08 野次馬と豹変

 暮れなずむ夕日を、こんなふうにゆったりとした気分で眺めたのは、いつ以来のことだっただろう。 


 ここ最近は本当に忙しすぎた。陛下の雑用もたしかにそうだが、部隊の扱う仕事が何よりも多忙を極めていた。


 魔法が管理規制されているアルメール王国において、唯一の異能者部隊がクリムゾンなのだ。

 扱う案件も内紛の鎮圧や違法異能者の取り締まりから、人身売買や麻薬の密売など、年々大きな組織が関わる事件に変化しより複雑になってきている。その裏には必ず認知されていない異能者の存在があるからで、先日も一年がかりで追っていた過激派組織をやっと根絶やしにしたばかりだった。


 もちろんそんな中休みなど取れるはずもなく、王都に配属されて以来朝も夕もなく働き、まともな休暇は夢のまた夢。

 いつか過労で死ぬ、なんてアルバートは冗談をぬかしているが、冗談ですまなくなる前に、一度長期の休暇を申請するのも本気で考慮に入れるべきかもしれない。


 そんなことをぼんやりと考えながら、市の中でもひときわ賑わっている屋台群へと目を向けると。幼い子供たちが親を急き立て、菓子か何かをねだっている姿が見えた。

 その光景はどことなく懐かしかった。

 孤児院の子供たちも、お祭りになるとよくシスター・グレイシスに菓子をねだっていたものだ。

 その頃は屋台の店主が恵んでくれたたった一個のりんご飴を、みんなで分けて食べるのが精一杯だったが。今なら子供たちが悲鳴を上げるほど、たくさん買ってやることができるのだ。


 ディオンは孤児院での日々を思い出して愛しむように目を細めた。


(シスター・グレイシスは元気だろうか?)


 最後に会ったのは、やはり二年前の最後の休暇のとき。

『軍を辞めるまでは敷居をまたがせない』と意気込んでいた養母は、ふたりが大尉に昇進し陛下から聖レーヌ勲章を賜ったと伝えると、なぜかフライパンを両手に殴りかかってきた。

 あとで聞いた話によると、どうやらアルバートがいつものごとく、新手の冗談をついていると思ったらしいのだが。どうにかして誤解は解けたものの、結果的に号泣されてふたりとも困り果ててしまったのを覚えている。

 ちなみにアルバートのご褒美は、シスター・グレイシスがいいように采配を振るってくれた。陛下はもっと広く豊かな土地に新しい施設を建てるつもりだったようだが、結局孤児院の隣の森を開墾し、そちらに立派な施設を建てることで落ち着いたのだ。


 老朽化が激しかった元の住まいは取り壊すか迷ったけれど、修繕し納屋として今も残っている。あのボロボロな家には良くも悪くも思い入れがあっただけに、それは嬉しい知らせだった。と、いうのも。ふたりが故郷に滞在できたのはたったの三日間だけのことで、実際に改装の監督ができたわけではないからだ。

 手紙で素晴らしい施設ができたとは聞いたものの、慎ましい養母には王宮の厩ですら素晴らしいと表現しそうだから、自分の目で一度は確認しておきたかった。

 

(やっぱり、休みを取ろう)

 

 今なら一、二週間ほど不在にしても部下たちがうまくやってくれるはずだ。

 決心がつくとディオンは顔を上げた。

 アルバートはまた新たなマグを手に、市の立ち並ぶほうをぼんやりと眺めている。


「アル、今度の――」

「だぁ! そうじゃねぇだろっ、まどろっこしいなぁ、もう!」


 突然の大声に驚いて、ディオンは言葉を飲み込んだ。

 今度の休暇に里帰りをしないかと誘うつもりだったのだが、何か気に触ったのだろうか。

 怪訝な思いで見返すと、鳶色の瞳はディオンにではなく、市の立つ方角に向けられたままだった。


「もっと押せ! そうじゃない! そこであきらめるな!」

「……どうしたんだ?」


 アルコールが回ったのか、それとも市の中心で何か面白い出し物でもやっているのだろうか。目を凝らしてみたが、どこにもアルバートの注意を引くようなものは見当たらない。

 不審に思って訊ねると、返ってきたのは気の抜けた返答だった。

 

「んぁ? あの坊主が女にアプローチを仕掛けてるんだが、ぜんっぜん、ダメ」


(坊主?)


 どうやら出歯亀よろしく、ちちくり合うカップルを眺めていたらしい。ここからじゃ声も聞こえないだろうに。

 よほど想像力がたくましいのか、世の女性たちが好むように、他人の恋路に首を突っ込むのが好きなのか……。


「おいおいっ。そこに惹かれる気持ちはわかるが、お前はデカパイに見惚れてる場合じゃないだろう」


 いや、思考は完全に男だった。

 そして話を聞く限り、どうやら“坊主”は相当のヘタレのようだ。

 ディオンも興味を惹かれて視線の先をたどると、たしかに水牛の角をつけた給仕係の女性に話しかけられている少年がいた。十八か、十九か。

 この国では十八歳から飲酒が認められるから、まあ、セーフだろう。それに、給仕係の女性には見覚えがあった。

 ピッタリとしたスリット入りのワンピースドレスは嫌でも印象に残っている。その服と呼べるのか疑わしい、深紅の薄布に包まれた豊満な体つきは……確かに、目のやり場に困るほどだった。

 そんな女性にあだっぽく微笑まれ、直にマグを手渡されたりすれば、快く受け取るのが男というものだ。


「ちなみに坊主が気を惹きたがっている相手は、その奥にいる小柄な方な」

「……。なんで、女性だってわかるんだ?」


 指さされた方を目で追い、ディオンは疑わし気に眉をひそめた。その女性の少し先にたしかに連れらしき小柄な人物が見えるが、頭までフードをすっぽりとかぶっているせいで、性別までは判別できなかったのだ。


「んん? 勘?」

「……勘て……」

「なんだよ? オレの第六感はいつだって冴えてるだろ。――てっ、ああ! そんなこと言ってるうちに――まて! まて! まて! おいっ。やめろって。ここぞというときにそんなことをしたらぁあ!」

「…………」

 

 当然、アルバートの野次のような助言は、はるか向こうにいる少年の耳に聞こえるはずがない。


「あっちゃー」

「……あれは潰れたな」


 樽に肘をつき頭を抱えたアルバートから、再び広場へと視線を戻したときには、少年は連れらしき人物の腕の中だった。

 エールのアルコールはそれほど高くはない。と、いっても酒に弱ければ別だが。

 景気づけとでも言って渡されたエールは、少年に勇気を与える以前に平衡感覚を奪ってしまったらしい。

 地面と親しくする前に、受け止めてもらえてよかったと思う反面。思い人に支えられ、よたよたと千鳥足で揺れている姿は何とも哀れだった。


「完全に、始まる前に終わったな」


 その言葉には同感だった。しかし外野からこき落されている少年が、だんだんかわいそうにもなってくる。


「アル、あんまりけなしたら可愛そうだぞ」


 苦笑を浮かべながら少年を弁護すると、アルバートは抗議するようにただ鼻を鳴らした。


「これが言わずにいられるか?」

「詮索好きは身を亡ぼす、っていうだろう。彼女たちの関係だってただの友人か、兄妹だって可能性もある」

「いーや、あれは完全に男が女に懸想してるね。しかもまったく相手にされてない。いいか、脈のあるなしを見極めるのは恋愛において最重要事項だ。男女の駆け引きは要塞を落とすのと同じ」

「いや、要塞に例えるのはどうかと思うぞ。お前……最近陛下に感化されてきてないか」

「げっ、やめてくれよ。オレはベタな恋愛小説を人に勧めたり、余計な仲をとりもったりしないぜ」

「…………」


 この前、『殿下はもう少し同年代の娯楽を楽しいんだほうがいい』とかなんとか言って、恋愛小説を贈ったのはどこの誰だったか。

 その後、殿下が鬼の形相でアルバートを探していたことは、黙っていることにしよう。


「それはそうと――……」


 なんでこんな話になったのだったか。ディオンは休暇の話題に戻そうとアルバートを振り返り、ふと動きを止めた。

 視界の隅で青年が体を起こし、ふらつきながらもどうにか立とうとしている。それだけなら良かったのだが。何かがおかしい、そんな気がする。

 揉めているのか動きが不穏で――驚いたことに、突如少年が手を引いて歩き出すと、小柄な影は激しく抵抗した。


「ん? どうかしたか?」


 アルバートが表情の変化に気づいて訊ねてきたが、ディオンは奇妙な感覚にとらえられ答えられなかった。


(なんだろう、この感じは)

 

 なんだか妙に落ち着かない。見えない糸に手繰り寄せられるような奇妙な感覚がした。しかしそれが何かは、はっきりしなかった。そして――。

 ふいに小柄な人物が人波に揉まれながら路地の方へと消えていくのを目にした瞬間、ディオンは衝動に突き動かされるまま駆け出していた。


「――おいっ、ディオン!」


 背後でアルバートの驚いた声が呼び止めるのが聞こえたが、彼は立ち止まらなかった。

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