第8話:生け贄の扱い
「お前はどうしたい」
隅から隅まで畳の敷き詰められた、豪勢な部屋。煙の出る
「えっ?」
雲の開けた障子戸を抜けた途端、どうしたいかと。草を編んだ敷物へ胡坐をかく狗狼は、薄目でこちらを見上げた。機嫌が良いのか悪いのか、狼の顔では判断がつかない。
これからどうすれば良いのか。どんな選択肢があるかさえ思いつかないのだ、急に問われても困る。菫は後ろへ控えた雲に、視線で助けを求めた。
「おいおい狗狼。明けて初めて顔を見て、いきなりそれはないだろうさ」
「なんだ。なにが気に喰わん」
前に出てまで庇ってはくれない。けれども雲は、祠の主人へ対等に文句をつける。言われた狗狼は組んでいた腕を放し、どこかおかしなところでもあったかと、自身の身なりや手足に視線を走らす。
「若い女の子が、初めて着るおべべを見せたんだ。なにも言わないやつがあるもんかね」
「え、あの。雲、それは別に――」
どこまで本気なのか。菫の装束姿へ賛辞のないことが、雲は気に入らないと言う。大きくかぶりを振って、いかにも呆れたと。
「なるほど。人間の好みは分からんが、似合っているのではないか。少なくとも我の目に、美しく思える」
「嘘。そんなことを言って、おだてないで」
嘘吐きとはこのことか。さっそくの洗礼だと、胸が苦しい。なぜだか分からないが、どうも菫は気遣われているようだ。
もちろん原因は生け贄にされたからだが、受け取る側にそうしてもらう理由が不明だった。浮かれる心持ちでもないけれど、置かれた場所の居心地が悪い。
「嘘? なぜ我が謀らねばならん。ああ、人間の世辞というやつか。お前が醜ければ、我はそのまま告げたはずだ。案ずる必要はない」
「だとさ。どうも色気に欠けてるけど、あれで褒めてるつもりなんだよ」
額の端を掻きながら、勘弁してやってくれと雲。つまり、嘘ではない。そうと分かっても、どう応じて良いやら「え、うん」としか言えなかった。
「さて、手順は済んだか? 良いならもう一度問おう。お前はこれから、どうしたいのか」
「どう、って……」
「昨夜、我は言った。お前の望みを聞き、そうなるようにしてやると。考える時間が足らなんだか?」
淡々と、狗狼は用を進める。抑揚はあるものの、平たい口調が寒々しい。
「どうした。まだ考えるなら、慌てることはない。しばらくお前の世話は、雲がやってくれる。ゆるりと悩め」
言って、狗狼は瞼を閉じる。瞑想でもしているのか、ぴくりとも動かない。いまこの場で紡ぎ出した言葉だろうに、どうも書き文字を読まされたようにしか聞こえない。
心配りのある文面なのに、当の狗狼からその感情が漏れてこなかった。
――迷惑なのかな。
菫が、あるいは人間が、嫌いなのだろう。直感的にそう思う。これは狗狼にとって、あくまで役目としての行動なのだと。
「生け贄なのに、食べないの?」
「ん。問いの意味が分からん」
「こんな綺麗な布を着せてもらって。おいしい食べ物も。わたし生け贄なのに、どうして良くしてもらえるの」
また細く、目が開いた。覗いている黄金色の瞳を、真っ直ぐ見返す。
嫌いなら、それこそ手順を踏む必要などない。最後に食われるなら、温情をかけられただけつらくなる。
「わたし、要らないって言われたの。どうせ死ぬなら、ひと思いに殺してよ」
仲良く暮らしていると思った東谷の人々。実はずっと疎まれていたのだろうか。それに比べれば狗狼の無愛想のほうが、まだ親切だ。
喉の奥が詰まり、声が萎む。
「どうにも要領を得んが。生きていたくないということか? 我に食われるのが望みと」
「違う、分からないの。どうしてここへ来なきゃいけなかったか、どうして生け贄なんかに選ばれたのか」
怒りでも哀しみでもない、わけの分からぬ負の感情が胸を突き上げる。内心はともかく、言う通りに狗狼は整然とした会話を試みている。突飛なのは菫だ。しかしきちんとしたのが、責められているようで落ち着かない。
「生け贄に選んだ理由は分からんな。人間の事情を、いちいち覗いてはおらん。我に分かるのは、お前が捧げられたときの願いだ」
「わたしと引き換えの、願い?」
そうだ。贄の箱には、捧げる者が釣り合うと思った物が入れられる。
当たり前だろう。と狗狼はなんでもない風に頷き、首の後ろをぼりぼりと掻く。
「教えてもらえる?」
「無論。東谷の面々が願ったのは、村に障りのないこと」
「障りって。なにか良くないことがありそうだから払ってくれ、ってこと?」
「そうなるな。なんの障りかまで願った者は居らなんだが」
図々しい頼みだったろうに、狗狼はすんなりと答えた。
しかし生け贄を出してまで、村になにがあるのか。東谷は古くから、土砂崩れのひとつもあったことがないというのに。
「もう一つ、お前を食えというのは遠慮したい。たしかに我も肉を食うが、人間は食わん。死した臭いを知っているか? あれは鼻が曲がる」
「生け贄なのに食べないの?」
腐臭を想像したのか、狗狼は鼻を手で押さえた。誤って口へ入れたように、顎をわなわなと震わせもする。
「そもそも生け贄を要求した覚えはない。いつも勝手に寄越されるだけだ。死んでいればどこか埋めてもやれるが、生きた人間など対処に困る」
「困るんだ……」
経緯を聞いて、なにも分からないと分かった。ただし狗狼に迷惑なことだけは、たしからしい。
かと言って、出て行くと言う勇気も当てもない。立っているだけがとても疲れて、畳に膝をつく。
「お、おい勘違いするな、お前に言ったのでない。生け贄を送る慣習に困ると言ったのだ。お前が気に病むことなどなにもないぞ」
明らかに、狗狼の様子が変わった。へたり込んだ菫に差し伸べようと、手が伸びかけもする。
あまりの変容ぶりを「狗狼?」と。訝しんだ声に、常を取り戻したが。
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