第4話 ”マジック・キャッスル”ツアー part2

 突然、礼拝堂内部の電源が落ち、「ニャーオゥ」という猫の鳴き声とともに祭壇の後ろから白い物体が飛び出してきた。

「きゃー!何?なんなの?」

「お、お化けだ!お化けが出た!」

「白猫ノーラの幽霊じゃないのか⁈」

 白い物体は薄暗い礼拝堂内を悲鳴をあげ逃げまどうツアー客たちの中に飛び込むと、まるで猫のような身軽さで自由に駆け回り、あっという間に姿を消してしまった。


 その時、再び電源が灯り、明るくなった礼拝堂内で呆然とする人々の前に再びフローレンスが現れた。

「電源の調子があまり良くなくて、本当に困りますわ。おや、皆さんどうされました?」

「ガ、ガイドさん!見てなかったんですか?」

「見てなかったって、一体何を?」

「し、白いお化けが出たんです!」

「あれって、アーサー少年の物語に出てきた白猫ノーラの幽霊じゃあ?」

 フローレンスは口元に手をやると、コロコロと良く通る声で笑った。

「もう、皆様、先ほどの霊の話は冗談ですわよ。今は二十一世紀ですよ?そんな非科学的な」

「で、でも!」

「私たち、本当に見たんです!」


「まあ、皆さんがそう仰るならそうなのかもしれませんわね。でもーー」

 フローレンスはぐるりと見渡すと、口元に人差し指を当てた。

「ここで起こった不思議な出来事は、皆様だけの秘密ですわよ?さあ、この後は美味しいアヌタヌーンティーをご用意していますので、移動いたしましょう」

 おおっという歓声が上がり、自分たちだけの神秘的なエピソードを手に入れたことで上気した笑顔でうなずくツアー客を外へと誘導すると、扉を閉める前にフローレンスは振り返った。

 祭壇の後ろからひょこっと現れたのは、頭からかぶった白いシーツからくしゃくしゃの金髪をのぞかせたこの城の次期後継者であり、十歳になったばかりのいたずら小僧ーージョシュア・ウォルズリーだった。

 フローレンスが軽くウインクをし、唇の形で『大成功ですわね?』と伝えると、ジョシュアは満面の笑顔で親指を立てた。



 観光客に見られないようにこっそりと城へ戻ったジョシュアは、調理室からくすねたイタリア産のトスカーナ・サラミをかじりながら、シーツをマントがわりに上機嫌で長い廊下を歩いていたのだがーー

「ジョシュア様!」

 気がつくと目の前に目を三角にしたたくさんの大人たちが立ちふさがっていることに気づいた。

「あれ、みんなどうしたの?」


「どうしたの?じゃあ、ありません!!」


 一番先に声をあげたのは家庭教師のバーニーだ。

「勉強を放ったらかしにして、どこへ行っていたのですか!」

「いや、ちょっとおトイレにさあ」

「何時間!おトイレに何時間かかってるんですか!」


 お次はベテラン庭師のチャーリーだ。

「ジョシュア様!なんで大切な庭園をあのいまいましい小鼠(ミッキーマウス)形に刈り込んだのですか!」

「いや、可愛いかなあと思ってえ」


 その次は三代続けてお城の料理長のボイルの番だった。

「ジョシュア様!またつまみ食いをしてお行儀の悪い!それに、冷蔵庫を開けっぱなしにするのはおやめください!大切な食材が傷んでしまいます!」

「ええ、でも美味しいよ。ボイルも食べる?」

 ジョシュアはかじりかけのサラミソーセージを差し出した。

「結構です!」

「ジョシュア様!お掃除の道具入れにヘビやクモを詰め込んでいたでしょう!」

「送迎用の馬車の色を勝手にピンク色に塗り替えましたね!」

 後から後から、城中の大人たちから、ジョシュアへのクレームが押し寄せてくる。


「とにかく!今日という今日は、ご当主様に叱っていただきます!」

 大人たちがじりじりと近づいてくるのに合わせて後ずさりするジョシュアだったが、ついに壁際に追い詰められてしまった。


「ちょーっとマズイかなあ……あ、アレだ!」

 あたりを見渡して何かを思いついたジョシュアは、シーツを先頭のバーニーめがけて投げつけ、目を白黒させてもがく彼を踏んづけるように飛び上がると、驚異的なジャンプ力で陶磁器が飾られている大きな飾り棚の上へと飛び乗った。


 まるで超巨大なヘビでも現れたかのように、城中に響き渡るほどの悲鳴が上がった。

「ジョシュア様!!そこはダメです!!今すぐお降りください!!」

「本当にダメです!やめてください!」

「ああ、動かないで!」

 大人たちがパニックになるのも無理はない。

 そこには洋の東西を問わず、歴史的に見てもいずれも博物館級の貴重な陶磁器が飾られていたのだ。

「んふふふ〜」

 悪魔のような笑顔を浮かべるジョシュアが青く美しい大きな壺を持ち上げると、悲鳴がさらに大きくなった。

「やめてください!!そ、それ中国は李朝時代の貴重な壺ですっ!!」

「百万ポンド以上の代物ですよ!!すぐに手を放して!」

「え?手を離せばいいの?」

 ジョシュアが頭上に持ち上げていた壺を無造作に放り投げるそぶりを見せると、悲鳴がさらに大きくなり、後ろの方で誰かが泡を吹いて倒れるのが見えた。

「ダメダメ〜!放しちゃダメ!」

「ちゃんと持って!!お願い!!」


「放すのか持つのか、どっちかにしてよお」

 だんだんと面倒臭くなってきたジョシュアは、壺を勢いよく大人たちの頭上へと放り投げると、他にも飾られている皿や花瓶を手当たり次第に投げ出した。

「あ!!な、なんという!!!」

「あああ!!」

 全員が右往左往してなんとか破損することなく全部を受け止め、気がつくとジョシュアの姿は消えていた。

「あれ?ジョシュア様⁈」

「あそこだ!捕まえろ!」

 その場を脱出したジョシュアが、離れの塔へと繋がる宙空の渡り廊下へと向かうのが見えた。

「お待ちください!」

「もう、絶対許しませんよ!」


 全員の必死の追跡も虚しく、ジョシュアはひと足早く廊下を渡りきると離れの塔へ到着し、扉を閉める前に振り返ると天使のような笑顔で叫んだ。

「あー面白かった!みんな、またね〜!」

 バタン。

「あのガ……ジョシュア様!お待ちください!」

 目の前で重厚な扉が閉まるのを目撃して、なおも追いすがろうとする者もいたが、他の人間が引き止めた。

「諦めろ、この塔に足を踏み入れていいのは執事のレスターさんを除けば、ご当主様とジョシュア様だけだ」

「ああ〜もう、いい加減にしてくれよ!」

 全員が口々にボヤき続けるが、やがて誰からともなく同じ言葉がつぶやかれた。


「まあ、仕方がないか」


「そうだな、あんな事があったんだから」

「うん、元気になられただけでも良しとしなければ」

「やれやれ、困ったものだよジョシュア様も……」



『………………ジョシュア様』

『…………ジョシュア様』

『……ジョシュア様』

「ジョシュア様、まもなく到着いたします」


 CA(キャビンアテンダント)の呼びかける声で、ジョシュアはプライベートジェットの機内で目を覚ました。

「……ああ、知らない間に眠っていたのか」

「随分とよく、お休みになられていましたね」

「ああ、懐かしい夢を見ていたよ。楽しかったなあ」


 やがて機体はゆっくりと成田空港の国際線プライベートジェットの専用ターミナルへと着陸した。

「さて、じゃあ行ってくるよ。事前に言っておいたように君たちは4〜5日自由にしていてくれればいいから」

 小さなリュックひとつを肩にかけ、タラップを降りようとするジョシュアにいつの間にかブラウスのボタンを多めに開けて、豊かな胸元を見せつけるようにしたCAがささやいてくる。

「ジョシュア様、日本での滞在中、どちらへ行かれるのですか?もし東京にいらっしゃるのでしたら、私、特に予定がないのですがお食事でもご一緒にーー」

「……そうなの?でも、しばらく気ままに過ごしたいんだよ。申し訳ない」

 ジョシュアは彼女の瞳から視線をそらさず、微笑みながら残念そうに応えると去っていった。


 しばらくその後ろ姿を見つめていたCAは、携帯電話を取り出すとどこかへ連絡をとりだした。

「申し訳ありません、目的地はやはり不明です。ええ、はい」

 相手が激しく叱責している声が、漏れて聞こえている。

「……いえ、大丈夫です。すでに別の者がマークしていますので、見失うことはありません」

「はい、必ずや目的はやりとげますので、なんとかーー」


 まだ通話が続いていたが、一方的に電話は切られてしまった。

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