14 例のあの人

「ねえ、エトワール」

「んー?」


 作業台に備え付けられた戸棚の中へ四つん這いでもぐり、春色のリボンを探していたエトワールは、ローナの呼びかけに空返事で答えた。

 ローナもローナでスツールに腰を下ろし、手持地無沙汰にペンを回しながら閑散とした店内をぼんやりと眺めている。

 いつもだったら混む時間帯なのに、ドアベルはいっこうに鳴らない。

 

「あんた、昨日エドとお祭りに行ったでしょ?」

「うん」

「そこでロージス大尉を誘惑したって話、本当?」


 その直後。ゴンッとすさまじい音が響いて、作業台の天板が揺れた。


「ッ~~~~!」

「ちょっと、大丈夫?」


 ローナの気づかわし気な言葉も耳に入らず、エトワールは痛みにうめくと戸棚の中から這い出し、ポカンと口を開けたまま彼女を見上げた。


「誘惑って、なんのこと?」

「……あんた知らないの? 今日はその噂でもちきりよ。難攻不落のロージス大尉もやっぱり男だったかって。なんでも貧民街のコルボーが決定的瞬間を目撃したとか。大尉が何日で“ミエルフルールの天使”の信望者の列に加わるか、賭けまで行われてるって話」


(なにそれ! それにコルボーって……)


 まさか、あの少年の商売にこんな形で使われるなんて思ってもいなかった。

 わかっていれば、念を押しておいたのに。

 でも、貧民街で生きていくにはそれだけ強かでないといけないのだろう。根も葉もない噂だと知っていても、ゴシップネタはよく売れるのだ。

 

「で、どうなのよ? 前もエドとの仲を勘違いされて、疑惑がたてられたことがあったじゃない。あたしとしてはちゃんと裏付けが取れてからと思ってるんだけど」


(どうもこうも……)


「そもそも、ロージス大尉ってだあれ? 昨日はほとんどお客さんも来なかったし、喋ったのだって……」


 そう呟くとローナが目をむいた。


「――え?! 知らないの? ロージス大尉と言えば、今をときめく時の人。同僚のクレイブン大尉と並んで市民のあこがれの的じゃない!」

「そうなの?」


 そこまで言われれば聞いたことがあるのかもしれないが。噂や流行に疎いエトワールには何が何だかさっぱりだ。 


「でも、大尉と呼ばれているのだから、軍人のそれも偉い人でしょう? なんだってそんな人と噂をたてられたのかしら。年齢だってベーグモントおじさんくらいだろうし……」

「まったくもう。いい?」


 ひたすらに首をかしげていると、ローナが呆れたように溜息を吐き出し、噛んで含めるように話し出した。


「大尉と言っても年齢は二十六。ベーグモント先生が年寄りってわけじゃないけど、それより全然男前の出世株なのよ」


 なんでも両大尉は同じ村の出身で、王都の南、避暑地で有名なバースのはずれにある孤児院で育ったらしい。といっても、見た目も性格も全く真逆――クレイブン大尉がおおらかで愛嬌があると評されている一方で、ロージス大尉はまじめで堅実。特殊部隊クリムゾンの副官である二人は、その性格から隊の剣と頭脳と呼ばれている。

 そして何より、二人が市民の憧れなのは、彼らが出自という垣根を越えて身をたてたからだ。

 普通の平民が一生かかっても成しえないことを、たった二十四という若さで実現したのは、まさに夢のような話で。そのうえ、彼らは出世を鼻にかけることもなく、かといって、貴族におもねることもせず、堂々とした生き方が反響を呼んでいる。中でも、ロージス大尉の柔らかい物腰は女王もお気に入りで、時折見せる優しそうな笑顔がかわいいと、秘かな人気もあるそうだ。


「クリムゾン……女王のお気に入り……」

「そうよ。二人ともね。女王のお気に入りっていうのは、個人的にって意味合いもあるけど“聖レーヌ勲章”の叙勲者っていう意味合いのほうが強いわ。二年前に、盛大なお祝いがあったけれど……当然、あんたは興味なかったわよね」


 知らぬ間にそんな人とかかわっていたなんて。

 ローナの話が本当なら、非常にまずいことになりかねない。

 ルイーゼ十三世は、君主として時に冷酷ともとれる命令を下す一方で、ことのほかロマンス好きと有名だ。この噂が女王の耳に入って気まぐれでも起こしたりしたら、いらぬ注目を集めてしまう。


(そうなったら、私は……)

 

「でも、さすがあんたよね。そんな誰もが憧れるロージス大尉とかかわっておいて、当の本人は全く気付いていないうえ喜びもしないんだから」


 エトワールの心中を知りもしないローナは、彼女の沈黙を興味がないからと勘違いしたのか、あきれたように言うと大仰にため息をついて見せた。


「ほかの女性だったら顰蹙ものよ」

「それ、何かの間違いじゃないかしら……私、昨日はずっとエドといたし、そのあと出会ったのだって親切な男性で……」


 その時、ふと、気が付いた。

 その親切な男性が、ロージス大尉なのではないかと。

 確かに腰に下げていたサーベルは高そうだったし、軍人ぽいとは思ったけれど、決して隊を統率するような――ましてと呼ばれるような、権威的な人には見えなかった。


「ねえ、ロージス大尉の名前って――」


 その時、カランカランと軽快なベルが鳴り、店内に客が来たことを伝えてきた。


「いらっしゃいませ――って、あら」


 ローナが慌てて立ち上がり応対にでる。

 入ってきた客を見て、驚いたような表情が一瞬にして笑顔に変わったのは、どうやら見間違いではないらしい。

 エトワールの位置からは作業台に阻まれて店内の人物は見えなかったが、ローナの表情は見上げられる。


(いったい誰かしら?)


「ようこそ、ミエルフルールへ。サー、今日はどういったご用件ですか」


 サーと呼んだということは、特権階級の人なのだろう。

 エトワールも興味を引かれて、床から立ち上がろうと体を起こした。が、なぜかローナにものすごい力で頭を押しとどめられてしまった。しかも、さっきぶつけたところを狙いすましたように押してくる。

 立つな、と言う無言の意思表示なのかもしれないけれど、いったいなぜ?

 その疑問に答えるように、作業台の向こうから穏やかな声が聞こえてきたのは、戸惑いつつも痛む場所をさすりながら、木の扉にもたれかかったときだった。

 

「実は、人に頼まれて来たのですが。こういう店は勝手がわからなくて」


 そのとたん。エトワールはのどまで出かかった悲鳴を、どうにか押しとどめた。


(もしかして……)


 いや、もしかしなくても、その声には聞き覚えがあった。


「ふふ、よくわかりますよ、


 やっぱりだ。噂をすれば影、とはまさにこのこと。

 驚きは確信に変わり、エトワールはひたすら祈るように両手を握り合わせた。

 

(お願いだから、気づきませんように)


 いったい何の目的でここに来たのかわからないが、絶対に自分がすぐそばで会話を聞いていることは、ばれたらいけない。もし、祭りで助けたのが自分だとばれたりしたら……。


(どう、なるのだろう)


 彼が一市民の自分に興味を示すとは思えなかったけれど、『ステラ』と呼ばれたのは事実で、それが果たして誰のことなのかわからない以上、うかつにかかわりをもったりするべきではない。


「たいてい男性のお客さんはそうおっしゃいますから。陛下のお使いでしょう? 今当店のおすすめをご用意いたしますね」

「……よく、ご存じですね」

「なにがです?」

「いえ、名乗っていないのに誰かわかっていらっしゃったから。それに、陛下のことも……」

「もちろん。あなたは有名人ですから」

 

 ――それに、ついさっきまであなたの話をしていたから。

 さすがにそうは言わなかったが、カウンターの影に身を隠してローナが相手をするのを聞きながら、エトワールは男性が去ってくれるのを待った。

 けれど、ローナの考えは違うらしい。

 いつもよりことのほか包装に時間をかけている気がする。それに、会話にも。


「昨日は暴動が起きて大変でしたね。なんでも、クリムゾンも出動したとか。まったく、せっかくのお祭りだったっていうのに散々ですよ。逮捕者が大勢出たっていうし、彼らは厳しく罰せられることになるんでしょうか?」

「詳しいことは話せませんが。たぶん、何日か拘留することになると思います」

「そうですか。じゃあ、当分はこのままなんですね。事件のせいでお客さんも全く見えないし……まあ、被害にあった同僚も、さすがに今日は休んでいますからちょうどいいんですけど」

「……。は、どこか具合が悪いんですか?」

「え? どうしてですか?」

「いえ今……同僚の方が休んでいるとおっしゃったので」


(どうしよう……)


 ローナがさりげなく話題に上らせたときは肝が冷えたが、今は緊張で体がこわばっている。やはり、彼は私を探しているのだろうか。

 そして、この店で働いていることを突き止められた?

 同僚と言っただけで同性のとは言及しなかったのに、彼は『彼女』とはっきり口にした。ということは、誰のことかわかっているということで……。


(ローナはどうはぐらかすつもりなの?)


 エトワールが固唾を飲んで見守っていると、ローナが語ったのは突飛な作り話だった。


「ああ、……ここだけの話にしてくださいね。実は、なんでも祭りでからまれていたところ、親切な男性に助けてもらったのはいいんですが、どうやらその男性も豹変したとかで」

「……豹変」

「ええ、暗がりに連れ込まれ、迫られて――」

 

 いったい、どこで仕入れてきた話なのだろう。

 最初の会話を思い出す限り、きっとあの鴉だ。事実が脚色されているのはおそらく、ゴシップを盛り上げるためか、ローナの遊び心か。

 けれど、その時すでに意識が朦朧としていた男性は、やはり覚えていないらしく、ぎょっとした表情で聞き入っている。


「……それで、彼女は?」

「破廉恥なことをされそうになったので、華麗な右フックで殴り倒したそうです」

「殴り、倒した……」

「そうなんですよ。なんでも、返り討ちにあわせた右手が酷く痛むとかで、今日はお休みです」


(変な作り話をしないで!)


 内心で悲鳴を上げたが、声を大にして反論できない。

 男性が真剣な表情で考え込んでしまった時には、罪悪感すら抱いたほどだ。

 もちろん、神妙な表情で話すローナが、二人の反応を愉しんでいることは訊くまでもなく、ボロがでる前に身を引いたのは当然の成り行きだった。


「すみません、そこのところもう少し詳しく――」

「あら、いやだ。大尉にこんなくだらないゴシップをを聞かせるなんて。お気を悪くしないでくださいね、あくまで聞いた話ですから。ささ、商品もできましたし、陛下も心待ちにしていらっしゃるでしょうから、お代は次回につけておきますね」


 そういいながら戸口へ誘導する手腕は、見事としか言いようがなかった。

 しかも次の約束まで取り付けて。あれよあれよという間に、男性は店の外へと追い出されていく。

 カランカランとベルが鳴り、ゆがんだガラス越しに目の覚めるような深紅色が遠ざかっていく。ベルの余韻が消えうせると、店内には再び静寂が広がった。

 

(まったくローナったら、話をややこしくしてくれて)


 きっと彼は、道すがら頭を悩ませるに違いない。

 実際はちょっと抱きしめられて押しつぶされただけなのに――いや、それも問題なのかもしれないが――なんで抱きしめられたかはいまだに謎だけれど。具合が悪くて人恋しくなることはままあるものだ。

 そのとき頬に、ふにっとした感触がしたのは……おそらく単なる事故。そう、はずみにすぎない。


(あれが、唇だったなんて思うのはただの錯覚なだけで……)


 別に変なことをされそうになったわけじゃないのだから、これ以上思い出させてほしくない。まして変な気を起こして探し出そうと思われても困るのだ。

 

「それにしても、ほんとに惚れ惚れとするほど綺麗な人ね。あんたが、そんな表情になるのもわかる気がするわ」


 いつの間に戻ってきたのか、真っ赤になったエトワールを見下ろして、ローナはにやっと口角を上げた。


「で、実際は何があったの?」

「……何もありません。破廉恥なこともされてないし、右フックを見舞ったりもしてません」

「ふぅん? まあ、あんたには稼がせてもらったし? そういうことにしておいてあげてもいいけど。そうね、エドもちょっと不憫だしこれ以上はやめとくわ」


 そう言うと、ローナは座っていたスツールに再び落ち着いた。

 エトワールも床から立ち上がると、ローナの向かい側にすとんと腰を下ろす。


(そういえば、エドのこと……)


「ねえ、エドってどうなるのかな?」

「どうなるって?」

「さっき大尉が言っていたでしょ。暴動を起こした人たちは何日間か拘留されるって」

「そうだけど」

「彼、確かに乱暴だったけれど別に殴られたりしたわけじゃないし、私から取り下げてもらえば開放してもらえるのかなって」

「どうかしら? 聞けばあいつ、止めに入った大尉に殴り掛かっちゃったわけでしょ。ただ暴れたほかの人たちよりも結構罪が重いんじゃない?」

「そんな!」


(どうしよう)


 エトワールはたちまち不安になった。

 確かに公職についている治安維持部隊へ対する暴行は重罪だ。けれど、昨日のあの人は非番だったわけで。


(そもそも、私があんなに取り乱したりしなければ、エドももっと落ち着いて……)


「ほら、そんな顔しないの。べつにあんたが悪いわけじゃないんだから。今回のことはあいつの自業自得よ」

「でも……」

「まあね、あんたの気持ちはわからなくはないわ。エドがいないとこの店も火が消えたようだし、からかいがいがないしね。でも、だからといって、私たちがどうにかできる問題でもないでしょう。それに大きな声じゃ言えないけど、今回の事件、クリムゾンの管轄になったっていうわ」

「クリムゾンの?」

「そう、だから大尉がこの店に来たのも何か目的があってのことじゃないかしら。なんだかきな臭いし、あんたも私もこの国の生まれじゃなし。立場は弱いんだから、疑われたくなければじっとしてるのが一番よ」


 ローナはそう言ったが、エトワールは不安がぬぐえなかった。

 ベーグモントおじさんなら、なにかいい考えがあるかもしれない。この分だと店を閉めるのも早そうだし、帰りに寄って話を聞いてみよう。

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