第14話 尾道ーアン独白ーpart2
「それにしても、お腹すいたわねえ」
海岸線に沿って東西に延びる商店街を歩きながら、あたしはランチをどうするかで悩んでいた。
スマホで見た観光サイトによると、この商店街は昭和ムード漂う古いお店と観光客向けの新しいお店が混在した人気スポットらしく、そう言われてみると使われていない銭湯をリノベしたおしゃれなカフェや渋谷にでもありそうなレストランなどがたくさんあるが、あたしの悩んでいることはそんなんじゃないんだな。
「結局、どの店の尾道ラーメンが一番なのよ!!」
こう言ったらみんな驚くけど、あたしはフレンチやイタリアンなんかよりーーもちろん嫌いじゃないけどーーラーメンが大好きなんだ。普段は事務所NGで我慢して来たけど、もう関係ないんだからせっかく曽祖母(ひいおばあ)ちゃんの屋敷を訪ねてこんなところまで来たからには名物の尾道ラーメン、それも一番美味しいやつを食べたいってわけ。
尾道ラーメンってのは鶏と小魚からとった澄んだスープに平打ち麺、背脂のミンチが乗ったあたしの大好きな昔風の醤油ラーメンに近い絶品のラーメンーらしい。らしい、ってのはまだ食べたことないからね。
でも、さすが本場だけあって街中にラーメン屋さんはあふれかえっているし、グルメサイトはあたしのだいっ嫌いな広告代理店が絡んでいるのを知っているから基本的に信用できないし。
悩んだ挙句、自分の直感を信じて選んだのは商店街の中心から少し外れた場所にある、あんまりお客さんのいない古びた小さなラーメン屋さんだった。
カウンターだけの小さな作りの店内には、夫婦らしいカウンターに立つ無愛想な中年のおじさんと水を持ってきてくれたニコニコ笑顔のおばさんだけで、お客はあたしひとりだった。
「あの、すいません、尾道ラーメンください」
カウンターのおじさんに声をかけたが、返事はない。
「あの……尾道ラーメン……」
「……中華そばね」
「はい?」
「うちは中華そばしか作ってない。尾道ラーメンなんか知らん」
おじさんはぶっきらぼうに答えるとそれっきり黙ってラーメンを作り始めた。あたしが困惑していると、おばさんが苦笑いしながら話しかけてきた。
「ごめんねえ、あのひと頑固やさけえ。あんたはもう何を言いよるん、お客さんびっくりしとるやろう!」
「……あの、尾道ラーメンじゃないんですか?」
「ああ、うちは八十年以上前、あの人のおじいさんの代からラーメン屋をしとるんじゃけど、昔は中華そばって言いよったんよ。それがいつのまにか真似するお店がたくさんできて、いつのまにか尾道ラーメンって呼ばれるようになったんやね。あの人、それが大キライやさけえ、ずうっと中華そばって言いよるんよ」
「え、じゃあこのお店がこの街の最初のラーメン屋さんなんですか?」
「まあ、そう云うことになるんかねえ。ところでおねえちゃん、どっかで見たようなひとやねえ。どこじゃったかのう?」
「あ、あははは、よく言われるんですうう」
「はい、お待ち」
あたしが適当にごまかしている間に、おじさんが出来上がったラーメンを目の前に置いた。
コロコロした背脂が浮いたちょっと濃いめの醤油色のスープから、なんとも言えない香りが立ち上り、あたしはレンゲで熱々のスープを口に運んだ。
そう、ラーメンはスープから味わなきゃね。麺から行くのは邪道だとあたしは思ってるんだ。
「おいしいいい!!!」
もう、呼び方なんてどうでもよくなるくらい美味しくて、思わず叫んだあたしの声にカウンターの中のおじさんが小さく笑っているのが見える。
あたしがスープによく合う平打ちストレート麺を夢中ですすっていると、ガタッっと云う音が聞こえてきた。
チラッと顔を上げると、店の奥からかなりの年齢のおじいさんが現れて、出前用の岡持ちを持っておぼつかない足取りで出かけようとしている。
「お義父さん、何をしよるんですか!」
おばさんが慌てて駆け寄って、おじいさんを支えている。
「あんた、誰ねえ?……ぼく、出前に行かんと……」
「おとうちゃん、どこへ行くんや!もう出前なんかしとらんじゃろうが!」
おじさんの大声に、あたしはちょっとビクッとしたけど、あんまりジロジロ見るのも失礼な気がして背中を向けて気づかないふりをする。
「……あ……お父ちゃん?ぼく、行かんと……あそこで、あの人、ずっと待ってるさけ……」
「おとうちゃん!」
おじさんの声が、ひときわ大きくなった。
「ずっと言いよるじゃろう!
もう、誰もおらん!
もう、白猫亭なんか無いんやて!」
怒りよりも切なさに満ちたおじさんの怒鳴り声と、突然現れた『白猫亭』という言葉にあたしは思わず振り返り、おじいさんと目があった。
「アンおばちゃん……?」
おじいさんは、驚いたように目を見開いて、あたしに向かってうれしそうに微笑んだ。
「ぼく、今からアンおばちゃんのところへ出前しようと思っとったんよ。ぼく、いい子やろ?またクッキーちょうだいな。また、いつものようにイギリスのお話聞かせてな……」
あたしは思わず席を立ち、おじいさんに近づいた。
「……おじいさん、うちの曽祖母(ひいおばあ)ちゃんを知ってるの?」
「だから……アンおばちゃん。さびしくても、泣いたらいけんよ……」
おじいさんの優しい声を聞いた瞬間、なぜだかわからないけど、涙があふれてきて、あたしは声をあげて泣き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます