第15話 『尾道 白猫亭』に関するいくつかの事象

 Wikipediaより 『尾道 白猫亭』


 眼下に尾道の街並みとおだやかな瀬戸内海を見下ろす千光寺山。

 その頂上から少し下った、海を一望にできる開かれた場所に白猫亭はあった。


 かつてイギリスの名門貴族ウォルズリー家のひとり娘であるアン・ウォルズリーがイギリス留学中の日本人建築家・吉岡聖隆と恋に落ち、駆け落ち同然に日本へやって来て移り住んだのが、吉岡の故郷である広島の中でも風光明媚な古都として知られるこの尾道だった。

 吉岡は古くから別荘地としても有名であった尾道の伝統的な別荘建築様式である『茶園建築』とバウハウスやアールデコといった様々な西洋の建築様式を複雑に取り入れた二階建ての屋敷を建て、そこで建築事務所を開いた。

 その一風変わった外観は地元でも名物的な存在となり、明るく美しい妻アンの魅力も相まって仕事も順調、吉岡夫妻は地元の名士として充実した日々を過ごしていたのだが、長男アーサー=太郎に続いて二人目の子供である長女のジョディ=華子を授かった頃から、夫妻を悲劇が襲う。

 

 吉岡が伝染性の難病にかかり、遠く離れた山中の病院に長期療養で隔離入院することになったのだ。

 アンは吉岡を慕う部下の大工たちの協力もあり子育てをしながら仕事を切り盛りしていたのだが、1938年、実家であるウォルズリー家の相続問題でまだ十歳の息子の太郎を手放すこととなる。

 その後、第二次世界大戦が始まり敵性国家となったイギリス出身ということでアンに対する世間の風当たりはうって変わって強くなり、また傘下の大工たちも徴兵に取られ建築事務所は閉鎖されてしまう。


 そして最大の悲劇は1945年8月6日ーー


 広島市に投下された原爆によって、長期の闘病から回復して広島市内の病院に転院していた夫・吉岡を失ってしまうこととなる。

 終戦後、まだ小学生の娘を抱えたアンは悲しみにくれる間も無く、自宅を改造し旅館として再出発を切る。

 これが『尾道 白猫亭』の始まりであった。

 名前の由来はアンと娘の華子を守るように常に行動を共にしていた美しい白猫から取られたと言われており、夫・吉岡の設計した他に類を見ない奇抜な外観と美しいバラが咲き誇る英国様式の庭園、そして青い目の女将であるアンの働きぶりが評判となり、白猫亭は多くの文人墨客が訪れる尾道の名物旅館として繁盛する。


 だが幼い息子を自分の都合で手放したこと、愛する夫を戦争で亡くした悲しみはアンの心に癒されることのない深い傷跡を残したようで徐々に塞ぎ込みがちになってゆく。

 そして娘・華子が成長し嫁いでしばらくしたある日、アンは突如旅館を廃業すると、屋敷からほとんど出ることもない世捨て人のような隠遁生活をおくるようになる。

 そしてある日ー庭園の手入れの途中に亡くなっているところを、数少ない訪問客である出入りのラーメン屋によって発見される。葬儀は親族とごく親しい身内だけで行われたが、生前アンの側に常に寄り添っていた白猫の姿はどこにも見当たらなかった。


 その後、訪れる人もなくなった屋敷は荒れ果て、地元では幽霊屋敷と呼ばれるようになる。

 一説によると今でも満月の晩には、中庭ですすり泣くアンの亡霊が現れるとも言われている。

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