12 君は友達

「あんた……クリムゾンだったのか……」


 固く小さな寝台に座って深く項垂れていた少年は、勾留されている独房の外に立った二人を見て真紅の軍服に目を見張ると、さっと青ざめた。

 当然といえば当然だ。一般人が非番とはいえ軍人に手を出す行為は、一晩の勾留どころではすまされない。

 良くて一ヶ月の奉仕活動。悪くすれば強制労働所『アズバンドル』へ送られる。そして、女王お気に入りの特別部隊クリムゾンへの暴行となれば、最悪を想像してしかるべきだった。

 

 まあもっとも。少年の罪はそこまで重くはない。

 ディオンに傷を負わせたのは別の男だったし、むしろ今回の件に関しては彼も被害者。情状酌量の余地ありと少年を安心させても良かったのだが。

 ディオンはあえてそのことには触れず、わざと不安を煽るように重苦しい表情で腕を組むと、アルバートの隣でふたりのやり取りを見守った。

  

「そうだ。昨日のことは覚えているな? 尋問はすでにすんでいるとは思うが、二、三、訊きたいことがある」

「き、訊きたいこと?」


 アルバートがしかつめらしい口調で告げると、少年はその顔からますます色をなくし、ごくり……とつばを飲み込んだ。


「まず、お前さんが豹変した原因だが、なにか心当たりはあるか。暴力をふるわれた少女によると、普段はあんなに強引な性格ではないという話だったが」

「ぼ、暴行しようとしたわけじゃない! ただ、彼女を祭りに誘うのに必死だっただけで……でも、途中から頭がぼんやりしてきて……あんまり覚えてないけど、確かあの人に食ってかかった気がする」


 おずおずと向けられた眼差しにディオンが眉を上げて答えると、少年はビクッと体を震わせた。昨日の食ってかかってきた様子とは打って変わって、本来の彼は小心者のようだ。


「それで、体に異変が起きる直前、なにか口にした、あるいは、なにかの匂いを嗅いだりした覚えはあるか?」

「あ、ああ、エールを飲んだ。マグに一杯。給仕係が手渡してきたのを、一気に飲み干したんだ」


 少年が気を取り直して答えると、今度はアルバートが眉を上げる番だった。


「給仕係?」

「たしか、水牛の角をつけてて、真っ赤なワンピースドレスを着てて……」


 ディオンの脳裏に、ぱっと一人の女性の姿が浮かんだ。

 たしか、ふたりが最初に受け取ったのもその給仕係からだった。

 

「祭りの運営をしている組合が用意した衣装とは、ひとりだけ違ってたからなんか変だなとは思ったんだけど。でも、あのときは別のことで浮かれてたし、それほど気に留めなくて」

「水牛の角と真っ赤な服? 他に、その女の特徴を思い出せるか?」

「ええっと。……その二つがいやに派手で目立つなって、思って、それ以外だと……」


 うーん、と唸ると少年は言いよどんだ。無理もない。おそらく犯人の目的はそこだろう。

 目立つ装いをすれば顔や瞳の色から注意がそれる。必然的に興味を惹いてしまうが、周りにも奇抜な仮装をしている者は大勢いるから、結果的に覚えているのは視線を集める角と扇情的なドレスに包まれた艶めかしい肢体というわけだ。


「髪は……髪は確かブロンドだ。エトワールみたいに、光があたると琥珀色に変わって……」

「エトワール?」


(誰のことだ?)


 唐突に挙げられた名前にディオンは思わず口をはさんでいた。事件に関わりがなかったとしても、把握だけはしておきたい。

 しかし少年は見るからに動揺した。眉根を寄せて考え込んだディオンの姿に、まずいことを口走ったと思ったのかもしれない。だが、なぜそんなに狼狽える必要があるのだろう。

 

「別に、ただの知り合いってだけで、深い意味はないです」


 その言葉通り何も後ろ暗いことがないのなら、普通にそう言えばすむ話なのに。

 つとそらした目線が言葉を裏切り、逆に疑問がわいてくる。

 エトワールに関してディオンが少年を問い詰めようとしたとき、おもむろにアルバートが「ああ!」と大きな声を出した。


「昨日のお嬢ちゃんのことか!」


 パチンと指を鳴らすなり、そうかそうか、とひとり納得して頷く。


「――! だ、だれも彼女のことなんて言ってない」

「まあまあ、隠すほどやましいことじゃないだろう」


 はじかれたように少年が顔を上げ、反論してもアルバートは猫なで声で答えるばかりで取り合おうともしない。


「そのミス……エトワールについてだが、もう少し詳しく聞かせてもらおうか」


 どこかうきうきとした声。

 喜々として輝いた瞳。

 嫌な予感がする。


「下の名前は? 仕事は? どこに住んでて、家族構成、性格、それからお前さんとの関係と……」

「なっ、そんなこと、事件とどんな関係があるっていうんだよ! オレは絶対に喋らないぞ!」


 少年の憤慨した声を聞きながら、ディオンは内心で盛大にため息を吐き出した。

 やはり、と言うべきか。予感は的中したのだ。


「いいや! お前さんになくてもオレにはある! なぜならこの堅物を惑わしたお嬢ちゃんが気になって、仕事が手に付かないからだ!――と、言うわけではなく。えー、……事件に関係していると思われる以上、調書を取る必要があるからで――」


 ぽろり、と漏れ出したアルバートの本音はもはや隠しようがなかった。

 全く公私混同も甚だしい。

 突入捜査はともかく、アルバートが自ら進んで情報収集に乗り出したときは不思議に思ったけれど――結局はこれか。


「捜査に協力するのは国民の義務! ひいては事件解決のために協力したまえ」

「義務も何も、完全に私情が混ざってるじゃないかっ」

「おっと、そんな口を聞いて良いのか? クリムゾンの隊員に対する暴行罪に加え、暴言を吐いたうえ公務執行妨害をしたとなれば……」

「冤罪だ!」


 少年が正論でつっこみを入れたがアルバートに通じるはずもなく、次々と罪状を言い渡され、少年は口をパクパクさせた。浜に打ち上げられた魚みたいに慌てふためいているさまを見て、思わず憐れみがこみあげる。

 けれどまあ、今回ばかりはアルバートの暴走行為を止める気はさらさらない。彼女についてはいずれ個人的に調べるつもりでいたから、この機会に聞いておいて損はないのだ。


(さて、どうやって口を割らせるか)


 青くなったり赤くなったり忙しい少年を見て、ディオンは心なしか口調を和らげた。

  

「エド……といったか?」


 たしか彼女がそう呼んでいた。

 名前を呼ぶと、少年は小さく頷いたが、口は貝のように固く閉ざされたままだった。

 疑心。決意。それに保護本能――様々な感情が少年の瞳をよぎっていく。どうやらこの少年にとって、彼女は本当に大切な女性らしい。

 一瞬、減刑と引き換えに口を割らせようかとも考えたが、思い直した。

 変に敵意を抱かれて情報を小出しにされても面倒だった。

 脅すか、なだめすかすか。どちらのほうがより効果的に情報を引き出せるか悩んだ末、ディオンが選んだのは、少女に対する純粋な感情を刺激することだった。


「彼女を巻き込みたくない気持ちはよく分かる。だが、ミス・エトワールもきみと一緒に、今回の事件で主犯とされる女に間近で接したことを思い出してほしい」

「なに? だとしても、彼女にどんな関係があるっていうんだよ」

「いいか、犯人はまだ捕まっていないんだ。それどころか、騒動の目的も犯人の素性もわかっていない。現段階では組織的な犯罪だと考えているが、それだって推測に過ぎないんだぞ」

「組織的な犯罪……それって貧民街の……」

「そうだ」


 ディオンが険しい顔で同意を示すとエドの表情が凍り付いた。ようやくことの重要さを理解したのだろう。


「で、でも……じゃあ……どうすれば」


 狼狽えたような声を上げる彼に、ディオンは一つの助言を投げた。


「彼女の行動範囲や必要な情報を教えてくれるだけでいい。それもできるだけ詳しく。詳細が分かれば我々としても目を光らせやすいし、守りやすいからな」


 もちろんいま話した内容はほとんど嘘に近い。今回の事件は突発的に起こっただけにわからないことが多すぎた。けれど、もっともらしくとりつくろえば、嘘も方便になる。

 こっちを向いたアルバートが口の動きだけで『卑怯者』と伝えてきたが、ディオンは涼しい顔でそれを受け流した。弱みを突けば簡単に得られる情報があって、それを逃す手はない。

 そして、ディオンのの効果は絶大だった。

 エドはしばらくうつむき葛藤していたようだったが、やがて顔を上げると、揺るぎない表情でディオンの目をまっすぐ見据えてきた。


「話すよ。でも、絶対にエトワールのためだからな」


◇◆◇


 よく、ここまで調べたものだ……。

 

 名前はエトワール・アーデン――ステラじゃなかった。

 旧市街、ルーフ通り五番街にある菓子工房ミエルフルールで働いていて、近くのアパートメントに住んでいる。好きなものは林檎のコンポート。嫌いなものは辛いものと内臓レバー。猫より犬派で、性格は真面目で思いやりがあり、ちょっと天然。その性格と容姿から“ミエルフルールの天使”と呼ばれているのに、全く自覚がなくて、男性客――中には貴族も混じっている――のハートを日々粉々にしている、らしい。


 『歩くエトワールの覚書』


 ディオンが抱いた感想は、まさにそれだった。

 怒涛のように流れ出す膨大な情報に耳を傾けて約五分。エドによるエトワール語りは未だに続いているが、その内容はもはや耳を素通りしている。

 彼女の好きな色、好きな場所、シフト、休日の過ごし方、過ごす相手などを聞いた時点で、すでにお腹いっぱいになった。


(いったいどうやって、こんな情報まで集めたんだか……)


 崇拝者の粋を超えあまりにも個人的な事柄にまで言及し始めたときには、本気で注意をすべきか迷ったほどだ。でも害はなさそうだし、本人も純粋に好きゆえの観察を行っているだけのようなので――というか、観察しているだけで満足しているようなので――見過ごすことにした。


「で、彼女の唯一のおじに当たるのが、貧民街で診療所を開業している医者先生なんだけど、これがまためっちゃ無愛想な人で、人も殺しかねないっていうか、ナイフ一本で熊を倒したって言う逸話があるっていうか、とにかく怖い」

「ああ……はいはい。で、そのおじさんの名前は?」

「ベーグモント・アーデン。みんなはベーグモント先生とかベーグモントさんて呼んでるけど――……」

「ベーグモント・アーデン?」


 その名を聞いたとたん、ふたりは顔を見合わせた。


「その人が、彼女のおじだと言ったか?」

「医者で、ナイフ一本で熊と格闘した?」


 ――まさか。

 エドが語ったのは、まさに今朝目覚めた時に会った男の特徴そのものだった。けれど、もしもその人が二人の思い描いている男だとしたら、、ということになる。


「ああ。実際にその現場を見た人はいないけど、数年前に友人て人が尋ねてきて色々武勇伝を語っていったから、ここらでは有名な話だよ」


 軍のお偉いさんでも先生のことは知ってるのか、と首を傾げられ、ディオンはなんと答えたら良いのかわからなかった。

 エドが嘘をついているとは思えない。かといって、あの少女が彼の非後見人という事実も、受け入れがたい。

 

「本当に、エトーワール・アーデンはその医者の姪なのか?」

「――? なんでそんなこと聞くんだ? 確かに似てないけど、エトワールはそう呼んでいるし、先生もエトワールのことは姪だって公言してるよ」

「だが、ベーグモント・アーデンといえば……」

「――大尉! 尋問中失礼します!」


 そのとき、看守が駆け込んできてふたりはぱっと顔を向けた。


「なんだ?」

「先程、王宮から使いが参りまして、これをお二人にと」


 そう言って差し出されたのは白い封筒。よく、というかかなり馴染みのあるそれに、ディオンは不吉な予兆を感じ取った。


(うっ……)


 昨日の今日だ。

 絶対に、確実に、春霊祭での振る舞いについて小言が待っている。

 宛名の所に私のお気に入りモン・シュシュではなく、おばかさんモン・ベットと書いてある時点ですでに陛下のご機嫌が窺える。 

 ディオンは恐る恐る封を切り、無難な話題でありますようにと心底願いながら手紙を取り出した。そして、目を通すと――運命を、不運を呪った。



『わたくしの可愛いキャベツちゃんへ


 麗らかな春の日、満喫したお祭りはどうだったかしら。将軍からなにやら事件があったと聞きました。火事と喧嘩は王都の華。午後のお茶会でぜひ、そこのところを詳しく聞かせてほしいと思います。

 つきましては黄色の間で。来るまで予定を開けて待っていますので、わたくしの胸が期待で張り裂けないうちに、できるだけ早く駆けつけてちょうだいね。

 

         国民の母 マリア・ルイーゼ・アルメールより


 追伸――特にロージス大尉には、とっても興味深いお話を期待していますよ』



(追伸てなんだ。とっても興味深い話とはいったい……)


 たちまち嫌な汗が吹き出てくる。

 陛下の興味を引くようなことは何もなかったはずだ。……たぶん。おそらく。

 それとも、覚えてないだけで何かあるのだろうか。

 昨日の光景が走馬灯のようによぎり、陛下の興味をひいたのはなんだっただろうと、必死に記憶をたどった。だが、これだと思うものはなにもない。


「用件はなんだって?」


 石のように固まったディオンの横からひょいと手紙を覗き込むと、アルバートが聞いてくる。それに対し、ディオンは無言で手紙を差し出した。


「なんだ? 言えないような内容なのか?」

「……読んだほうが早い」


 というか、声に出して現実にしたくない。

 彼は訝しげな顔でそれを受け取ったが、文面に目を通すなり、やはり「うげっ」と呻き声を上げて、苦い顔で手紙を返してきた。


「……早速耳に入ってんじゃん」


 正確には目、なのだが。

 覗き見女王ことルイーゼ十三世は、『お茶会に誘う』という、やんわりかつ強制力のある名目で、二人を地獄の事情聴取に召喚したのだった。

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