01 陛下とご褒美Ⅱ

「――陛下!」


 再び侍従長がいさめたが、陛下はただにっこりと微笑んだだけだった。


「さっきあれほど周りを混乱させたのは、いったいなんだったのですか! 私はてっきりあのまま満足してくださると――」

「まあ、ベルナード。そうかりかりするな。陛下の強情さはいつものことだ。観念して腹を据えることだな」

「なんと! お前までそんなことを」

「まぁ、ドライデン将軍。いいことを言うわね」


 思わぬ加勢に陛下の反対隣りを見ると、将軍の瞳には愉快そうな笑みが浮かんでいた。


(完全に、愉しんでいらっしゃる)


 あっけにとられて言葉を失っているふたりに、将軍は口角を片方だけゆがめ、ひょいっと眉をすくめてみせる。その剽軽ともとれる仕草は、あきらめろと言っている気がした。それに。


 ――腹を据える。


 それはディオン達に向けられた言葉でもあるのだろう。


 女王のお気に入りになった以上、こういう事態はたびたび起こるのかもしれない。将軍も言っていたではないか、陛下の強情さはいつものことだと。

 まったく。一筋縄でいかない相手はアルバートだけで十分だというのに。


 ディオンはがっくりと肩を落とした。

 自由奔放で突飛な思いつきは、かたわらのアルバートが最たるものだと思っていたけれど、彼ですらかわいく思えるほどだ。彼を恥じ入らせたり、絶句させたり。陛下はこの短時間で、アルバートから実に多くの反応を引き出した。

 今もまだ唇をすぼめながら将軍たちの話に聞き入っているところを見る限り、彼にしては珍しく判断に迷っているようだ。


 しかし――いや、いつものようにと言うべきか――アルバートは立ち直るのが早かった。


「それは……例えば物でなくても良いのでしょうか?」


 ぽつりと漏らされたそのつぶやきに、陛下は顔を輝かせ、侍従長は苦虫をかみつぶし、将軍はにやにやと笑っている。

 ディオンはと言えば、ただ心の中で天を仰いだ。


(……ああ。お願いだから変なことは口走らないでくれ)


 アルバートが突飛なことを言って、陛下が気分を害されなかったとしても――自分の意思が尊重されたことに、満足げに目を細めていらっしゃるから、まず間違いなく意気投合しそうだが――周囲には自分たちの存在を疎ましく感じている貴族が、大勢はびこっているのだ。これ以上彼らを刺激してほしくはない。


 もっとも、反感を買ったのは自分たちのせいばかりではない。

 けれどそんな言葉が通用するような人たちではないのも事実で、アルバートが陛下に便乗したり逆に陛下が煽り立てたりすれば、彼らの悪感情を刺激するのは目に見えている。そしてアルバートがディオンの胸中を歯牙にもかけないのも、目に見えてわかることだった。


 彼が鳶色の瞳を悪戯っぽく輝かせるのは、不吉の前兆だった。背を反らしまっすぐ陛下を見据える姿に、さっきまでの戸惑いはなく、ディオンは神経をすり減らせながら事の成り行きを見守った。


「ええ、何でもいいわよ。と言っても、実現可能なことに限るけれどね。アルバートちゃんの欲しいモノはなにかしら?」

「欲しいというか……ある人の、願いを叶えていただきたいのです」


(ある人?)


 それは想像していない一言だった。

 陛下も虚をつかれたのか驚いたように数度瞬くと、俄然興味を掻き立てられたようだった。

 「お願い?」と訊き返すなり、たちまち顔を輝かせ、玉座から転げ落ちんばかりに身を乗り出してくる。


「なに? なにかしら。他の人のお願いを聞いてほしいなんて言われたのは初めてよ。相手はアルバートちゃんの大切なひと? いひとかしら?」

「ええ。いえ、いたひとというわけではないのですが。なによりも、かけがいのない女性という点ではそうですね」

「あらあら、まあまあ! あなたも隅に置けないわねぇ。それで? もっと詳しく教えてちょうだい」

「実は、オレたちが育った孤児院はとんでもなく貧しくて。軍に志願すると決めた日、シスター・グレイシスの望みをいつか叶える、というのがこの友と交わした約束なのです」


(……ああ、そうか)


 幼き日の約束をもちだされ、ディオンは腑に落ち、ほっと胸をなでおろした。

 でも、よくよく考えれば想像できたことだった。ふたりの原点は、常にシスター・グレイシスと孤児院なのだから。


「養母はもう七十過ぎ。人を雇ってはいるのですが、孤児院を切り盛りするにも難儀な年齢で、先の戦争で孤児が増えたこともあり逼迫した院を立て直すか、もっとのどかな場所に移転するか、養母が望むようにしてやりたいのです。ですから、陛下にはそのお力添えをと――」

「まあ! なんて母親思いのいい子なんでしょう」


 アルバートが言い終わる前に、陛下は突然歓声をあげた。

 胸に手をあてため息を吐き出す姿は、心から感銘を受けたようだった。


「いいわ。何でもお願いを叶えてあげる。シスター・グレイシスの子供たち。そしてわたくしの愛しい子モン・シュシュ。さあさあ、考えて。あなたたちのお母様には、どうやってこの感動的な知らせを伝えようかしら。一番喜ぶ方法はなんだと思う?」

「いつもは手紙で連絡を取っているので……手紙、でしょうか?」

「だめよ、だめだめ。そんな地味じゃ面白くないわ。もっとこう華やかで、派手なのがいいわね。あなたたちがお土産を携えて直接伝える、というのもいいけれど……」


 一拍考えた後、陛下はぽんっと手を打つと、渋い顔で耳を傾けている侍従長をふり仰いだ。


「そうだわ! 数名の親衛隊に正装をさせて、わたくしが直接出向くというのはどう? ねえ、侍従長、良いアイディアだと思わない?」


(なっ――!)


 その提案に、ディオンは制止の言葉が喉まで出かかった。

 王宮の使者ばかりか、女王その人が孤児院の軒先に現れでもしたら、シスター・グレイシスは腰を抜かしてしまうにきまっている。

 「そうは思いません」と、侍従長が苦虫をかみつぶした顔で首を横に振らなければ、本当にもう少しで止めに入るところだった。


 助かったことに、このときばかりは陛下の強情さも引き際を心得ていたようだ。賛同が得られなかった陛下は、すぐに諦めて次の案に移っていった。


(……ああ、胃が痛い)


 最悪の事態は回避できたものの、今もまだ陛下とアルバートはああでもないこうでもないと、議論に花を咲かせている。ふたりの会話に口を挟む余地はなく、かといってほうっておくこともできないだけに、頭まで痛くなってきた。

 けれど、ディオンの頭痛の種はこれだけでは終わらなかった。


「これでアルバートちゃんのご褒美は決まったわね」


(うっ……いつの間に)


 どうやらちょっと考え込んでいたすきに、話はまとまってしまったらしい。

 アルバートの表情から察するに――シスター・グレイシスの心の平穏は自分一人で祈るしかないようだ。


「今度はディオンちゃんの番よ」


 逃げようもなく話の矛先が回ってきて、ディオンはひきつった笑みをどうにか取り繕った。


「私の願いもアルバートと同じでございます。養母の願いを叶えていただければそれで――」

「もうっ! 謙遜は美徳だなんて誰が言ったのかしら」


 無難に十分だと伝えようとすると、不満そうな呻き声が返ってきて、ディオンは言葉に詰まった。「そんなものはどこかの穴にでも詰めておきなさい」と――。

 そんなことを言われても、穴に詰めたらすぐに掘り出してしまうに決まっている。


「若いのだから何かひとつくらい、夢や野望や欲しい物くらいあるでしょうに」

「そう……言われましても。叶えたかった望みはアルバートが言ったとおりですし、士官学校に通いたいかと訊かれましても、現場勤務から遠のくのは本意ではないので……」


 かといって社会的地位や身に余るほどの財産も、他人から与えられて素直に受け取れる性分ではない。では、陛下でなければ叶えられない願いとは? 


 ぼそぼそと答えながらも、ディオンは必死に頭を回転させた。今の生活に不満はない。けれど陛下は納得のいく答えを聞くまで、決して引き下がったりはしないはずだ。

 いったい、考えても思いつかないときはどうしたらいいのだろう。


(……ああ、でも)


 ――陛下なら、のだろうか。


 ふと、輝くような記憶が浮かんできて、とたんにディオンは苦い思いに駆られた。


(俺も案外、あきらめが悪いな)


 あれはもはや過去のこと。願ったところでどうしようもない。戦争が終結したらと温めていた夢は、現実になる前に奪われてしまった。

 それは高望でも実現不可能な夢でもなく。けれどあっけなく。手のひらに落ちた粉雪のように、一瞬で溶けて消えるほど儚いものだった。


 だからディオンは言葉にする代わりに、小さく首を振ってその願いを意識から追い出した。


「なにも思いつきません」


 そう答えると、陛下は束の間小首をかしげた。探るような瞳でじっとこちらを見つめながら、考え込んでいる。

 その菫色の双眸でなにを視たのか、あるいは読んだのか。やがて陛下はパチンと両手を合わせると、なぜか満足そうに微笑んだ。


「いいわ、こうしましょう。あなたのお願いは保留にしてあげる」

「保留、ですか」

「ええそうよ。考えても思いつかないときは、答えを求めても駄目なのよ。ゆっくり自分と向き合って、お願い事を思いついたときに改めて答えを聞かせてちょうだい。そうすれば無理に導き出そうとしなくても、おのずと答えのほうからやってくるものよ。ああ、でも――」


 そう言葉を切ると、陛下は悪戯っぽく瞳を輝かせた。


「なるべく早く決めてちょうだいね。わたくしがぽっくり逝ってしまったら、聞いてあげることも叶わなくなってしまうでしょうから」

「……はい。肝に銘じておきます」


 有無を言わさぬ剣幕に負けて、気が付けばディオンは頷いていた。けれど心のどこかでは、頷きながらもその日が来ることはないとわかっていた。


『彼女に、もう一度逢えたら』


 戦禍に見舞われた敵国の村で、出会った少女は奇跡のような能力で自分たちを救ってくれた。仲間の命も、落ちていくばかりだったこの魂も。


 最初はただの思いつきだった。感謝の言葉を伝えたいというだけの小さな。けれどいつの間にかただの思い付きは決意に変わり、いつしかそれが生き延びる理由になった。

 しかしどんなに願ったところで返す相手がいなければ、夢はただの夢。


 たとえ神の目を持つ陛下でも、死んだ人間は探し出せないという現実は変わらない。

 彼女を探してほしいと願うなど、愚かなことだとわかっていた。


 それでも。もしも……と、思わずにはいられない。


 もしもステラが生きていて、この思いを打ち明けたら。



  ――彼女はなんと答えただろうか。

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