベルト。


 思わず手を引っ込めた。数値が元に戻っていく。


 白い息を吐きながら、ランは推測した。

「どうやら事態はもっと深刻だったらしい……なんらかの『壁』が存在するとしか考えられない」


 アイルはそこにある「壁」が何であるか、理解できた。

「魔力結界が張られている」

「そう解釈するのが妥当だろう……」

「しかし、この魔力はなかなか強いが、気づかなかった……その存在すらも隠していたのだろうか?」

「アイルが気づかなかったのなら、そうかもしれない……」

「ああ、だが……魔術師の気配は感じない。どうやらある時点からここに永続的に存在している、そんな予感がする。まさか、ここが魔力源だったのか?」

「なるほど、魔力源か……」


 ランは思考を巡らせた。


 実は彼女は昔、もし魔力源とか、それに類似する存在があったとき、それが世界にどういう作用を及ぼすか、科学的な観点で考えたことがあった。一種の思考実験であった。

 しかしそのようなものに対して研究をすることは、あまりにバカバカしいと思っていたから、すぐに飽きてしまったのだった。


 だが、それがいま、目の前の現実として存在するかもしれない——。


 少しの沈黙のあと、彼女は結論を口にした。

「魔力源自体はおそらく、目の前のこれではないが……80%くらいの確率でこの近辺か、少なくともこの都市——東京のどこかに存在する」


 アイルは同意した。

「私もそうだと思う。ひとつ付け加えるならば、少なくともこの周囲20ディスティ1200メートル以内には存在しない——なんらかの方法でここに送られてきているらしい」


「先生、アイルさん、1ついいですか?」

 ランとアイルはシュウの方を振り向いた。


「結界に日本語が書いてあります——いや、厳密には、日本語の文字としては直接認識できないのですが……なんらかの伝達手段プロトコルが存在するみたいで、これは日本語によるものだと、僕はそう感じます」


 シュウはさっきアイルから魔力を受け取って「発現」した「言語に関する」能力の一端で、何かそこに存在した意図とか、痕跡を感じ取ることができるようだった。少なくとも、彼はそう感じた。


 アイルは真っ直ぐな目をしていた。

「シュウ、君の言うことを信じよう」


 一方のランは眉をひそめていた。

「シュウ、君の言うことは正しいだろう……いや、正しくなくとも君は嘘を気軽につけるような人間ではない……しかし、なにか気に入らない」


 ランは目の前に存在する大きな謎が、結局のところ科学的な手続きによらず、シュウの「魔法」という、一種の神託機構オラクルにより解決されることが気に食わなかったのだった。


 ランはシュウに質問をぶつけた。


「2つ質問しよう。まず1つ目。君は科学と魔法、どっちが優れていると思うかい?」

「そう言われると……いや、僕が感じているのは、2つは『剣と盾』のような相補的な関係——そして科学は『剣』、魔法は『盾』だと、そんな気がします」


 ランは少し沈黙した。やがて、納得した素振りを見せた。


「そうか、答えとしては85点というところかな。十分だ」

「ありがとうございます」


「そして、2つ目の質問だが——君は私とアイル、恋人にするとしたらどちらだろうね?」

 シュウは戸惑い、思わず赤面した。

 アイルも、自分の名前を呼ばれて振り向いた。

 ランは、どういうわけか、ときどきこのようなからかい方をするのだが、シュウはそれが苦手だった。

「ええっと、いま言う話ではないですよ!」

「なるほどねえ、こっちは今日も0点だ」

「ふふっ、仲がいいのだな」

 アイルはランの方を見て笑みを浮かべていた。ちょっとしたわだかまりが溶けたような気分になっていた。


 しかし、どこかランの声は冗談をいった割には、決して笑っていないようにも聞こえた。


「まあ、シュウ、君がこれから言うことは信じるよ」

「わかりましたよ」



 ——ところで、天空国家アルテミアがこの世界に現れたとき、なぜ空が一気に晴れたのだろうか?


 ランとシュウは、それは城の登場に伴うなんらかのエフェクト作用であると思っていた。

 アイルは、そもそもアルテミアを転送するとき、この世界のそこが雨であることを知らなかった。


 何かがおかしかった。


 いずれにせよ、確かなのは原子炉に向かっているこのとき、急激に空が曇り始めていたことだが、三人はそれに気がついていなかった。



 シュウは深呼吸をした。

 さっき使うことができた「言語に関する魔法」の感触をイメージしながら、結界に向かって呪文を口にした。


真実に立ち向かう扉ドア・トゥー・ザ・トゥルース!」


 結界から何かが剥がれてくる。よく見るとそれは文字だった。

 バラバラになった文字は空中に集合し、そして秩序を持ちはじめて自分がおさまるべき位置にパズルのピースのようにはめられていくようだった。

 そして、1つの文章が現れた。そこにはこう書かれていた。



 ——君がこの文章を読んでいるとき、そこには2つの可能性がある。

 ——ひとつは君が「この結界」にふれる以前から魔術師だった可能性、もうひとつは「この結界」に触ったことで魔術師になった可能性だ。

 ——元々魔術師だった者前者なら君は幸運だった。この結界に能力を与えられたものは、同時に「守るべきものを守る運命」を背負わねばならないのだから。

 ——いま魔術師になった者後者なら君は本質的に孤独になる。しかし君がいま手にした魔術はすべてを凌駕りょうがするだろう。「守るべきものを守る運命」を果たすために。



 ランの体は熱を帯び、ガタガタと震えていた。

 実はさっき、魔力結界に触れたとき、自分が何か恐ろしい能力を持ったことが直感的にわかった。というよりも、その能力の強大さゆえに、思い知らされたという方が正しいかもしれない。

 しかし、結界からにじみ出るその文章現実を読むまで、そのことを認めたくはなかった。


 ——沈黙が流れた。


 やがて、ランの震えは止まった。


 彼女は決意した。


 彼女には「守るべきもの」があった。


 ——厳密には、その「守るべきもの」は実はまだこの世界には存在しない——それはこの先の物語で彼女が「創造」することになる。


 放射線を遮断している目の前の結界に向かって、ランは歩き始めた。


 雨が降り始めた。


 彼女の頬は濡れていた。


 そして結界に触れたとき、ランはこう言った。


あまりにも過剰なる真実の消失ドロップアウト・オーバーラーニング……」


 そのとき、そこにいた彼女は、消えた。

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