16 やっと、見つけた……けれど

「ベーグモントおじさん?」


 奥から小さな声が聞こえたとたん、ディオンは戸口に立ちはだかっていた男の横をすり抜け、診療所の中へと踏み込んでいた。

 やっぱり間違いない。あの声はだ。

 診療所は小さく、すぐに少女の姿が目に入った。現れたのがおじでなかったからか、ディオンが勢い込んで迫ったからか、ステラはあっけにとられたような表情で立ち尽くしていた。

 それはシュベルの丘で出会ったときの、再現のようだった。もっともあの時は、背後から罵り声が聞こえてくることはなかったが。


「くそったれっ! 不法侵入で訴えてやる!」


 その声でステラははじかれたように我に返った。踵を返し奥の小部屋へ逃げ出そうとする彼女の手を、とっさに掴んだのは無意識だった。

 息を飲むような音に、ディオンは自分が何をしたかを知った。けれどそのときにはすでに遅く、手のひらの下でステラの体がみるみるこわばっていく。


「すまないっ。驚かせるつもりはなかったんだ」


 ディオンは慌てて手を離したが、いくら謝ったところで後の祭りだった。

 琥珀色の瞳は見開かれ、恐怖と警戒心がにじんでいる。青ざめた顔でステラが一歩後ずさるのを見て、ディオンはたじろいだ。


(まったく、最高だな)


 どうやら彼女が関わると、自分は考えなしになるらしい。

 警戒する気持ちはわかるが、まさか恐れられるなんて考えてもいなかった。しかも、追い打ちをかけるように、背後からは報復の足音が聞こえてくる。


「この野郎! 勝手に押し入った挙句、こいつに手を出そうなんていい度胸じゃないか」


 ベーグモントは激しく毒づくと少女を背後にかばい、ディオンとの間に体を滑り込ませた。

 わかっている。完全に自分が悪い。


「すみません、ミスター・アーデン」


 そう言うと、ディオンは危害を加える気がないことを示すように、両手を上げて一歩下がった。


「気が逸ってしまって。どうしても今回起こった事件のことで、あなたに話を聞きたかったものですから」


 けれど、ベーグモントは犬でも追い払うように手を振って、ディオンの謝罪をはねのけた。


「話すことは何もない。残念だがさっさと帰ってくれ」


 まさか、ここまで怒らせてしまうとは。

 邪険にされるとは覚悟していたが、ディオンは自分のうかつさに歯噛みした。これでは、話どころか今にも追い出されかねない。

 言葉以上に多くを物語っているベーグモントの形相は、さっさと消えなければ手段は択ばないと警告しているようだった。

 体つきから言えば、ディオンのほうが頭一個分背が高い。訓練で鍛えあげられた若い肉体は、徹夜と疲労で疲れ切った体とは比較にならないくらいだが、相手はベーグモント・アーデンだ。彼が現役時代に残した伝説の数々に、自分の名前を加えるつもりはない。


 当初の計画はもっと穏便に協力を求めることだった。なのに、少女の声が奥から聞こえたとたんすべてが吹き飛んで、すべてを台無しにしてしまった。全くなんてざまだろう。

 戸口に立ちはだかり、一歩も中をのぞかせなかったさっきのやり取りを考えると、おそらくベーグモント・アーデンは彼のを、自分の目から隠しておきたかったのだろう。


 理由はいくつも考えられる。クリムゾンのロージス大尉と言えば、女王のお気に入り。それにステラは偽名を使っている。ベーグモント・アーデン自身も実家から身を隠しているとなれば、自分が彼らの立場なら、女王派の人間に周りをうろつかれたくはないはずだ。

 本当はステラについて聞きたいことはたくさんあった。けれど、この状況でそれがいい考えだとは思えなかった。この前、何があったのかはよく覚えていないが、結果的に話をする前に逃げられたのは大きな失態だ。だが、今度はそうはいかない。


(やっと会えたからには、焦ってその機会を失うわけにはいかない)


 たとえ彼女が覚えていなかったとしても、自分には重要なことなのだから。

 ディオンは再び、焦るなと自分に言い聞かせると、無理やり少女から視線を引きはがし、ベーグモント・アーデンに向き直った。

 

「あなたは昨日、薬について何か知っているような口ぶりでした。そのことについて教えていただけるまでは帰りませんよ」

「ふんっ。こんなしがない街医者が、軍のお偉いさんに何を教えるっていうんだ? 教えを請いたければ階上でふんぞり返っている医者どもに聞けばいいだろう」


 例のごとく突き放すような物言いは、取り付く島もなかった。けれど、ディオンは微笑を浮かべてみせた。切り札ならこちらにもある。この前のように引き下がったりはしない。


「――いいえ。ミスター……いえ、


 その呼び名に、案の定、男性は微かな反応を見せた。


「あなたほどの人が、周囲の変化に無頓着だとは思えません」

「何が言いたい?」

「かつて軍医として、研究医として活躍されていたあなたなら、先日の事件のことも、そこで混入された薬についても詳しく知っているのではないですか?」

「………」


 黙り込んだ男性の表情は険しかった。やはり予想は正しかったのだ。

 射殺さんばかりに睨みつけてくる眼光は鋭く、苛立ちと同時に苦々しく思っているのがひしひしと伝わってくる。


「あなたが貴族社会に嫌気がさして、この街に住み着いたことは承知しています。それに、ご実家があなたのことを躍起になって探していることも。厄介ごとに巻き込まれたくないと、協力を渋る気持ちはわかりますが、我々もはいそうですかと引き下がるわけにはいきません」

「だったらどうする。オレを脅して情報をはかせようってのか?」

「まさか。そんなことはしませんよ。ただ上にあなたのことを黙っている代わりに、協力していただきたいだけです。あなただって、これ以上旧市街の住人に被害が広がるのは避けたいでしょう」


 犯人が捕まっていない以上、被害にあうのは旧市街の人々だ。そのことはベーグモント・アーデンも気づいているはずだ。


「陛下は今回の事件に胸を痛められ、一刻も早い解決を望んでおれらます。我々だけでも犯人の逮捕までこぎつけられるでしょうが、あなたが協力してくださればそれだけ早く犯人への糸口がつかめる」

「さっきから聞いてれば、オレが情報をつかんでいるような口ぶりだな」

「実際そうでしょう。貧民街唯一の医者として多くを見聞きしているのですから。あなたなら些細なことも聞き及んでいるでしょうし、ここの住人は皆口をそろえて言っていましたよ。貧民街で起こったことは、すべてあなたに聞けと」


 ここまで言ってだめなら、脅しめいた言葉も辞さない考えだった。

 ――居場所をばらすぞ、と。

 さっきは否定したが、こうなっては仕方がない。けれど思わぬ加勢が入って、ディオンはその言葉を口にせずにすんだ。


「……ベーグモントおじさん」


 ベーグモントに追い打ちをかけるには、ステラの一言でじゅうぶんだった。


「くそっ」

 

 懇願するような琥珀色の瞳に見上げられ、ベーグモントは毒づいた。そして、ガシガシと頭をかきむしりながら大股で部屋を横切っていく。テーブルのそばまで行き、疲れたように椅子に座り込むと、彼は大きく息を吐いた。


「まったく、わかったよ」


 座れとは勧められなかった。勧められたとしたも、椅子らしきものはベーグモントの向かい側、少女のそばに一つあるだけだ。

 ディオンはその椅子に座るようステラを促すと、立ったまま本題に入った。


「で? 何が聞きたい?」

「先日の春霊祭を混乱させた薬物について」

「――え!」


 その瞬間、ステラが困惑したような声をあげた。

 彼女に視線を向けると、真っ赤になって口を閉じたが、ディオンは頷いて彼女の疑問に答えた。


「そうだ。昨日、君の友人や祭りに集まった人々が突然暴れ始めたのは、無料で配布されていた飲食物に薬物が混入されていたからなんだ」

「証拠品は押収できたのか?」

「はい。成分については研究機関で調査中ですが、あなたのほうが旧市街の情勢もご存じでしょうし、より詳しい情報をお持ちだと思って」

「……アレの発生源はここじゃない。お前たちが過激派の一派を一掃してから、ほかのやつらはなりを潜めているし、やつらが取引するのはアヘンや安物の葉っぱくらいだ」

「と、いうと?」

「ガレリアの金脈、だろうな」

「――! まさかっ。そんな……」


「ガレリアの金脈?」

「ああ。海を越えてセドリアから渡ってきた煙草のことだ。名前の通り、形状は巻煙草みたいな形をしているが、性質はアヘン以上に悪質だ。軍事力に力を入れていた鉄血王は、海外から輸入したセドリア煙草を周辺諸国に売りさばき、軍資金を調達していた。当時は交易権を持っていたのは、ガレリア公国とザルグネイルだけだったからな。そのセドリア煙草のおかげで国が潤ったから、ガレリアの金脈と呼ばれているのさ」


「でも陛下の弟君、セルナード公が公国の統治についてからは、アヘンや葉っぱと並んで取り締まりの対象になっているはずです」

「そらそうだ。だからこそ、売り場をなくした貿易商がこの国に持ち込んだんだろう」


 それはとても筋が通っているように思えた。けれど、セドリア煙草はとても高価なものだ。売りさばこうとしても、買い手がいなければ商売にはならない。それに――。


「セドリア煙草であるなら、なぜ液体に溶かしたりしたのでしょう。元が植物というだけあって抽出するのはたやすいでしょうが、成分が溶け出した溶液を摂取したら、一時間もしないうちに中毒で死んでしまう……」

「あたりまえだ。だから使われたのは煙草本体ではなく、原料であるエドナの花だ。甘ったるい匂いがしただろ? あれは東のほうでは麻酔薬として用いられている。入手するだけの金とコネがあれば、容易に手に入る」

「……貴族が関与している。そう考えているのですね」

「もしくは資金力のある商人か。どちらにしろ旧市街こっちを探るのはお門違いだったな」


 まさか。そんなことだったなんて。

 旧市街で起こった事件だっただけに、貧民街の組織がかかわっていると勝手に思い違いをしていたが、そうなると話が変わってくる。

 でも、なぜ? 犯人の狙いはなんだ?

 本当にエドナの花が使われていたとして、そんな高価なものをただでばらまくなんて、何が目的なんだ。


「何者かが旧市街の体制もしくはそのものに、反感を抱いているということなのでしょうか? 市民の祭りを妨害し混乱させる動機なんて、それくらいしか思いつかないのですが」

「まあ、貴族連中からしてみたら、旧市街なんてものは過去の遺物みたいなもんだ。あんな掃きだめなんて、焼き払ってしまえという意見だってあるくらいだしな。動機なんて必要ないだろう。どっちにしろ犯人を捜すなら、ガレリアの金脈を探ったほうが手っ取り早い。娼館か、貴族お得意の会員制クラブか。そこら辺を探るのはお得意だろう?」

「……いったい、いくつあると思っているのですか」


 全く簡単に言ってくれる。一つ一つあたるなんて正気の沙汰じゃないし、まして上流貴族が通うような店はクリムゾンを歓迎しない。やましいことがあっても、なくても。仮にも貴族の端くれなのだから、そのことはよくご存じだろうに。

 あからさまな皮肉に苦虫を噛み潰したように答えれば、ベーグモントは鼻を鳴らした。


「ふんっ、知ったことか。オレの貴重な時間を奪ったんだ。そのくらいで泣き言を言うな」

「……。わかりましたよ。それでは時間の浪費ついでに、もう一つ教えてください。ここに来る途中で聞いた話なのですが、最近若い女性が失踪しているらしいですね。今回の件とは関係がないとは思いますが、一応聞いておこうと思って」

 

 治安の悪い街で人が消える理由はごまんとあるが、年若い女性――とくに少女を狙った犯罪と聞いたら放置してはおけない。


「最近、貧民街周辺で通りに立つ若い女たちに、声をかけてまわっている女がいるらしいとは聞いた」

「女性が? 何のために?」

「まあ、客じゃないことは確かだな。その声をかけられた娘の話によると、割のいい仕事があるんだとさ。彼女は相手にしなかったみたいだが、その翌日、近くで商売をしていた別の娘が姿を消したらしい」

「割のいい仕事……。その内容については何か言っていませんでしたか?」

「さあ。あまり説明はなかったみたいだぞ。女自身も誰かに使われているのか、大してわかっている風じゃなかったらしい。だからこそ胡散臭いって思ったんだろうが。まあ、こんな話は貧民街じゃよくあることだ」

「そうですか」


 ベーグモントですら正体をつかめていないのなら、これ以上は探りようがないだろう。この件は貧民街の住人に警告を出すくらいしか今は手立てがないし、とりあえず知りたかった情報は手に入った。支部へ聞き込みに行ったアルバートと照らし合わせれば、もっと何かわかるかもしれない。


(ここへ来ればステラに会えることもわかったし、今はとりあえず引き取ろう)


 もう彼女を探し回る必要がないのだとわかると、ディオンは自然と穏やかな気持ちになった。話し合わなければいけないことは、まだたくさんある。だが、できればそのときは二人きりで話したい。

 今日はおとなしく本部に戻ろうと、ベーグモントに礼を言おうとしたときだった。ふと視線を感じて顔を上げると、ステラがじっとこちらを見つめていた。

 目が合うととっさに彼女は顔を伏せたが、その直前琥珀色の瞳に羞恥がともるのをディオンは見逃さなかった。

 とりあえず、昨日自分が何をやらかしたのかだけは、きちんと聞いておいたほうがいいかもしれない。彼女の同僚の話や、陛下のあの台詞を考えると知るのが怖いが、後回しにしていいことはない。しかし。

 ステラ――と言おうとした時、女性のひっ迫した声とともに診療所の扉が壊さんばかりの勢いで叩かれて、ディオンは言葉を飲み込んだ。


「先生! ベーグモント先生! 助けてくださいっ、息子が木から落ちて」

「待ってください。いま行きます」


 母親の取り乱した声の後に、少年の泣き叫ぶ声が聞こえると、ステラがぱっと立ち上がった。戸口へ向かう彼女の背を見て、不覚にもディオンは胸をなでおろした。

 けれど、安心するのはまだ早かった。


「ああ、そうだ」


 突然に思いついたというよりも、どこか脅しのこもったその声は、深刻な事態だと教えていた。


「お前に一つ聞きたいことがあったのを忘れていたよ」

「あの……助けを必要としている方が待っているみたいですし。俺はこの辺で……」

「まて、逃げるな。お前はいったい何を知っている?」


 お前はいったい何を知っている――その言葉はディオンの中に強く響いた。

 あなたについて? それとも、彼女について? そう訊ねる言葉がのどまで出かかったが、答えは訊くまでもなくベーグモントの瞳の中にあった。 

 だから、ディオンはありのまま口にした。


 ――地獄の中で、に会いました、と。


「ヴェントの戦いで部隊が壊滅したあと、その奇跡は仲間を救ってくれました。そればかりか、忘れかけていた大切な思いも。塹壕に無神論者はいません。けれど、俺たちを救ってくれたのは、祈りでも援軍でもなく、その奇跡と小さな光だけだった。だから、、俺はこの命を差し出します」

「……そうか」


 それだけ言うと、ベーグモントは立ち上がった。


「いつだって、強い光には良いものも、悪いものも引き寄せられる。その光が自分を焼くのだと気が付くまでは」

 

 あるいは、自分の手に入らないのだと気付くまでは。


「だから、彼女は身を隠しているのですか?」

「……それもある。だが、それ以上に縛り付けているのは――約束、だ」

「約束?」

「良かれと思って遺した言葉が、逆に自由を奪い取ることもあるということだ」

「それは……」


 まるで謎かけのようだった。いったいどういう意味なのだろう。

 ディオンは眉をひそめて、彼が再びしゃべり始めるのを待っていたが、その先を聞く前にステラが現れ、結局知ることはできなかった。

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