星舞う丘で

涼暮月

~春告鳥は愛を唄う~

第一章 はじまりは、あの日

01 陛下とご褒美Ⅰ

「ディオンちゃん、アルバートちゃん。あなたたちにご褒美をあげないとね」


 金と白亜で装飾された荘厳なる玉座の間に、場違いなほど穏やかな声が響きわたった昼下がり。

 予期せぬ一言に、ディオンは青緑色の瞳を瞬いた。


「――褒美、ですか」

「そうよ。爵位がいいかしら? それともお城が欲しい? ああ、いっそのこと両方がいいかしら」


 まさか。冗談だろう。

 かたわらのアルバートとふたり。諸侯貴族が見守るなか、大陸最大の統治を誇るアルメール王国の女王、“マリア・ルイーゼ・アルメール”より褒章を賜ったのは、つい先ほどのことだった。

 叙勲に際して陛下から二、三お言葉をかけられるとは予想していたが、まさかこんな台詞がかけられるとは、予想していなかった。


 ――女王の薔薇。


 それがふたりに与えられた称号だった。

 正式名を“聖レーヌ勲章”というその星章は、数ある勲章のなかでも最も誇りある。通常の叙勲や叙爵と一線を画し、女王陛下個人より『あなたを心から信頼します』と、国を揺るがすほどの権限が与えられるのだ。


 高額な俸給。大臣や将軍に次ぐ権利。様々な特別待遇もさることながら、身分の上下を問わず議会や陛下個人へ意見を述べることすら許される。

 特に陛下への発言権は、甘い蜜を啜ろうとする上流貴族にとって、喉から手が出るほど魅力的なものだった。


 もちろん重大な権力を手にすることから、授与者の選定は陛下の意思に任されている。たとえ王家に連なる血統であろうと、武功や出世を重ね限りある地位に就こうと、階級や努力に応じて授与されるものではない。そのせいでより特別性が増し、希少価値が高いとも言えた。


 だからこそ叙勲者は“女王の薔薇”と呼ばれる一方で、“女王の”とも揶揄されているのだ。現に当代の女王、ルイーゼ十三世は王位についてすでに長いが、いまだ聖レーヌ勲章を授与した者は片手で数えるほどしかいない。


 その背景もあって、ディオンとアルバートのふたりが聖レーヌ勲章の授与者に選定されたときには、議会から猛反発をくらったという。

 たかだか二十四の若造が、女王の薔薇を名乗るなどおこがましい。それが議会貴族方の主張だった。


 しかしそれ以上に彼らが問題視したのは、ふたりの出自故だったのではないだろうか。

 前途有望な貴族の子弟を差し置いて、平民出の准尉が――それも教会の軒先に捨てられていた孤児が――国の中枢に足を踏み入れるなど汚らわしいと。


 もちろん陛下は一笑にふされた。だからこそ、ふたりは好奇と敵意の目を受けながらもこの場に立っているのだ。いまでもその事実は受け入れがたいけれど。


 将軍が手ずからその証である聖レーヌ勲章をとめてくださらなければ、ディオン自身、夢だったと思ったところだろう。でもこれは夢ではない。

 深紅の胸元に大理石で作られた美しい白薔薇が、燦然たる輝きを放っているのをわざわざ確認しなくても、正真正銘現実であり、陛下がさらなる褒美をと言ったのも現実なのだ。


「だって、あなたたちふたり、公国戦での功績とその後の特別部隊クリムゾン設立への貢献を考えたら、星章一つじゃ物足りないでしょう?」


(……もの、たりない)


 先ほどの言葉が冗談ではないことを証明するように、陛下が再び口を開いた。

 その口調はあくまでも軽く、誰もがそう感じていると言っているようだった。けれど、十分すぎると思うのは自分だけではないだろう。


 周囲の反応を確かめるように視線を泳がせれば、大半の諸侯も顔をしかめている。歓迎の意を示している者も中にはいたものの、困ったような、喜んでいるような、一様に複雑な心境を表していた。でもそれは仕方がない。

 その付加価値を考えれば、聖レーヌ勲章以上の褒美などありえないのだから。


 しかし、そう思ったところで声に出すことなど出来ようもなかった。相手はこの国の王だ。ただ思い付きで発した言葉だろうと、反論なんて論外だ。

 とくに、いいことを思いついたとばかりに細められた菫色の瞳と、目が合ったあとでは……。


 ディオンはごくりとつばを飲み込んだ。そして祈った。


(どうか、誰かが陛下を止めてくれますように)


 果たしてその思いは受け止められ、玉座の斜め後ろに控えていた侍従長の苦虫をかみつぶしたような声に、ディオンは救われた。


「陛下。あまり、そのようなことを軽々しく――」

「あら、十分重々しいわよ。わたくしは小さな子供にお菓子を買い与えるみたいに、軽々しく『お城をあげる』なんて言ったりしないもの」

「ですが、爵位や居城などはこのような場でぽんっ、と与えられるようなものでは――」


「そうかしら。ちゃんと空いた爵位や領地はないか下調べはしてあるし、候補もすでにいくつか絞ってあるのよ。あなたたちに佐官任命の件で反対されてから、ずっと考えていたの。何かほかに彼らの貢献に対するご褒美に、代わるものはないかって」

「だからといって……」


「なあに? その不満そうな顔は? まったく。石頭で唐変朴なあなたたちには、ほとほと嫌になっちゃうわ。ああ言えばこう言う。士官学校を卒業していないのだから佐官に命じるなんて絶対に駄目だとか、そもそもこの若さでレーヌ勲章を叙勲するなんて前例がないとか。国史の埃を叩く気になれば、そういった事例の一つや二つ出てきます。例え出てこなかったとしても、無いなら無いで作ってしまえばいいじゃない。そうは思わなくて?」

「……。ああ言えばこう言うなんて、どちらのことですか。もうこれ以上は、何も申しません。どうぞご随意に」

「あら? 同意してくれてありがとう、侍従長。では――」


 こほんと咳払いすると、陛下はふいに立ち上がった。

 そして声を張り上げた。


「このときをもって、ディオン・ロージス、アルバート・クレイブン両准尉を、三階級繰り上げの大尉へ任命します。それと――望むものをなんでも一つだけ、叶えてあげるつもりよ」


 そのとたん。あたりは水を打ったように静まり返った。

 陛下のよく通る声だけが広い室内に反響している。


「せっかくもらうなら、管理が大変なお城やしがらみの多い階級より、実利に通じたもののほうがいいものね。それに佐官ではないから、あなたたちも反対はしないでしょう。わたくしも一国の王ですから。ちゃんと双方の意見も取り入れてよ。ね? 異論がある人は今のうちに、言ってちょうだいな」

 

 一拍後。あちこちから発作に襲われたように、えへん、ごほん、と咳払いの音が立ち始めた。明らかに異論を呈している。けれど、言葉にして反論する者は一人もいない。理由はディオンと同じだ。――陛下の不況は買いたくない。

 そのことがわかっているからこそ、陛下はまるで聞こえなかったかのようにゆっくりと腰を下ろすと、満足げに背もたれとの間に置かれたクッションにもたれかかった。

 

「ほら、侍従長。誰も反対なんてしなかったわよ」

「……そうでしょうとも。心の声を聞いていながらそう仰るのは、あなたくらいでしょうから」

「あら? わたくしはちゃんと言ったわ。異論があるなら声に出して言いなさいと。それでも反論がなかったのだから、同意したも同然でしょう」

「はぁ……あなたという人は。まったく。こうなっては取り消しようもありませんし、その程度で満足されるのならどうということはありません。そういうことです。グローマン大尉、ロージス大尉。話は聞いていましたね」

「うーん。いい響きね。今日から晴れてあなたたちふたりは、名実ともに大尉となりました。わたくしは佐官以上がふさわしいと思っていたのだけれど。聞いての通り議会の反発を受けてしまって、これ以上は望めなかったの。ごめんなさいね。思うように昇進させてあげられなくて」

「……いえ」

「むしろ……よろしいのでしょうか」


 すでに決定づけられた――それも目の前で決定された――昇進に対し、こんな質問を返すなんて間抜けのようだったが、それ以上言いようがなかった。

 そもそも周囲の貴族が反対したように、ふたりは士官学校を出ていない。士官学校を出なければ、将校に任命される資格は得られない。それは法で定められたというよりも、軍内部の暗黙のルールに近かった。


 だから師である将軍が、ふたりに准尉という平民出の一般兵が就ける最高官位を買い与えてくださったときも、かなりの反発を食らったという。彼らにしてみたら目端にかからないような官位にもかかわらず、異例の特進が上層部には不満だったのだ。それでも最終的に軍部が折れたのは、先の公国戦で指揮官に欠員が出ていたことと、兵力の弱体化に悩まされていたからだ。


 昇進のために、士官学校へ通うという選択肢はあった。入隊したばかりの頃は、食うや食わずの家族を養うのが精一杯で、金銭的な余裕はなかったが、戦功を重ね昇進とともに俸給が上がると、授業料くらいは捻出できた。それに将軍をはじめとする方々も、二人の才能を支援し、援助を願い出てくれていた。

 けれどそもそも通う気でいたとしても、そんな時間は取れなかっただろう。終戦直後は紛争鎮圧のためにガレリア公国内にとどまっていたし、二年前、異能者で構成される特別部隊クリムゾン編成のために王都へ呼び戻された後も、息つく暇などまるでなかった。


 がむしゃらに王国に尽くしてきただけに、聖レーヌ勲章の授与者に選定されたと聞いたときは、心の底から歓喜した。それで十分すぎるほど報われた。だからこれ以上の特例は手に余りすぎる。

 陛下とて、議会と意見を異にしても平然としているが、彼らを敵に回していいことなど一つもない。昇進を辞退すれば陛下は気分を害されるかもしれないが、それでも周囲の貴族ほどは悪く思ったりはしないだろう。


(勲章だけでもう十分だと伝えれば……)


「あら、遠慮しなくていいのよ、ディオンちゃん。」

「――え」

「アルバートちゃんもよ。ちゃんとあなたたちに聖レーヌ勲章をあげたことは覚えているわ。たった数分前のことを忘れちゃうわけがないでしょう。まだまだ耄碌もうろくするような年齢じゃないから安心してちょうだい」

「――は!?」


 い、いまっ、声に出していただろうか。いや、顔に出ていたのかもしれない。

 心の声を読んだような絶妙な合いの手に、ぎょっとしてアルバートを見ると、彼もばつの悪そうな表情で見つめ返してくる。

 唇をへの字に曲げ、頬がかすかに赤らんでいるのは、図星をさされたからだろう。

 普段だったらそのことにたしなめるような反応を返したところだったが、このときばかりは陛下への驚きのほうが凌駕していた。


(いったい、どうなっているんだ……)


「あら、ふたりともどうかしたのかしら? 幽霊でも見たような顔をして」

「陛下。彼らはアイリスになじみがないのですよ。心に思ったことに返事を返されては困惑させるだけです。それに、常日頃から他人の心を覗くのはあまり褒められたことではないと、ご忠告申し上げているでしょう」

「まあっ、ごめんなさいね。わたくしとしたことが。でも侍従長。語弊を招かないように言っておきますけれど、わざと覗いたわけじゃないのよ。これでもプライバシーは尊重しているもの。今回は偶然視えてしまっただけ」


(……のぞく? ……視えて?)


「ええ、そうよ。説明もなしに驚かせてしまってごめんなさいね。あなたたちふたりは、アイリスという能力について聞いたことがあるかしら? 王家の女性に代々伝わるこの瞳はね、見通してしまう力があるのよ」

「……アイリス」


 つられるように指でさししめされた先を見ても、なんの変哲もない双眸があるだけだ。青みがかった紫の瞳。その名前の通り、まるでアイリスの花のような……。

 そのとき、ディオンの脳裏に戦場で耳にした噂話が、ふっと、よみがえった。


『案ずるなかれ、勝利は近い』 

『我等の母はすべてを見ておられる』

『国花なるアイリスの剣は老獪なる獣の野心を砕き、諸悪の根源である鉄血王に聖なるいかずちを落とされるだろう』


 それは公国戦後期に、将校たちの間で盛んに交わされていた話題だった。

 当時は戦況が厳しく、終わりの見えない戦いに逃亡兵の数が激増していた。その噂は、士気を高めなければ自壊するような状況でささやかれ始めただけに、ディオンはできた話だと苦々しく思っていた。


 女王を神格化し「神が味方しておられるのだから公国に勝てるのだ」と信じ込ませるのは、負け戦を前にしてあまりにも非情なものだった。

 けれど、その後。神雷エクレイルと呼ばれる魔法兵器をもって、狙いすましたようにガレリア王の頭上に本物の雷が落ちると、誇張は真実となり、アルメール軍は破竹の勢いで公国を陥落した。


 当時はすごい偶然もあるものだと感心したものだったが――どうやら将校たちの言っていたとは花ではなく、この透視能力のことだったようだ。


「では、神雷がガレリア王たった一人を狙い撃ちにできたのは……」

「ええ。わたくしが意図したからよ。いくら敵対しているとはいえ、人の命を無益に奪うなんて愚かなことですもの。あの男にもそれが通じると思っていたのに……。わたくしの甘さが、大事な子供たちを大勢犠牲にしてしまった。だからこそ、将軍の指揮のもと最も危険な任務を担い、命を懸けて貢献してくれたあなたたちふたりには、聖レーヌ勲章という誠意をもって報いたいと思ったの」


 そんな思惑があったなんて、考えてもみなかった。

 ふたりが“女王の薔薇”に選ばれたのは、『見栄えがいいから』という声も、よく耳にしていた。ディオン自身、心の片隅ではそう思う気持ちもあった。

 それだけに、ディオンは新たな目で陛下を見つめた。


 玉座の中央にちょこんと鎮座した姿は、少女のように思えるほど屈託がない。

 きれいに整えられた白髪に重々しいほど厳かな王冠を乗せ、年齢を重ね皺と輝きを増した顔に笑みを張り付け、けれど同時に、母親のような愛情と温かさも併せ持っている。


 ふたりは親の情というものが、どういうものか知らずに育った。しかし、それでも養母の注いでくれた愛情は知っている。菫色の双眸に宿った情は、そんな懐かしい思い出を匂わせるほど親しんだものだった。


 そして、その直後。二人は慈愛に満ちた陛下の中に、口火を切った爆弾のように、過激な一面もあることを知った。


「だからね。どれほど周りが反対しようと、わたくしは自分の意思を貫き通すつもりよ。さっきも言ったとおり、望むものをなんでも一つだけ叶えてあげるというのは、建前でも何でもないのよ。お城でも爵位でも、もちろん、いけすかない上官のポストを奪うために士官学校に通いたい、でもなんでもいいわ。何か欲しいものはあるかしら?」

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