「あたし」と「私」の物語
@duhall
「あたし」と「私」の物語
あの子はいつも主人公。あたしは引き立て役の幼馴染。
「むーちゃんは私の親友!」
そう思ってるのはあなただけ。
「国子ちゃん、かけっこ一番ね! とっても足が速いのね」
「また100点だな! これは将来が楽しみだ!」
「今回も学年首席ですね。担任として鼻が高いです」
彼女に掛けられる賞賛の声。私は隣で、それを右から左へ受け流して聞いている。
いつもいつも、最後はあたしの負けだった。
幼馴染の国子。容姿端麗で人望が厚く、根っからの善人。欠点が無いのが欠点。それが、幼稚園からのあたしの幼馴染だ。
「むーちゃんは高校どこにするか決めた?」
「あたしは南高」
むーちゃん、こと『睦美』があたしの名前。見た目は平均以下、頭はそこそこ、スポーツも平均だ。国子にはどうあがいたって勝てないと、中学三年生の時には既に諦めていた。
「じゃあ、私も南高にしようかな!」
「えっ、国子は北高じゃないの?」
「でも、むーちゃんと同じ高校がいいし」
国子は何故か、あたしにべったりだ。こんな平均以下な人間のどこが良いんだか、いつもニコニコ笑ってあたしに寄ってくる。
あたしの定位置は国子の隣。どうやっても国子には勝てないあたしは、国子を引き立てる脇役人生。
……そんな人生に少しでも足掻いてみたくて、高校は別にしようと思っていたのに。
「私、むーちゃんと青春過ごしたい!」
そんな笑顔で言われちゃ、あたしは何も言い返せない。好きにしなよ、と言い捨てて、醜い感情を誤魔化した。
国子はいつも主人公。高校生になってもそれは変わらない。国子はいつもたくさんの人達に囲まれて、とても幸せそうに笑っている。
あたしは国子になりたいわけじゃない。でも、一度くらい誰かに認めてほしい。
国子に勝てるものが欲しい。
「睦美さん、この絵を県のコンクールに出さない?」
勝てるものが、見つかった。
選択授業で美術を取ったのがきっかけだった。音楽と二択で、私は音痴なので消去法で美術を選ぶしかなかった。
絵を描くことは嫌いじゃない。ただし、あくまで「嫌いじゃない」というだけで、自主的に絵を描くことは今まで無かった。
なので、あたしはあたしの才能に気付けてなかったのだ。まったく、間抜けな話だ!
あたしの才能に気付いてくれたのは美術担当の金原先生。金原と書いて「きんぱら」と読む変わった苗字だ。人の顔もロクに覚えられないあたしだけど、金原先生の珍しい苗字は印象的で、顔と名前が一致する数少ない教師だった。
「県のコンクール、ですか?」
「ええ。この絵は素晴らしいわ」
「そう……でしょうか? すみません、あたしよく分からなくて」
「ここまでの才能があるのに、何で美術部に入らなかったの?」
言葉に詰まる。あたしは、常に国子の引き立て役だった。だから国子に勝てるものがあるなんて想像もしてなかったし、まさかそれが美術の才能だなんて思ってもみなかったのだ。
「……自分に何かしらの才能があるなんて、知らなかったんです」
隣には常に主役が居たので。という言葉は飲みこみ、何となく気まずくなって視線を落とす。
「そう……でも、今からでも遅くないわ」
金原先生は立ち上がり、私の手を急に握りしめてきた。国子以外からのスキンシップには慣れていなかったので、驚き思わず身を引いてしまう。
けれど、金原先生はあたしの引く力より強く、あたしを引き寄せてくれた。
「あなたには才能がある! 一緒にその芽を咲かせましょう!」
眼鏡の奥にある金原先生の瞳が、キラキラと輝いて見えた。その輝きが私にも移って、世界が一瞬で輝いて見えてしまったのだ。
それからのあたしは、ずっと絵を描き続けた。
「睦美。あなたこの成績は何?」
お母さんに成績表を突き付けられて罵られても、あたしは気にせず絵を描き続けた。
「睦美。絵ばっか描いてないで、たまには外に出なさい」
お父さんに呆れた物言いをされても、あたしは無視して絵を描き続けた。
ようやく、あたしが主役になれる時が来たんだ。
「うーん……先生は、前の絵の方が良かったと思うわ」
あたしが国子に勝てる時が来たんだ! キャンパスをビリビリに破く。何枚も何枚も、白いキャンパスをあたしの才能で塗りつぶした。
「むーちゃん……」
「何よ」
「あのさ、むーちゃん急に絵を描き始めたけど……」
「だから何よ」
「……顔色が悪いよ? そんなに自分を追い詰めないで」
うるさい! あたしの邪魔をしないで、主人公!
夏が過ぎ、秋が来て、冬になった。
あたしはようやく描きあげた一枚を、金原先生に見せた。
「これは……」
絵を見た瞬間、金原先生が目を見開いた。口を固く結び、あたしの絵をじっと見つめる。
渾身の一枚だった。あたしのすべてを使った、最高の作品。
「(でも、これがダメだったら……)」
その頃のあたしは疲れ切っていて、ボロボロだった。
才能がある。そう言われて、何枚も何枚も絵を描いたけれど、描けば描くほど才能があるとは思えなくなっていた。だから、この絵で最後にしよう。そう思って、この絵にあたしの全てを込めたのだ。
金原先生の沈黙が耳に痛い。恐る恐る彼女の顔を伺うと、その瞳はいつか見たあの日のように、キラキラと輝いていた。
「素晴らしいわ」
先生の声は静かで、喉の奥から絞り出すような小さな声だった。
「すぐに公募に出しましょう! あなたの才能を早く世の中に知らしめないと!」
「えっ」
「睦美さん、春にもコンクールがあるんだけど、もちろん応募するわよね?」
金原先生のキラキラした目に見つめられて、あたしは小さく頷いた。
あたしはあたしの才能について、まだよく分かっていなかった。
分かったのは、コンクールに出した絵が最優秀賞を取った時。
全校集会で校長先生から表彰状とトロフィーを渡されて、トロフィーの重さを感じた時。
普段はあたしの事なんか構わないクラスメイトが、私の机に集まってきた時。
「睦美ちゃん、凄いじゃん!」
「本当だよね! こんな隠れた才能があったなんて知らなかった!」
「やっぱり将来は芸大に行くの?」
雨のように降りかかる言葉達に、私はただ戸惑うことしかできなかった。
「むーちゃん」
国子の声は、雨の中でもよく響いて聞こえた。
「本当、凄いよむーちゃん」
ずっと負けっぱなしだった。勉強も、運動も、人付き合いも、見た目も何もかも。
「むーちゃんには敵わないや」
この日、あたしは彼女に勝ったのだ。
それ以降、あたしの絵に対する姿勢はガラリと変わった。
心身がボロボロに擦り切れても、決して筆を置くことはしなかった。ずっとずっと、描き続けて、キャンパスを何枚も塗りつぶして。
春も、夏も、秋も、冬も。
過ぎていく季節は遠く、あたしの世界はキャンパスの白だけになった。
高校を卒業して、大学に進学して、あたしは学業の傍ら絵の仕事を始めた。
仕事を始めた、というか気が付いたらあたしの絵が仕事になっていた。個展が何回か開かれて、あたしの絵に価値が付いた。
国子との関係は未だ続いていた。あたしの名前が絵の世界に段々と広まり始めて、雑誌やらテレビやら色々なメディアで取り上げられる度。国子は自分のことのように喜んでくれた。
「やっぱりむーちゃんは凄いよ!」
「この前美術館でむーちゃんの絵を見たよ!」
「雑誌の特集記事、読んだよ! でも……なんかむーちゃん、もう別の世界の人みたい」
「もう『むーちゃん』なんて気軽に呼べないかな?」
「ちょっと寂しいかも」
国子との距離は、段々と遠くなっていった。
その日、あたしはスランプに陥っていた。
何度筆を走らせても、思うような絵が描けない。イライラする。今までスランプは何度もあったけれど、こんな酷いスランプは初めてだった。
とうとう筆を投げ捨てて、デスクに深く腰掛ける。顔を覆い大きな溜息を吐いて、指の隙間からスマホがチカチカ光っているのに気付いた。
「何……?」
担当からの着信だろうか。催促されたって描けないものは描けない。いつもだったら無視するけれど、その日は何となく折り返そうと思った。
着信は、国子からだった。
「え?」
国子と没交渉になってから二年経っていた。いつか国子が言っていたように、あたしと国子の住む世界は違うものになっていたのだ。
その頃はもういい歳をした大人になっていたので、自分の抱える薄暗い感情にはっきり気付いていた。
住む世界が違うのだ、というのを散々国子に見せつけたのはあたしだ。あたしはお前に勝っている。お前に無い才能を持っている。だから住む世界が違うのだと、あたしは国子に突き付けていた。
最後に勝つのはあたし。主人公はあたしなのだと。
「……もしもし?」
恐る恐る、折り返しの電話をかける。
「あ、むーちゃん!」
久々に聞いたはずなのに、国子の声はあたしの耳にしっくりと馴染んで聞こえた。聴き慣れた明るい声。あたしはその声にホッとした。この頃のあたしの人付き合いは仕事上だけのもので、友達と呼べる人は誰も居なかった。
それでも別にいい、と思っていた。
「何の用?」
「久々なのに辛辣じゃん!」
「ああ、ごめん。こういうの久しぶり過ぎて…」
「こういうの?」
「あー、何でもない。それで? どうしたの?」
電話の向こうで、国子が笑った気配がした。あの日と変わらない笑顔で、国子はニコリと笑ってこう言った。
「私ね、結婚するんだ!」
あたしは、国子に勝っていた。
それが足元から崩れ去っていった。
あたしは絵を描くことで、人生すべてにおいて国子に勝っていると思っていたのだ。
人生の勝ち負けを、才能や結婚で推し量るなんて馬鹿らしいと思う。時代錯誤も甚だしい。でもこの日、あたしは間違いなく国子に「負けた」と思った。
どうやらあたしは、女としても国子に勝ちたかったらしい。才能だけでなく、あたしという人間を丸ごと認めてくれる相手が欲しかったのだ。この日、国子の電話でそれを嫌というほど思い知らされた。
半年後、国子は結婚式を挙げた。あたしはさんざん悩んで、出席の二文字を丸で囲んだ。
国子はとても幸せそうで、今まであたしが見てきた女性の中で、一番美しく輝いていた。
国子の結婚相手は、美しい国子にお似合いの素敵な男性だった。
二人は幸せそうに、腕を組み、私の前から去っていった。
最後はかならずあたしが勝つ。
そう、最後はあたしではなく、『私』が勝つのだ。
あたしは睦美。私は国子。
これは、ただの負け犬の物語。
誰も知る事も無い、あたしだけの物語だ。
「あたし」と「私」の物語 @duhall
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