13 女の子は砂糖とバターと小麦粉でできているの
「ふたりともご苦労様」
王宮の一角、『黄色の間』と呼ばれるこぢんまりとした居間に入っていくと、陛下がにこやかに出迎えてくれた。
予想に反して機嫌がいい。
その横に座る殿下は、反対にむっつりとした表情で一心不乱に何かを口に運び――ゴリッバリッと凄まじい咀嚼音で――祖母の理不尽さに抗議の声をあげている。
(……察するに)
読書の邪魔をされたか、無理やりお茶会に引っ張り出されたか。
殿下をよく知るようになってからは見慣れた光景だ。仏頂面といい岩でもかみ砕いているのかという咀嚼音といい。最初は戸惑ったものの、今ではその音でストレスの度合いを図れるようにもなっていた。
陛下の唯一の後継者、カトリーヌ・エミリー・アルメールは巷ではスミレ姫とも呼ばれている。
波打つブルネットの髪を背に流し、伏し目がちな瞳はその呼び名の通りの淡い菫色。一見妖精かと見紛うような可憐な少女でもあるのだが……。
鬱憤がたまると脳天が割れそうなほど硬いものを噛みたがる、という変な癖がある方だった。
(今度はいったい何を食べていらっしゃるのか……)
以前のお気に入りは、棒状に練った飴と糖衣がけの米菓子だった。今回はそれよりももっと硬そうな音がしている。
手に持っているのは、
「レンガでも食べてんですか? 腹壊しますよ」
アルバートがからかうように言うと、冷ややかな一瞥がとんできた。
「……そんなわけ無いでしょう。クッキーよ」
どうやらこの前のことをまだ根にもっているらしい。
「クッキー?」
アルバートが疑わしげに眉を上げると、陛下がクスクスと笑い声をあげた。
「そうよ。疑いたくなるほど酷い音よね。でも、カトリーヌちゃん特注の、レンガみたいに硬いクッキーよ。わたくしには良さがわからないのだけれど、わたくしの子鹿ちゃんには欠かせないお茶請けみたい」
「おばあさま……その呼び方はやめて下さい」
「あら、やめてほしかったら、そのぼそぼそ話す癖や不愛想な態度を改めてちょうだいな。せっかく可愛く生まれてきたのだから、もっと、可愛く振る舞わないと」
「でも、陛下。殿下のつんっ、としてるところも一部の紳士方に大うけらしいですよ」
「……っ……」
「あらそうなの? アルバートちゃんもそう思うの?」
助け舟にならないアルバートの横やりに、殿下がぐっと歯を食いしばる。余計なことを言うなとでも言いたげな形相は、妙に鬼気迫るものがある。
けれどアルバートと陛下のふたりが、殿下の繊細な神経を逆なでするのは日常茶飯事だった。
「もちろんですよ。ほら、どんなに取り澄ましていても、内心では言い過ぎたかも……とか、もっと素直になればよかった……とか、そう後悔しながらつんつんしていると想像すると、なんだか可愛く思えてきませんかね? 今だって真っ赤になってぷるぷる震えて、言い当てられた気恥ずかしさを表現していると思うと……」
いや、これは。
絶対に羞恥の震えではない。
鬼気迫る表情でぐっと唇を引き結び、両手を拳に握ってわなわなと震えている姿はどう見ても、呪いの言葉を吐かないようにぐっとこらえているようにしか見えない。
口を開けば悪口雑言が飛び出してくるとわかっているのに、アルバートは唇の端を持ち上げて愉快そうに眼をきらめかせている。
(まったく、いじの悪いやつだ……)
「アルバート。そんな言い方は失礼だろう。殿下は今のままでもじゅうぶん可愛らしいし、素直でいらっしゃる。咲き初めの薔薇のようにこれから成長されていくのだから、俺たちがお守りしなければ――」
とても他人ごととは思えず、ディオンがアルバートへたしなめるような言葉をかけた直後。
なぜか殿下の震えがひどくなり、顔を覆ってうつむかれてしまった。
「~~~~!」
しかも、声にならない悲鳴まで上げている。
いったいなぜ?
ひたすら首をかしげていると、陛下が呆れたような溜息を洩らした。
「まったく無自覚な殿方はやぁねぇ」
「とんだ口説き文句だな」
アルバートまで攻める側に回り、散々な言われように当惑すると同時にちょっぴり傷ついた。
率直に思ったことを伝えただけなのに、口説き文句だなんだと言われるとは。
「……なにか、変なことを言ったでしょうか」
不安になって問うと、陛下がやれやれといった表情で首を振ってくる。
「いいえ。カトリーヌちゃんがなんだか不憫だし、おばあさまとしてはちょっぴり複雑だけれど、まあこれはこれで見ていて楽しいからありにしてあげる――でも、そろそろ本題に入りましょうか」
(あり、とはいったい)
ディオンが意味深な返答に考えあぐねていると、おもむろに『お祭りはどうだった?』と聞かれ、二人はぐっと言葉に詰まった。
(いや、事実を話せば良いのだが、いったいどこまで視ていらっしゃったことか)
無邪気な顔で待っているが、きっと例のごとく覗き見ていたに違いない。
(でも、多少騒ぎを大きくしたとはいえ、やましいことは何もなかった、はずだ……)
祭りに参加し、酒を飲み、ただ休暇を楽しんだだけ。
乱闘に加わった部分は否めないが、あれはか弱い女性を守るため――そう、国に仕えるものとして当然の行動だった。
腹をくくると、ディオンはかいつまんで話しだした。
「あらあら、せっかくのお休みだったのに、災難だったわね」
あっけらかんとした感想に、ディオンはほっと胸をなでおろした。
(……よかった)
自分が勘ぐりすぎていただけだったのか、途中部分はだいぶ端折ったものの、乱闘に巻き込まれた経緯について深く追求されることはなかった。
「それで、将軍から報告を受けたとき、エールに混入された薬物のせいで暴動が起きたと聞いただけだったけれど、その後なにか進展はあった?」
「いえ。真新しいことはまだ。暴徒化した者たちに聞き取りを行っているのですが、記憶があやふやなものも多く難航しているようです」
「そうなの……では、長く引き止めていてはいけないわね」
一つため息をつくと、陛下はシワの寄った顔を曇らせた。
「今回犠牲になったのは旧市街の人たちが殆どだと言うし、自衛手段もないでしょうから、なるべく早く解決しないと」
「はい、総出で取り掛かるつもりです」
憂いを帯びた主君の言葉に頷き、表情を引きしめる。と、そのとき。
傍らのアルバートが緊張感を破るような声を上げた。
「あ……」
「なあに? アルバートちゃん」
「いえ……事件とは関係ないんですが。陛下はベーグモント・アーデンという男を覚えていらっしゃいますか?」
その質問に、ディオンもはっとした。
重要なことを聞き忘れるところだった。
「ベーグモント……ベーグモント・アーデン……」
陛下は束の間記憶をたどるように首をかしげていたが、やがて思い出したのかポンと両手を合わせる。
「ああ! ええ、ええ、よく覚えていてよ。アーデン伯爵家の次男坊。軍医としても優秀だったけれど、いつも仏頂面でひねくれたことを言う子だったわ。誰よりも腕がよくて、心根の優しい子でもあったわね。でも、あの子がどうかしたの? たしか、十年ほど前に軍を辞めて家を出てしまったと聞いたけれど」
「いえ実は……」
「怪我の手当てをしていただきまして」
口を開こうとしたアルバートを遮ってディオンが答えた。
――エトワール・アーデンのことはまだ陛下には言えない。
陛下が彼女に害をなすとは思えないが、万が一ということもある。普段は少女のように無邪気に振る舞われていても、必要であれば非情な判断をくだされる方でもあるのだ。
「ふうん? ……そうなの?」
陛下はどこか納得していないような口調だったが、ディオンは微笑みとおした。
アルにはあとでしつこく質問攻めにあうだろうが、それは仕方がない。
さて、どうやってこの場を辞すか……と口実を絞り出そうとしたとき、助け舟を出したのは思わぬ人物だった。
「陛下、殿下。お邪魔するようで申し訳ありませんが、そろそろお時間かと」
「あら、もうそんなにたった?」
続きの間につながる扉から音もなく現れたのは、異相の男だった。
(ヒストリア……)
針のような銀髪を背に流し、感情の読めない中性的な面立ちを見て、ディオンは眉をひそめた。
(殿下は彼から歴史を教わっていらっしゃるのか)
ヒストリアとはその血に歴史を記憶し、各国の王や宮廷に仕える高名な一族だ。
『過去のことはヒストリアに聞け』と言われるほど、情報に精通している。
(……だが)
この男だけは信用できない。
血筋がどうのこうのと言うよりも、経歴が気に食わないのだ。
そもそも以前は敵対するガレリア王に仕えていたのに、戦況が危うくなると見ると陛下に下った裏切り者。
ガレリア王に仕える以前は別の君主のもとにいたと聞くが、主の機嫌を損ねて火で焼かれたという噂もある。顔の右反面を覆う銀の仮面がその証拠だ。
そんな黒い噂のある男をそばに置くのは正直懸命とは言えない。けれど、誰よりも心眼のある陛下が良しとしているのも事実で、陛下の腹の中はまったく計り知れない。
「悪いけれど先に行っていてもらえるかしら。わたくしとカトリーヌちゃんもすぐに向かいますから」
「畏まりました。図書室でお待ちしております」
小さく頭を下げるとヒストリアは来たときと同じく、音もなく去っていった。
本当に、腹のわからない男だ。さり際、こちらを見てくすりと笑ったように思えたが、きっと見間違いではないだろう。
「では、ロージス大尉、クレイブン大尉。一日も早く、事態が収束するのを願っていますよ」
「はっ」
「承知しました」
ふたりが居住まいを正して礼をとると、陛下は衣擦れの音をたてて立ち上がった。
「さ、カトリーヌちゃん、行きますよ」
「先に行っていて下さい、おばあさま。これを食べたら向かいますから」
そう言うと、殿下は顔も上げず最後のクッキーを口へほおり投げる。
すました顔でゆっくりと咀嚼しているのは、ささやかな反抗なのかもしれない。
「まったくマイペースな子ねぇ。急いでちょうだいよ」
陛下もそのことがわかっているのか、呆れたように目を回しそのまま隣室に向かうように思えた。けれど。二、三歩も行かないうちにふと何かを思い出したように足を止める。
「そうそう。ディオンちゃんに言うことがあるのを忘れるところだったわ」
まるでダンスのターンのように振り返り、向けられた笑みに、ディオンは思わず姿勢を正した。
何だろうその微笑みは。
手紙にも名指しで追伸が書かれていたけれど、てっきり忘れたものだと思っていたのに……。
「お酒の勢いもあったのでしょうけれど、普段は女性の影も形もないあなたに、あんな情熱的な一面があったなんて驚いてしまったわ」
「え?」
それは全く予想外の言葉だった。
「女の子をあんな暗がりに連れ込んで、いったい何をするつもりだったのかしら? おせっかいを焼くつもりはないのだけれど、抱擁するにしてもキスをするにしてももっと優しく扱ってあげないとだめよ」
――
その瞬間、殿下が飲んでいたお茶を吹いた。
激しく咳き込み、アルバートが駆け寄る音が意識の片隅で聞こえたが、ディオンの頭は陛下の爆弾発言のせいでそれどころではない。
「――は?」
(暗がり? 抱擁? キス?)
「とぼけたって無駄ですよ。わたくしには何でもお見通しなんですからね」
「え? いや……」
「お相手は随分と可愛らしい子だったわね。あなたの一目惚れといったところかしら。今度、ぜひとも紹介してちょうだいな」
「へ、陛下……」
「ああそれと――あそこのプティフールは美味しいし可愛いと有名なのよ。だから、ミエルフルールに行くときはお土産をよろしくね」
「――! なんで彼女の職場まで知って……」
しかし、陛下はディオンの質問に答えることもなく、訳知り顔に笑みを浮かべたまま止めるまもなく去っていく。
(いや! ちょっと、まって――……)
パタンと閉まった扉を呆然と見つめていると、右側から勢いよく立ち上がる音が聞こえ、ディオンはおそるおそる首をめぐらした。
「で、殿下?」
「――女たらし」
冷ややかな視線とともに吐き捨てられた言葉。
最近では打ち解けてきたように感じていただけに、通り過ぎざま、ふんと鼻を鳴らし軽蔑を込めて投げ捨てられた言葉は、グサッと心に突き刺さる。
(な、な、――!)
足音荒く殿下が去っていくと、困惑気味の男ふたりは、目が痛いほど黄色一色の部屋に取り残された。
「まあ、なんだ……」
静かな沈黙ののちアルバートがぽそりとつぶやく。さすがの彼もいたたまれなくなったとみえて、うなだれるディオンの肩を慰めるようにぽんと叩いてくる。
「人生一つや二つ何かしら間違いはあるけどよ……何やらかしちゃったのよ、おまえ」
「何も、やらかしては、いない、はず……」
自信はあまりなかったが。
アルバートが憐憫のこもった瞳で問いかけてくるが、むしろこっちが聞きたいくらいだ。
目が覚めたのは診療所だった。そこに彼女の影はなく、あの医者は自分がディオンを拾ったのだと言っていた。最後の記憶はといえば、彼女の手を引いて路地裏に逃げ込んだところで……その後の記憶は……。
『お酒の勢いもあったのでしょうけれど、普段は女性の影も形もないあなたに、あんな情熱的な一面があったなんて驚いてしまったわ』
『女の子をあんな暗がりに連れ込んで、いったい何をするつもりだったのかしら? おせっかいを焼くつもりはないのだけれど、抱擁するにしてもキスをするにしても、もっと優しく扱ってあげないとだめよ』
だらだらと嫌な汗が背筋を伝い落ちていくディオンの頭に、陛下の爆弾発言が不屈なくらいこだまするのだった。
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