07 正反対なふたり

「ぷっは――! 生きかえるぅぅぅう! やっぱ昼間っから飲む酒は最高だぜ」


 真鍮のマグになみなみと注がれたエールを一気に飲み干すと、アルバートは樽で作られたテーブルにマグをどんと打ち付けた。

 その横を仮面で顔を隠した女性たちが、くすくすと笑いさざめきながら通り過ぎていく。うなじで束ねられた燃えるような赤毛と言い、この派手な仮装と言い、大柄な体躯が相まってまるで海賊のようだ。


 けれど、その粗野さと愛嬌のある仕草が女性の目に魅力的に映るのも事実で――アルバートが顔を上げ手を振ったとたん、周囲から黄色い歓声が上がり、ディオンは思わず苦笑を漏らした。


「羽目を外すのは良いが、あんまり飲みすぎるなよ。明日も仕事だぞ」


 街路樹にもたれ広場の喧噪を眺めながら、何の気なしに言ったつもりだったのだが。返ってきたのは大仰な溜息だった。


「あぁ、やだやだ、これだからお硬い副官殿は」

 

 おまけにいかにも呆れましたと言わんばかりに、天を仰いでぐるりと目を回され、ディオンは傷ついた声をあげた。


「そんなにうんざりしなくても……」

「知ってっか――ディオン・ロージス大尉は仕事中毒なうえ、女を寄せ付けない超堅物だって言われてるの」

「……なんだそれ?」


「んん? お前ときたら、陛下のお供で夜会にでても、全然ダンスも踊らないし誘いにものらないだろ。漆黒の髪。青と緑が混じった瞳。すらりと整った目鼻立ちは爽やかで、柔らかい物腰は貴族顔負けなほど紳士的。ぜひともお近づきになりたいと話しかけてみたところで、陛下にべったりか『職務中です』の一言で、とりつく島もあったもんじゃないってこと」

「……」


「ああ、こういうのもあったな。『長い軍隊生活で鍛えられた体はむしゃぶりつきたくなるぐらい素敵なのに。あからさまな誘いにもわたくしの魅力にも屈しないなんて、とんだ唐変木かきっとアッチの趣味の人に違いない』って――」

「……やめてくれ」


 それを言ったのはきっとレディ・イレーヌに違いない。先日の夜会でしつこく迫ってきたのをはねのけた後、アルバートに泣きついていたのを見たから。

 彼女には多少きつく言いすぎてしまったと気をもんでいたのに、とんだっしっぺ返しを食らったものだ。


「それでお前は、その根も葉もない話を今みたいににやにやと、ただ聞いていたわけか」

「そりゃそうだ。オレは野郎よりもレディの味方だからな」

「まったく。ありがたすぎて涙が出てくるよ」


 そのレディが本当に淑女レディかは疑わしいところだが。

 アルバートには、相手が貞淑かどうかなんて全く関係ないのだろう。


「でも実際のところどうなのよ? 性格はともかく、レディ・イレーヌは超絶いい女だったぜ。今までだって袖にしてきた女は数知れず。どんな美女が寄ってこようと興味を示したところなんて一度も見たことないけどな。本当はレディ・イレーヌが言うように……」

「アッチの趣味なわけがないだろう」


 面白がるようなアルバートを、ディオンはすっぱりと切って捨てた。


「別に女性に興味がないわけじゃない。ただ、職務中に気を散らされるわけにはいかないし、何よりも蜜を求める蝶のように、花から花へ飛び移る女性は苦手なだけだ」


 一方で、アルバートに浮いた噂が絶えないないのは有名な話だった。

 愛嬌のある鳶色の瞳と気の利いた言葉で女性を翻弄し、いつでもどこにでも、呆れるほど女性の顔馴染みがいる。

 もちろんアルバートに節操がないと言っているわけじゃない。

 誰彼構わず手を出すわけでもなく、特に自分たちのように予期せぬ授かりものには慎重だし、既婚者には絶対に手を出したりしない。ディオンにはそうした遊びの何が楽しいのかまったく理解できないけれど、彼には彼なりのこだわりがあるのだ。

 同じ養母に育てられ、同じ環境で生活してきたというのに、ふたりは外見も性格もまるで正反対なのだ。

 

「あまり奇抜なことばかりやって、後で悔やむようなことになっても知らないぞ」


 今度こそ本当に忠告のつもりで言ったのに。

 またもやぐるりと目を回され、しかも今度は鼻まで鳴らして、アルバートはディオンの忠告をあっさりとはねのけた。


「おいおい、ディオン。限りある人生を謳歌しないでどうする? アルバート・クレイブン大尉といえば、クリムゾン副官の柔軟な方って言われてるんだぜ。多少のおいたは愛嬌のうちだろ? それなのに、お前はなあ……」

「べつに女性の影がなくても、じゅうぶん充実した日々はおくっているさ」

「一に仕事、二に仕事、三・四に仕事で、ときどき女王の雑用な。気が付けば爺さんになってるんじゃないか?」

「お前な……わかったよもう。昼間から飲む酒は最高。お祭り騒ぎ大賛成」


 にべもない友人の発言に、あっさりと負けを認めたのは自分でも堅苦しいことを言っていると自覚していたからだ。

 ディオンは降参したように両手を上げ、投げやりな賛同を口にした。しかし。


「この仮装も……センスが、最悪だ」


 自分の右頭部でふよふよとそよぐ、得たいの知れない大きな羽を思いだしとたん、ディオンの口から盛大なため息が零れ落ちる。


(なんだってこんな色を……)


 マントの色はどうにか自分で選べた。銀の仮面に羽がついているのも、まだ許せる。貸衣装屋の仮面はどれもこんな感じだったし、中にはもっとギラギラとビーズらしきものがちりばめられたものもあったから。

 だが、この羽の色はいったいどうしたことか。

 知らないうちにアルバートが選んだのは、蛍光ピンクの羽飾りがついた仮面だった。それも、一枚どころではなく何枚も。

 借り物だから羽をむしり取るわけにもいかないが、やたらと存在感がありすぎる。


 風が吹くたび頭の横で揺れ動き、なによりも――自分の感性が人とかけ離れていない限り――黒髪にこのピンクは、あまりにも奇抜すぎるのではないだろうか。

 ちなみにアルバートの羽飾りは髪色に合わせた真紅なのだから、悪意しか感じない。


「黒とか茶とか、もっと普通の色はなかったのか……」

「意外に似合ってると思うけどなあ」

「嘘つけ」


 さっきからこっちを見る度に、引きつった口元が言葉を裏切っていた。それでなくともこの羽根のせいで、周囲からものすごく注目されているのだ。

 とくにご婦人方の視線が痛いほど突き刺さる。脇を通るたび、女性からまじまじと見つめられている気がするのは気のせいではないだろう。

 アルバートみたいに注目されることが気にならない性格なら平然ともしていられるだろうが、そうでないディオンにとってこの状況はひどく据わりが悪かった。

 それに頼んでもいないのに、エールのマグまで押し付けられたところを見ると、面白がられてもいるようだ。


 頭に水牛の角をつけ給仕係の女性に、意味ありげな微笑みを向けられたときは、いっそ仮面なんてとってしまおうかとも考えた。だがここまで大勢の人に目撃されたことを思うと……もはや素顔をさらす勇気はなかった。


「こんな浮かれた格好の二人が特別部隊クリムゾンの副官、おまけに“女王の薔薇”だなんて知られたら、信用を落とすぞ」

「まあまあ。今日は久々の休暇なんだし、仕事は忘れて楽しめよ。故郷を出てから十二年にもなるけど、オレたちにとったら初めての春霊祭だぜ」


 その一言で、ディオンの中から服装に関する不満は消え失せた。

 意外にもアルバートの声には感傷が混じっていた。彼にしては珍しい。


「……十二年、もうそんなになるのか」

「ほんと、あっという間だったよな。まあ、王都に来たのも二年前だし、こんなお祭りがあったなんて知らなかったのも無理ないけどな」


 毎日生きるのに必死で、よそ見する暇なんてぜんぜんなかったもんなぁ――と。

 その言葉が物語るように、二人の青春はずっと戦場だった。十四歳で故郷を発ってから、叙勲を受けるまでの十年以上も。

 その後王都に配属されたが、二年たった今でもこの街のことはまだまだ知らないことのほうが多い。


 二十六年の人生は怒涛のように過ぎ去ったが、ほとんど同じ毎日の繰り返しで、これからの人生のほうがより多くのことを学ぶのだろう。

 それもこれもあの国境を超えた村で、ドライデン将軍に拾っていただけたからだ。そうでなければ今もまだ、ただの一兵卒として死線を駆け抜けていただろう。あるいは、無能な上官のもとで命を落としていたか。


 アルバートも同じことを考えたのか、不意にその口元に懐かしむような笑みが浮かんだ。


「過去は過ぎ去った。さあ――乾杯しようぜ、兄弟」


 近づいてきた男の給仕係からおかわりを受け取ると、アルバートはマグを突き出した。ディオンも相好を崩して、樽の上に置き去りにされていたマグを取り上げる。


「オレたちの輝かしき日々に」

「この国の平和に」


 乾杯と声を合わせると、二人は強く打ち鳴らした。

 普段だったら栓のしていない飲み物は絶対口をつけないのだが、今日は特別だ。アルバートじゃないが、たまには仕事を忘れるのもいいかもしれない。

 少しだけ口に含むと、爽やかな苦味の後に花のような香りと甘みが広がっていく。そのエールの酵母とはどこか異なった風味に、ディオンは微かに眉を寄せた。


(なんだ? いつも飲んでいるエールとはどこか違う気がする)


 醸造所によって味は若干異なるだろうが、舌に残る刺激がどことなく気になる。


(俺の舌がおかしいのか?)


 不安に思ってアルバートの方を窺うと、呆れたことに上機嫌で三杯目に手を出しているところだった。

 自分が些細なことにまで敏感になりすぎているだけなのかもしれない。そもそもこんなところで出されるものに毒が混ざっていれば、とっくに騒ぎになっているだろう。

 それでも念のため、マグを樽の上に戻したのは、好きになれない風味だったからだ。これを作った人間にケチをつけるつもりはなかったが、甘い香りが嫌に鼻につく。

 だからエールを愉しむのはアルバートに任せ、ディオンは木の幹にもたれながら黄昏色に染まっていく市の賑わいを眺めた。

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