第6話 レイジング・ガール part2

「危ない!誰か止めてー!」

「ああ、車道に出てしまう!誰か、誰か!」

 たくさんの悲鳴と空気を切り裂くような急ブレーキの音、そして断末魔のような何かがひき潰される音をアンが呆然と立ち尽くしたまま聞いていたその時ー。


「だいじょうぶ!ギリギリ間に合ったわよー!」


 聞く人を安心させるような、明るくて陽気な女性の声が響いた。


「安心して!傷ひとつないから!」


 鼻水を垂らしながら泣き叫ぶ男の子を小脇に抱え、笑いながら公園に入ってきたのは、周りの母親たちより頭ひとつ大きいアンの母親だった。


「アンちゃんのママ!」

「真理絵マリエさん、本当にありがとうございます!」

 男の子を抱きしめた母親が、泣きながら何度も頭を下げ続けるのをアンの母親が笑いながら止めた。

「ほら、もういいって!うちの子の自転車は見るも無残な姿になっちゃったけど、ケンちゃんが無事だったから、まあいいわ!」

「ああ、ごめんなさい!すぐに弁償します!」

「あら、ほんとう?そうしてくれると女手ひとつで子育てする身としては助かるわ!」

「でも、いったいどうして急に―」

「あ、ああー!多分、ケンちゃんも楽しくて力いっぱい漕ぎすぎちゃったんでしょ!気にしない、気にしない!じゃあ、食事の支度をしなくちゃいけないから、あたしたちはここで……」


 アンの母親は笑いながら他の母親たちに別れを告げると、すっかり元に戻ったアンの方にゆっくりと近づいてきた。


「帰るわよ、アン」

 その顔はいつも笑顔の絶えない優しいママの顔ではなく、アンが今まで見たことが無いほど固い表情を浮かべていた。



「やれやれ、もう途絶えたと思っていたのに。よりによってアンタに"力"が出ちゃうとはねえ……」

 二人暮らしのマンションに帰ると、母親はバラの花が描かれたお気に入りのロイヤルアルバートのカップに、とっておきの日にしか飲まないとびきり高い紅茶をゆっくりと注ぎながら、ため息とともにつぶやいた。


「……ママ、"力"ってなに?あたし、どうしちゃったの?」

 自分に何が起こったのか、皆目見当がつかず不安なアンは母親の顔をのぞき込むようにたずねた。

 母親はじっとアンの瞳を見つめると、静かな声で語り出した。


「いつかは話さなければいけないとずっと思っていたけれど……。これは、あたしたち一族だけに受け継がれてきた、秘密の力」

「あたしたち、一族……?」

「そう。あんたの曽祖母ひいおばあちゃん、あんたと同じ名のアン・ウォルズリーに流れる英国貴族ウォルズリー家の血を受け継ぐ人間だけが持つ、魔法の力よ」

「……魔法?あたしって魔法使い?じゃあ、ママやおばあちゃんも魔女なの?!」


「いいえ」


 アンの母親は自分自身を落ち着かせるようにゆっくりと紅茶を飲むと、話を続けた。

「この力は一族の中でも強い者と弱い者があり、ママやおばあちゃんには、ほとんど受け継がれていないようなの」

「えー、そんなの可哀そう!」

「可哀想?……あんた、さっき自分が何をしたか、もう忘れちゃったの?」

「あ……」


「この力はね、人を幸せにも不幸にもする、危険なものなの」


「おばあちゃんのお兄さんー大叔父の太郎さんはそれは強い魔法の力を持っていたそうよ」

「ご本にもなっている、吉岡=アーサー=太郎おじちゃんだよね⁉あれって、本当のお話しだったの⁉」

「ある程度は、本当の話よ。大叔父さんは、自分の母親である曽祖母ひいおばあちゃん以上の凄い"力"を持っていたために、わずか十歳で家族と別れてイギリスに渡って実家を継がなきゃいけなくなったのよ。それでも本当に幸せだと思う?」

「………………」


「ママも、おばあちゃんからこの力について話を聞かされた時は半信半疑だったわ。おばあちゃんも、曽祖母ひいおばあちゃんが実際に魔法を使うところを見せられるまでは、信じられなかったと言ってた。

……様々な事情があったそうだけど、曽祖母ひいおばあちゃんは魔力があったゆえに幼い息子を手放さなければならなくなった事、不幸にしてしまったことを後悔しない日は無かったそうよ……」


 アンの母親はそっと目じりをぬぐった。


 室内に、しん……とした空気が流れた。


「だから、アン。おねがいだから約束して。

 魔法は絶対に使っちゃダメ。今日のように怒りに任せて使ってしまうと、一歩間違えれば命にかかわるような取り返しのつかないことを引き起こしてしまうわ」

「う、うん……でも、今日だって、知らないままにあんな事になったし、どうすればいいかわからないの」

「ママがおばあちゃんに聞いたのはね、まず感情に流されないこと」

「……感情に?」

「そう。自分の感情をコントロールすることをあなたは学ばなければいけない。

 そしてもう一つ大事なことは、ネガティブな願いを言葉にしないこと」

「悪い言葉を口にしたら、ダメってこと?」

「言葉には力があるの。特に、ウォルズリーの血を引くものの言葉には、ね」

「じゃあ、あたしが今日言ったような、死ね、とか、嫌い、とかは……」

「絶対ダメよ!」


 母親の言葉が、ひときわ強く、大きくなり、アンはビクッとなった。


「強い言葉は人を傷つけ、そして自分自身を傷つける」

 母親は改めてアンに向き合うと、ぎゅっと手を握って強い口調で語りかけた。

「約束よ、アン」

「うん、ママ。わかった、約束する」



 そのつもりだったんだけどなあー携帯から溢れ出した怒鳴り声を聴きながら、アンは途方に暮れていた。

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