第1話 ウォルズリーの血を継ぐもの〜ジョシュア〜
RAFノースホルト空港はロンドン西部、サウスライスリップにある空港で、ヒースローやガトウィック、マンチェスターなど著名な国際空港との一番の違いはRAFーロイヤルエアフォースの名前が示す通り、英国空軍の基地として設立され、現在でも民間航空の空港でありながら、軍事基地としても使用されている点にあった。
その高いセキュリティと輝かしい歴史により、英国王の関係者や国家元首のための豪華な環境を備えたVIP専用のプライベートジェットターミナルがあることでも知られている。
今、その空港に向かって複数の車の追跡から逃れるように爆走する一台のバイクがあった。
車種はオールド・トライアンフとも呼ばれ、現在でも高い人気を誇る1960年代のバーティカルツインエンジンのT120ボンネビル。
ハンドルを握るのは金髪のロングヘアーに古い戦闘機乗りがかけるようなゴーグルをかけ、黒のレザーパンツにシルクのような光沢を見せる白いシャツを着た青年であった。
時折後ろを振り返り白い歯を見せ、さらに加速して追跡する車を振り切ると、すでに開かれていた空港のゲートから敷地に侵入し、滑走路の一番奥に停めてあるプライベートジェットギリギリに停車した。
青年はバイクから降りると、目を白黒させている空港の係員や整備員たちの方を向いてゴーグルを外し、人懐っこい笑顔で微笑みかけた。
「いつもありがとう、じゃあ、行ってくるよ」
青年が鼻歌交じりの軽快な足取りでタラップを上り、機内の専用シートに着いてしばらくの後、彼を追跡してきた車が次々に滑走路へと侵入し、停車した。
先頭の車から降りてきた黒いスーツに身を固めた男性がプライベートジェットに向かい、血管が切れるのではないかと思うほどのの大声で叫んだ。
「ジョシュア様!ご当主様!」
プライベートジェットの窓からは、こちらを向いてにこやかに手を振る青年の姿が見える。
「どちらへ行かれる気ですか!本日は!大切な!親族会議の日ですぞ!」
機内では彼専任の美しいCA(キャビンアテンダント)がよく冷やされたウエルカム・シャンパンをサーブしている。
「お味はいかがでしょうか、ご当主様?」
青年は、ゆっくりとグラスを口に運ぶと、満面に笑みを浮かべ親指を立てた。
「最高だ。そろそろ出発しようか」
ゆっくりと動き出した機体の窓に映る彼ののんきな姿に男性の顔がさらに紅潮し、並走するように走りながら叫ぶボリュームはもはや怒声と呼べるほどになっている。
「ウォルズリー家の!十二家の皆様が!貴重な時間を割いて!お集まりになるー」
その時、男性のジャケットのポケットから、クイーンの古典とも呼べる名曲「バイシクルレース」のけたたましいイントロが響いてきて、男性は慌ててポケットから携帯電話を取り出すと大声で叫んだ。
「ジョシュア様!」
「やあ、レスター。あんまり大声を出すと健康に悪いよ?」
「ご冗談を言ってる場合ではございません!ご親族の皆様が城でお待ちですよ!どちらへ行かれるんですか!」
「ああ、うん。今朝、連絡があってね。どうしても出かけないといけなくなったんだよ。みんなには悪いんだけど、来週に伸ばしてくれるよう言っといてくれない?」
「……そんな!午後の!お茶会じゃ!ないんですよ!」
機体のスピードはどんどん上がり、携帯を握りしめ怒鳴りながら並走する男性にも限界が訪れていた。
「レスター、もう離れないと危ないよ」
「ジョシュア様ああああ!」
「おみやげ買ってくるから待っててね〜!」
浮かび上がった機体は一気に加速し、上空へと消えていった。
男性は荒い息を吐きながら、しばらく滑走路に呆然と座り込んでいたが、やがて立ち上がると握りしめていた携帯電話を忌々しげに滑走路に叩き付けようとした。
だが、携帯電話をしばらくじっと見つめると何とか思いとどまり、緩んだネクタイを締め直し、服装の乱れを直すと心配して自分を追ってきた部下たちの方を振り向いた。
「諸君(ジェントルマン)、ご当主は体調不良により一週間ほど入院されることとなった。本日の親族会議は中止とし、親族の方々には来週の予定で調整するとお伝えするように」
「し、しかし、レスター様!それで皆様が納得されるかどうか……」
「異議のある方には、私が直接お会いして謝罪する旨を伝えておけ。それなら文句はあるまい。城へ戻るぞ」
部下の不安を打ち消すように、キッパリと宣言すると車へと歩きながら携帯電話のカバーに掘られたメッセージをもう一度見つめた。
『僕の大切な家族、レスターへ。
ジョシュア・ウォルズリー』
「やれやれ、振り回されるのは親子揃って宿命というわけか」
苦笑いすると、部下とともに車に乗り込み空港を後にした。
滑走路では、一人の警備員がポカンと口を開け、仲間に尋ねている。
「あの、さっきのあれは、何なんですか?あの金髪の兄ちゃんは一体何者なんです?」
「あー、おまえは新入りだから知らないのも無理はないな」
別の仲間らしき男が笑いながら口を挟んでくる。
「あれが、イギリス、いやヨーロッパ有数の大貴族!資産百億ポンド以上、王室に一番近いと言われる名門ウォルズリー家の跡取りのジョシュア・ウォルズリーだよ」
「はあ?あの若僧が?」
「ああ、前当主『獅子王』と呼ばれた名君アーサー・ウォルズリーの孫だよ」
「まあ気のいい兄ちゃんだけど、あれじゃああの家も苦労するだろうなあ」
「そんなもんですか。で、このバイクどうするんですか?」
「ああ、倉庫に大事にしまっとけよ。チップをはずんでくれるから」
「マジすか!」
その頃、プライベートジェットの機内ではジョシュアが古い組み木細工を取り出し、じっと見つめていた。
「おじいちゃん、もう少しだけ待っていてね。日本ですべてのケリをつけるから」
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