06 天然と大博打

 十分後。二人は商品をぎっしりと積んだ荷車を押しながら、市の立つ広場を目指して歩いていた。


 大通りを使えないぶん、えらく時間がかかる。それに路地に入ったり大通りに戻ってみたり、複雑すぎてすでに自分がどこに立っているのかわからなくなっていた。


 エド曰く、旧市街の大通りはクレッセント広場を中心に放射状に広がっているから、方向さえ見誤らなければ迷うことはないというのだが。

 そもそも路地が入り組んでいるので、方向すらも見失ったときはどうすればいいのだろうか。

 まったく。昔の人は何を考えてこんな乱雑に建物をたてたりしたのだろう。どこもかしこも行き止まりばかりで、まるで迷路のようだった。


 そのせいもあって、王宮の北側に豪奢な街が拡張されると、貴族や豪商人をはじめとする特権階級の人々は、こぞって新市街へと移り住んだ。

 治安の悪化に危機感を抱いたルイーゼ十三世が、都市復興案を議会に投じ、政策が実行に移されるまでの十数年間。旧市街の人々は戦争の影響と無法集団に悩まされていたという。終戦後、ガレリア公国から異能者や学者が旧市街に流れ住まなければ、この街はすたれていく一方だったのだろう。しかしながら、とくにガレリア公国の学者は、アルメール王国では研究が進んでいなかった魔法技術を携えてやってきた。

 まだまだ貧民街は取り残されたままだが、エトワールが移り住んだ頃と比べると、街は格段に活気を取り戻しつつある。


 その証拠に、広場へと続く道はどこも人で埋め尽くされ、歩くだけでも一苦労だ。

 遠くのほうにミエルフルールの屋台の赤い屋根が見えているというのに、いっこうにたどりつける気配がない。噂には聞いてたが、王都の人間がすべてこの小さな広場に集まってきているのではないだろうか。


「すごい賑わいだろ?」


 あまりの活気にエトワールが目を丸くしていると、エドが肩越しに振り返った。


「毎年こんなに人が多いの?」

「いや、ここ数年は観光客ばっかりだったけど、今年はいつもより人が多いかもな。ちらほらと新市街のお偉いさんとかの姿もあるし……」

「新市街のお偉いさん?」

「ああ、ほら。あそこ……街路樹沿いに樽が並んでるだろ」


 指で差されたほうを見ると、確かに直線状に植えられた街路樹に沿って、大きな樽が等間隔に置かれている。その奥にはカラフルな屋根の屋台が並び、その色と同じお仕着せを身につけた給仕係が、アルコールや食べ物を手に大声で客引きをしていた。

 だから樽はテーブル代わりに並べられているのだとすぐに分かった。そのいくつかでは、すでに仮装した人々が簡素な真鍮のマグを片手に談笑している。

 継ぎあてのズボンや荒い布地のスカート、貸衣装屋の古いマント。

 あまり上等とは言えない服装の人々がひしめく中、上質なオリーブ色の裾が目に入り、エトワールの口から無意識に疑問が零れおちていた。


「軍服……」

「そうそう。生まれは旧市街なのに、軍服を支給されたとたんふんぞり返って歩いてるからさ、陰では“新市街のお偉いさん”て呼ばれてるのさ。戦争に行ってもいないのに、終戦からこっち軍人てだけで自分たちは特別だと思ってる」

「でも、どうして? 旧市街の出身なら、その……あまり昇進はできないんでしょう?」


 軍の仕組みに詳しいわけではないが、生まれた場所が出世にどう影響するかくらいは知っている。人は生まれもった自分以上の人間にはなれないのだ。

 

「まあな。そうなんだけど、平民出の将校が二人も誕生したからさ。同じ軍人であることが一種のステータスだと思ってるんじゃないのかな。彼らが出世できたなら自分たちもあやかれるって勘違いしてるのかも。まあ、実際ああやって見せびらかしてるわけだけど、そもそも一般部隊オリーブ特別部隊クリムゾンじゃ格が違うし……あんなんじゃ、相手にされるはずがないよな」


 あきれたように肩をすくめるエドから、再び軍服姿の集団に視線を戻し、エトワールは静かに頷いた。

 

(確かに。あれじゃ軍人ていうよりも、酔っ払いって感じよね)


 開かれた前身ごろからは締まりのない胸元がのぞき、ズボンからはみ出したシャツは皺だらけ。形の崩れた軍帽は斜めにかしいでいて――自分たちは格好よく気崩しているつもりだろうが、どう見てもだらしがない。

 周囲にいる女性たちの気を惹こうと、大声でしゃべっているのもなお悪く、惹いているのは関心ではなく顰蹙なのは明らかだった。


 それどころか、女性たちの視線の先はまったく反対の方向に向けられていた。

 はっきりと彼らに目もくれないのだから、気づいてもよさそうなものだが。羨望の瞳を一心に集めているのは、隅のほうでくつろいでいる二人組の男性だった。

 貸衣装屋の質素なマントに仮面をつけただけの姿は、奇抜な羽飾りがついた仮面以外、決して目立つわけではない。けれど飾らない姿が魅力的に映るのだろう。


 ふいに、赤い髪の男性が視線に気づいて顔を上げ、彼が白い歯をきらめかせて女性たちに手を振ると、とたんに黄色い歓声がそこかしこで上がった。

 二人はその喜劇のような場面に顔を見合わせると、思わず吹き出し苦笑とともにその場を通り過ぎた。


「ちょっと前だったら考えられない光景だよな」


 再びエドが口を開いたのは、少し進んでからだった。


「なにが?」

「さっきの、金持ちのお嬢さんたちだろ。いくら仮装してても、絹のスカートや宝石のついた仮面をつけてちゃな。今までだったら旧市街のお祭りどころか、この街の存在すら嫌悪してたのに、今年は結構混じってるみたいだ」


 そのことはエトワールも気づいていた。でも、このお祭りは特別なのだろうとさして疑問に思わなかったのだ。


「いつもはあんまり見かけないの?」

「そうだな。たぶん旧市街出身者とか、貴族の中でも変わり者とか。ちらほらとはいたけど、あんなにお嬢さんて感じの人たちを見かけ始めたのは去年からかな」

「ふうん。でも、それっていいことよね? 街に活気が戻ればお店も繁盛するし、景気も良くなるもの。そういえば、本店のほうにもたまに紳士階級のお客さんが買いに来てくれるようになったって、ローナが騒いでた気がする。たしか、『評判の天使に会いに来た』とかなんとか」


 その日は非番だったし、普段は忙しすぎて相手の服装や容姿になんて目をくれる暇もないから、エトワールには未だに誰がそうなのか、よくわからなかったが。それ以来ちょくちょく来店しているらしい。


「それね……誰もあんまり爵位は高くないし、おまけに次男三男だけど……個人的には本店に出入りされるの、嫌なんだよね」

「え? そう? ああ、でも、そうね。厨房は絶対に覗かれたら困るものね」

「んー。いや、まあ、それもあるけど。……目的が気に入らない……オペラ座のほうに支店もあるんだし、会いたいのが本当に使なら、支店の看板にくっついてるのを拝んでればいいのに」

「――?」


 珍しく毒を吐くエドに、彼は貴族が嫌いなのだろうかと首を傾げたときだった。


「おーい! 二人とも、こっちだよ!」


 屋台が立ち並ぶ通りから恰幅のいい女性が躍り出てきて、二人はどちらともなく顔を向けた。


「ああ、まったく今年は大盛況で忙しいたらないよ」


 そう言いながらも、女将さんの顔は上機嫌に輝いている。これなら、今月は臨時収入が期待できるかもしれない。


「思ったより道が混んでいて。だいぶ遅くなっちゃいましたけど……」

「いやいや、もっとかかるのを覚悟してたから、むしろ予想より早くて助かったよ」


 女将さんに従って屋台まで荷車を進めると、売り場の前には長い行列ができていた。フリルの付いたチョコレート色のお仕着せを来た売り子たちが、声を張り上げて商品を売っている。噂にたがわずすごい盛況ぶりだ。


「任しといてくださいよ。このオレにかかればどんな抜け道だって、探し出してみせますから」

「はいはい。エトワールの前だからって調子いいことばかり言って。いざってときはヘタレなくせに、こういうときばっかり大きく出るんだから。まったく」

「へ、ヘタレ」


 得意げに胸をたたくエドを、女将はふんっ、と鼻であしらった。

 そっけない反応が意外だったのか、エドの肩が見る間に落ちていく。


「悪かったね、エトワール。休みもなしに配達なんてさせてさ。疲れただろう」

「ええ。でも、エドの案内があったし、ほとんど混む道は避けてくれたので」

「エトワールぅぅ」


 励ますように笑いかけると、隣から感極まったような声が返ってきた。

 それに思わず忍び笑いをこぼしてしまったのは、潤んだ眼差しでこちらを見つめてくる姿が、まるで大きな骨をもらった子犬みたいに喜びに輝いていたからだ。

 そして、一喜一憂するエドに再び鼻を鳴らしながらも、女将の目にも同じ思いが浮かんでいた。


「まあ、なにはともあれ良かったよ。もう店に戻っても片付けくらいしか残ってないし、特別手当だ。二人ともこのまま上がっていいよ」

「ほんとっすか!」

「ありがとうございます」


 心配はしていなかったけれど、これでエドはお祭りに行ける。

 エトワールもエドとは別の理由で弾んだ声を上げていた。


(明日は遅番だし、今から泊りで行けば……)


 おじさんには、今日は祭りだから来なくていいと言われていた。けれどここ何週間か忙しくて会いに行けなかったし、ベーグモントおじさんのことだから、きっと今夜は一晩中診療所を開けておくつもりだろう。

 去年は食事も取れないほど散々だったとぼやいていたから、たとえ断られたとしても今年は絶対に手伝うつもりだった。


 エトワールにとって、唯一肉親とも呼べる人はベーグモントだけだった。父の友人だった男性は、友の最後の願いを叶えるために、エトワールのことを男手一つで引き取ってくれたのだ。


 一緒に過ごした時間はほんの数年のことだった。だが、こうして別々に暮らすようになってみると、ときどき独りきりの部屋が無性に寂しく感じられる。

 だからエトワールは少しでも暇を見つけては、診療所の手伝いに行くことにしていた。それはおじさんに会うための、単なる口実にすぎなかったが、おじさんの役に立てることなら、なんだってするつもりだ。


(今日だってゆっくり話はできなくても、手伝いくらいはできるはず!)


 自分でも知らぬうちに、逸る思いが表情に出ていたのだろう。

 女将はエトワールを見ると、意外だといわんばかりに目を丸くした。

 

「おや、珍しくエトワールもはしゃいでいるじゃないか」

「え? そうですか?」

「ああ。いつもだったら、最後まできちんと働くって言い張るだろ。まあ祭りは一年に一度のことだしね。パレードや屋台も夜まで続くし、たまには羽目を外しても罰は当たらないさ」

「そうっすよね! じゃあ、オレたちはこれで。今日はギルのやつがパレードのいい席を取っておいてくれる約束なんで」

「へえ、誘っていい返事が訊けたのかい? 誰と行くのかはあえて聞かないが、まあ頑張んな」

「そうね。楽しんできて。よかったら後で感想を聞かせてね」


 また明日――そういって手を振ろうとしたとき。エトワールは二人が何とも言えない表情をしていることに気が付いた。

 女将さんは悩まし気にエドに視線をくれているし。エドは……なんだか、泣きそう?


「……」

「……どうしたの? お祭りに行くのでしょう?」

「あんたは行かないのかい、エトワール?」

「ええ。今日はエレナもご家族でお祭りにいくって言っていたので、診療所の人手が足りなくて。おじさん一人じゃ大変でしょうから。……あの、でも……なにか手伝いが必要なら――」


 おじさんの所に行くのはまた別の日でも大丈夫です。

 そう付け足したのは、自分を見つめる二対の瞳があまりにも何かを訴えかけようとしていたからだ。

 けれど何を思っていたにせよ、彼らの胸のうちをエトワールが知ることはなかった。


「いやっ、なんでもないよ! あんたが顔を出せば先生も喜ぶだろ。診療所に行くなら暗くならないうちが良いし、気をつけてな」

「はい。じゃあ、お言葉に甘えて……」


 お先に失礼させてもらいます。と、小さく頭を下げると、エトワールは今度こそ踵を返した。


(本当に暗くなる前にたどり着かないと)


 診療所への道は広場より南側、旧市街の中でも特に貧しい地域にあるのだ。治安もあまり良くないし、遅くなるとおじさんもいい顔はしない。

 売り場の前を通り過ぎざま同僚たちに手を振って、エトワールはフードを目深にかぶると診療所へと急いだ。

 その頭の中はすでに、診療所を営んでいるのことでいっぱいだった。


♢♢♦♢♢


「まったく、天然も考えものだね」


 やれやれ、と首を振りながらつぶやかれた言葉は、周りの同僚に声をかけながら去っていくエトワールの耳には入っていなかった。

 こんなにわかりやすいアプローチなのに、鈍感とは恐ろしいものだ。


「ほらっ、エド!」


 ドスの利いた声とともに、エドの背中を分厚い手が叩く。すたすた遠ざかっていくエトワールの後姿を涙を浮かべて眺めていたエドは、その衝撃に思わず飛び上がった。


「はっ、はいっ!」

「まったく肝心なところで呆けてんだから。ボケっとすんな。泣いててもいいから追いかけなっ。それと、ちゃんと――、途中で祭りに誘うのを忘れんじゃないよ」

「あ、ありがとうございます、女将さん――」


 再びバシンっと背中を叩かれてよろけたものの、エドはわたわたと走り出すとエトワールを追いかけた。


「まって、まって! エトワール! そこまで一緒に、いや、ベーグモント先生のところまで送っていくよ」

「大丈夫よ、エド」


 エドはエトワールに追いつき横に並ぶと、どうにかして彼女を祭りに誘う口実をひねり出そうとした。が、エトワールはそんなエドの心中など知る由もない。


「おじさんのところまでは路地裏を抜ければいいし、そうしたらお祭りとは離れていっちゃうでしょ」

「そうなんだけど、そうじゃなくて……ああ、ほら、出店の食べ物とかもっていけばきっと先生が喜ぶかも。だからさ――」

「うーん、おじさんは、ああいうところで出しているものは絶対口にしないのよ。味も中身も信用ならないって言うの」

「う、うん? ……そうなんだ……じゃあさ」

「ん? なあに?」

「…………。……いや、何でもない」


 言葉に詰まりながらも、エドはどうにか知恵を絞りだそうとしたようだったが、結局妙案は出てこなかったみたいだ。しばらくすると、無難な話題に切り替えたらしいエドの背中に向かって、あきれたため息が吐き出された。


「まったく。ストレートに言えって言ったのに」

「まあまあ、女将さん。それでこそあの二人でしょ」

「そうそう。そうじゃなきゃ面白くないし、賭けにならないですよ」


 颯爽と歩くエトワールと、その後ろをトボトボとついて歩くエド――ミエルフルールの従業員たちは、毎度おなじみのその光景に、見守るような表情を浮かべながらも、一様にポケットをあさり始める。

 そしておもむろに。彼女たちが取り出したのは、鈍色に輝く硬貨一枚。


「何事もなくベーグモント先生の所に着くに六ペンス」

「エドだけ祭りに送り出されるに六ペンス」

「じゃあ、今回はエドが漢に目覚めるのに一オンズ」

「え!」


 大博打にでた同僚に、周囲から驚きの声が上がる。

 あのエドにそんな甲斐性があるわけがない――それが一同のたどり着いた答えだった。

 だからいつも賭けの対象は、『どうやってエドがあしらわれるか』について。エドの成功に賭けた仲間は、いまだかつていなかったのだ。


「ローナ?」

「そんな大損するのが分かっててエドに味方するなんて、とうとう同情しちゃったの?」

「まあまあ、見てなさいって。――今日はお祭りよ、何が起こってもおかしくないわ」

「だからって……」

「……ねえ」

「あとで取り消しても賭け金は戻らないわよ?」


 半ば呆れた口調で笑われ、けれど、ローナと呼ばれた売り子は不敵に笑った。


「信じる者は救われる。エドだって酒の一杯や二杯引っ掛ければ、漢になってみせるわよ」

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