第2話 ウォルズリーの血を継ぐもの〜アン〜
その日、東京を代表する繁華街の中心にそびえるテレビ局で、年に一度の大型特番の公開生放送が今まさに始まろうとしていた。
局内でも最大規模のスタジオは、出演者、スタッフ、プロダクション関係者に加え一般の観覧者を合わせると数百人を越す人間でぎっしりと埋まり、開始前から大変な熱気にあふれている。
テレビ離れが叫ばれて久しい中、莫大な費用をかけたであろう豪華絢爛なセットと俳優、歌手、歌舞伎役者、モデル、お笑いタレント、果ては新進気鋭の政治評論家やコメンテーターまでずらりと揃った出演者はテレビ局のこの番組にかける意気込みをうかがわせる。
「オッケー、じゃあそろそろ本番ヨロシクということで!打ち上げでみんな笑顔で美味しいビールが飲めるように、ミスなく盛り上げて行きましょう!5、4、3、2……」
ディレクターの合図(キュー)とともに、軽快なBGMが鳴り響き、スタジオに組まれた巨大な階段からゲストが次々に登場して階段を囲むようにセットされたひな壇の自分の席に着席していく
もうすぐあたしの番だ
「アンさん、そろそろスタンバイお願いしますっ」
どれだけ寝てないんだろう、疲れ果てた顔にシミだらけの汗臭いTシャツ姿の若いADさんに誘導され、入場する門の裏であたしはじっとその時を待つ
一見豪華でも、ベニヤで作られたツギハギだらけのセットの安っぽさにウンザリしながらね
子供っぽいルックスで人気の女子アナのわざとらしく甘えた声が聞こえてきた
「さあ、次に登場するのは、今、SNSで話題沸騰!キュートなルックスとおかしなことわざ使いがティーンに大人気の注目の十七才、ハーフモデルのアンちゃんでーす!」
あたしはADさんの方を振り返ると、ギュッとハグをした
「いつもありがとう、行ってくるわ」
彼女は目を見開いて驚いた後、ちょっと涙ぐみながら笑って小さく手を振ってくれた
あたしはいつものルーティーンに入る
『軽く目を閉じて、深呼吸
さあ、行こう
スイッチを入れて
嘘の世界に飛び込もう』
「はーい、みんなハッピー?アンはもちろん『イエス、オッケー』だよお!」
あたしは脳みそが空っぽに見えるような笑顔と、できるだけ甲高い声でおきまりのキャッチフレーズを叫ぶと、両手でオッケーポーズを作りほっぺたに押し当てながら階段を降りていく
「アンちゃん、初めての大型特番生放送、今のご気分は?」
拍手に迎えられ、席に着いたあたしに、女子アナがマイクを近づけ質問をしてくる。
「うーんとね、わかんない!あ、でも、大好きなこの番組に出れたのも、アレ!『石の上にも念仏』だね!」
あたしたちはリハーサル通り、きっちりと役割を果たす
スタジオ中がわざとらしい笑い声に包まれ、スタジオの隅であたしの担当マネージャーが親指をあげて満面の笑みを浮かべているのが見える
あたしはイラッとしたが、できるだけ顔には出さないようにした
今日の本当の目的は『あいつ』だから
「さあ、最後に登場するのはもちろんこの方!わが番組が誇るスーパースター!人気MC、ラッキー小椋さんです!」
スタジオ内がそれまで以上の歓声と拍手に包まれる中、最上段に年がいもなく日焼けサロン通いの真っ黒な顔に白ぶちメガネ、カッチカチのヘルメットのような髪型の『あいつ』が登場した
「イエ〜イ!みんな、愛してるよおおお!」
両手でピースサインを掲げながら、満面の笑顔とともにあいつが入場してくる
なに笑ってんだよ、おい
おまえのせいでどれだけの女の子が泣いているか、わかってんのかよ
おまえの番組のアシスタントを務めてたマリアちゃんはなあ、あたしの事務所の先輩で、クソ野郎ばっかりのこの業界で唯一、あたしの事を心配して優しくしてくれた人なんだよ
おまえがさんざんセクハラしたことや、最後には飲めないお酒を飲ましてレイプしたことも、それを事務所の人間が了承してたってこともあたしは知ってるんだ
マリアちゃん、事務所も辞めて田舎に帰っちゃったよ
モデルになりたいって夢も何もかもあきらめてね
もう無理って、あたしにごめんねって
泣きながら電話してきたよ
絶対許さない
あたしは自分の髪の毛がふわふわしだして、目の奥が熱くなっていくのを感じながらあいつが階段を降りてくるのをじっと待った
まわりのひな壇のゲストに声をかけながら、あいつが降りてくる
あいつは、あたしの方を見るといやらしい笑いを浮かべた
今日の出演は、あたしが事務所に『なんでもやるから出演させてくれ』って頼んだ事をこいつは聞いているんだろう
そう、あたしはなんでもやるって決めてきたんだ
「初めまして、アンちゃん!今日は頑張ってー」
あたしの顔を見てあいつの笑顔が固まった
「き、きみ、その眼!どうしたの?」
「えー?何がですかあ?」
あたしはとぼけて返事をする
「だって、きみ、瞳が真っ赤だよ!あ、カラコンなの?若い人の流行りはオジさんわかんないや!」
ふん
あたしは鼻で笑うと、あいつの顔を見つめてつぶやいた
「恥を知りなさい、とことんね」
あいつはキョトンとした顔をしていたが、次の瞬間、まるで見えない巨大な手につまみ上げられたようにふわっと浮かぶと、長い階段から一気に滑り落ちた
「あ〜〜〜〜〜!!」
長い悲鳴を残し、スタッフやゲスト、一般のお客さんが見守る中、あいつはそのまま一番下まで落下した
階段の途中に、持ち主を見失ったかわいそうなズラを残したまま
あいつはしばらく呆然としていたが、頭が涼しいことに気づいて怒声をあげた
「お、おい、てめえら!カメラ止めろ!俺を映すんじゃねえ!ブチ殺すぞ……あ、ああっ!」
一部始終が全国に生放送で流れていることに気づいた時には、もう手遅れだった
「やだあ〜だいじょうぶう?」
あたしは席から立ち上がると、とびっきり高いテンションで叫んだ
「ケガなくってよかったあ、ハゲだけに!なんてね」
あたしはもう一度、「イエス!オッケー」のポーズを決めると、カメラに向かってウインクした
必死に笑いをこらえていたゲストの誰かが吹き出したのをきっかけに、スタジオ中が大爆笑に包まれた
ただし、スタッフやあいつの事務所の人間は誰も笑っていないけどね
マネージャーが鬼のような顔をした関係者に頭を下げ続けているのが見える
あたしは席を立つと、騒然とするスタジオを後にした
「あースッキリした!」
テレビ局を出て、タクシーに乗ってひと息つくと忘れていた遠い昔の大切な約束が思い出されてきて、胸の奥がちくっと痛い。
『杏奈、あんたの力、二度と人に使っちゃダメよ!約束だからね』
約束破ってゴメンね、ママ
これからどうしよう
もう東京にはいたくないけど、
ママの所へも帰りづらいなあ
あいつの事務所って超大手で
うちの事務所も逆らえないし
もう、モデルの仕事も無理かな
どこかへ行ってしまいたいなあ
あたしはふと思い出して、カバンの中を探った
数日前に届いていた、一通の手紙があった
今時珍しく、真紅のワックスで封をした
うす紫色の手紙の表には
「招待状
吉岡杏奈様
尾道 白猫亭」と
繊細な筆跡でそう記されていた。
「尾道……曽(ひい)おばあちゃんの故郷(ふるさと)か」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます