18 あなたなんて、大嫌い

『あなたなんて、大嫌い!』


 今でもまだ、ステラの叫び声がこだましている。


「なんだ、なんだ? いやに落ち込んでるじゃねえの?」


 机に頬杖をつきぱちぱちとはぜる暖炉の炎を眺めていたディオンは、陽気な声に視線をあげた。クリムゾンに与えられたレンガ造りの簡素な作戦室を、アルバートが大股で横切ってくる。

 そして、何の気なく目の前に置かれた物を見て、ディオンは思わず目を丸くした。


「それは、どうしたんだ?」


 たしか、アルバートは情報を集めるために、支部へ向かったはずじゃなかったか? なんで酒なんて持ってるんだ。


「ん? これか?」


 ディオンがまじまじとボトルを見つめると、アルバートはラベルを見せるように瓶を回転さた。


「貰いもんだよ。王宮にも納めてる上物のワインだとさ。きっとそういう謳い文句ってだけだろうけどな。お前も飲むか?」

「……いや。当分は酒断ちするよ」

「マジでどうしたよ?」


 ディオンが苦い顔で首を振ると、アルバートは驚きに目を見張った。そして足でけって椅子の向きを変え、背もたれに両腕をのせる形で腰を下ろすなり身を乗り出してくる。


「今回のことがそんなに効いたのか? まあ、殿下のあの一言はかなり刺さったと思うけど」

「……そんなんじゃない」

「そんなんじゃないったって――ははぁ。さては、嬢ちゃんのほうか。ベーグモント・アーデンに会いに行ったんだろ?」


 またなにかあったな? と、茶化すような台詞に唸り声をあげると、ディオンは催促するようにコツコツと指で机を叩いた。


「わかってるならそっとしておいてくれ。それに。俺のことよりも、さっさと情報交換をするぞ」

「はいはい。わかってますよ。あのおっさんから何か情報は引き出せたのか?」

「ああ。かなり渋々だったがな」

 

 ディオンが診療所で聞いた話を説明する間、アルバートは考え込むような表情で耳を傾けていた。そして、話し終えると合点がいったようににやっと笑った。


「なるほどな。花街で情報収集してた時は今回の事件には関係ないと思ったが、まったくの無駄足じゃなかったわけだ」

「花街へ行ってきたのか?」

「ああ。ここのところ、ハリソン男爵が足しげく通ってる店があるらしいって聞いてな。マダム・ローザっていう上流貴族も通う高級娼館に、ほぼ毎日顔を出してるらしいぜ」

「ハリソン男爵が? あの男は別件でセルグの隊が追っている最中だろう?」

「アヘン密売と人身売買な。そんな男が足しげく通う店で、希少価値の高い上物が手に入るなんて聞いたら、ますます怪しいよな? 金とコネがないと手に入らないガレリアの金脈。貧民街の娼婦たちに割のいい仕事を斡旋する女。マダム・ローザ自身が人身売買にかかわっているかはわからないが、店で使われている“上物”は、間違いなくセドリア煙草だろう」

「……まいったな」


 そう言って深々と息を吐き出すと、ディオンは肩を落とした。


「あの店は、おいそれとは手を出せないぞ。確実な証拠でも手に入れない限り軍部が許可しないだろう」

「お偉いさん方は、クリムゾンオレたちから貴族のプライバシーを守るために躍起になってるからな」


 それは頭の痛い問題だった。娼館と犯罪組織は切っても切り離せない仲にある。高級娼館のように権力者によって保護されている店は特に機密性が高く、犯罪の温床になることが多いのだ。

 過去に一度。処罰を覚悟で乗り込んだあの事件は、今でも苦い記憶として残っている。


 海外から連れてきた少女たちを使って、悪魔じみた儀式を行っていたのは上級貴族やその子弟たちだった。

 彼らの手に握られた真っ赤なナイフと、洞窟のような地下室の中央で体を切り開かれた少女の姿。

 あと少し早く、いや、軍部がもっと早く捜索の許可をだしてくれていれば、あの少女は助けられたのに。

 上流貴族の闇とも言えるあの事件は、軍部に何も学ばなせなかったらしい。


 だからこそ男爵は考えたのだろう。貧民街の少女が消えても、大した事件にならないと。

 おそらく消えた少女たちは、海外へ売られていくのだろう。高級娼館で客を取らせるには、貧民街の訛りは大きな弊害だ。矯正するには手間も時間もかかりすぎる。

 シスター・グレイシスから正しい言葉遣いを学んでいたディオンたちですら、貴族の発音をまねるには苦労した。どんなに仕込んだところで、生まれ持った癖はなかなか消えないものだ。

 

「まったく。娼館を隠れ蓑に使えば商売もやりやすい、とはよく考えたものだな」

「とりあえずはセルグたちと協力して、ハリソン男爵のほうを先に洗うしかねえだろうな。で、だ。オレにひとついい考えがある」

「……なんだ?」


 悪戯っぽく目をきらめかせたアルバートに、ディオンは嫌な予感を覚えた。アルの言ういい考えは大概が悪い考えだ。


「へんなことじゃないだろうな?」

「おいおい、疑うのは内容を訊いてからにしてくれよ。男爵にはいまご執心の女がいて、娼館に通ってないときはその女のケツを追っかけてるらしいぜ」

「女性?」

「ああ。それも、選民意識の塊みたいなあの男にしては珍しく、旧市街のお嬢さんだ。なんでも旧市街にある本店には顔を出さないのに、彼女がオペラ座の支店へ来る日を狙って、周りをうろついてるって話だぜ。きっと店のやつらから彼女のシフトでも聞き出してんだろうな」

「その女性の名前は?」

「エトワール・アーデン。ミエルフルールの看板娘さ。こっちにとっても都合がいいし、彼女を囮に使って――」

「だめだ!」


 エトワールと聞いた瞬間、ディオンはアルバートに最後までしゃべらせなかった。

 まったく、くそったれ。

 いったいアルは何を考えてるんだ。そんなこと許せるわけがないだろう。彼の言ういい考えは、最後まで聞かなくともお断りだった。

 けれどアルバートには予想外な反応だったのだろう。かぶせるように告げたディオンに対し、訝し気な眼差しを向けている。

 だから今度こそはっきりとこちらの意図が伝わるように、表情を険しくするとディオンは首を横に振った。 


「彼女は一般人なんだぞ。何の防衛手段も持たない少女を囮に使うなんて、馬鹿なことは二度と口にするな。そんな危険な真似させられるわけがないだろう」

「なんだよ。べつに狼の群れに放り出せって言ってるわけじゃないぞ」

「それでも賛成できないものはできない」

「……お前、この前からなんか変だぞ?」

「なにがだ」

「昨日だって自分から厄介ごとに首を突っ込んだりして……今だってお嬢ちゃんの名前を聞くまでは反対なんかしてなかったじゃないか」

「…………」

「わかった! わかったよ」


 一層きつい目つきで睨んでいると、アルバートはようやく自分の過ちを認めたらしかった。降参するように両手をあげ、悲鳴に近い声を上げる。


「囮の件はなしだ。お嬢ちゃんを危険な目には合わせない。ほら、だからそんな睨むなって。普段温厚なお前が怒ると怖えんだよ」


 そして、ぶつぶつとこぼすとアルバートは気まずそうに視線を外す。テーブルをはさんで、二人の間に嫌な沈黙が落ちる。

 しかしすぐにアルバートが顔をあげたのは、ディオンが何に対して頑なな態度を崩さないのか気付いたからだ。


「お嬢ちゃんは“ヴェントの奇跡”なのか?」


 その瞬間。鳶色の瞳に理解が宿るのを見て、ディオンは静かに頷いた。


「……ああ」


 “ヴェントの奇跡”

 それはシュベルの丘で、戦闘を生き残った者たちの間で、秘かにささやかれた言葉だった。誰が言い出したのかは覚えていない。気が付けばそう呼ばれていた。そして。ディオンがその奇跡を追い求め、失ったのを知っているのはアルバートだけだった。


「なんだよ。だったら初めからそう言えっての。あーあ、言うだけ損したぜ。損したついでにもう寝るかな。当分は事件を追うので徹夜だろうし……」

「それは、飲まないのか?」

「あ?」


 封を開けずにテーブルの上に放置されたままのワインボトルに視線を落とすと、アルバートは肩をすくめた。


「ああ。オレも当分酒断ちだ。かわいそうなお前に付き合ってやるよ。まったく、なんだってあんなんで自分を失うんだか」

「……。俺は、あんなに馬鹿すか飲んでたのに、お前に薬が効かなかったことのほうが不思議でならないよ」

「ん? 体質? もともと酒飲んでも酔ったことねえし、あんなんで酔うもんか」

「そういう問題か?」


 たしかにアルバートはザルだが、アルコールと薬物は全くの別物だろうに。

 八つ当たり気味に愚痴をこぼすと、アルバートはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべてきた。


「いやあ、でも安心したなぁ。お前があんまりにも女に無頓着だから、お嬢ちゃんが現れなきゃ、ちゃんと大事なもんがついてるか確認しなきゃかと思ってたんだぜ」

「またその話か……かんべんしてくれ」

「あきらめろよ。オレだけじゃなくて隊のやつらもみんな、真面目な副隊長をからかいたくてそわそわしてんだから。きっとそのうち総出であいさつに行くだろうよ」


 コックなんてケーキの材料をそろえてたくらいだし覚悟しとけよ、と。その瞬間、泣く子も黙る強面の元軍曹がフリフリのエプロンをつけてクリームまみれになっている姿を想像し、ディオンは思わずうめき声をあげていた。

 仮装のことでからかわれるとは思っていたが、まさか、それにとって代わるネタを自分から提供することになるとは。 

 去り際、彼女に大嫌いと言われたときは、地面が抜け落ちたかのようなショックを受けた。だが、部下が大挙して彼女に迷惑をかければ『大嫌い』どころではすまされないだろう。そんなことになったら耐えられない。

 今でも記憶を失った自分が情けなかった。そしてそれ以上に、嫌われるようなことしかできない自分にも嫌気がさした。

 ほかのことならうまく立ち回れるというのに、彼女に関してだけは何一つ思うようにいかない。


(あんな顔、させるつもりじゃなかったのに……)


 痛みをこらえるような琥珀色の瞳が、いまだに瞼の裏に焼き付いて離れない。

 自分の一言が彼女を傷つけたかと思うと、身を切るような心地がした。

 彼女の事情をよく理解もせず、君はアーデン家の縁者じゃないなんて、なんて馬鹿なことを言ったりしたんだろう。彼女の存在を否定するつもりではなかったが、結果的にそうなって初めて、自分の発言の過ちに気付いた。

 そして、そんな彼女を見て、ディオンはと思った。

 ステラは――いや、エトワールは――不安定な足場の上に立っているようなものだ。エトワール・アーデンという存在が偽りと証明されてしまえば、あっという間に粉々になってしまうような……。


「何をそんなに深刻そうに悩んでるか知らないが。あんまり難しく考えんな」


 いつの間に考えに没頭していたのか、ディオンはその言葉で現実に引き戻された。

 ぱちぱちと目を瞬くと、アルバートが『しょうがない』とでもいうように肩をすくめる。


「深堀しすぎるのはお前の悪い癖だぞ。考えたってどうにもならないことはある」

「仕方ないだろ。出だしが悪すぎた」

「ははっ。さすがにそこは否定しないけどな。もっと前向きに考えてみろよ。お嬢ちゃんに嫌われてるってことは、許してもらえるまで周りをうろついてもいいってことだろ?」

「なんだその理屈は。ますます嫌われるうえに鬱陶しがられるだけだろう」

「そこはほら。お前の努力次第だ。ま、がんばれよ。オレたちが男爵のケツを追っている間に、お前はお嬢ちゃんに土下座でも貢物でもして許してもらう機会が与えられたんだから」


 歯を見せて笑うとアルバートは拳を突き出してきた。

 ディオンも自分の手を丸めるとアルバートの手に合わせ、そして微笑んだ。


「……ああ。そうするよ」

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