第 9 章 第三ユニバース:CERN(セルン)(1) 2010年5月11日(火)

 島津はPCの電源を落とし、資料を手早く片付けた。ヘルメットと白衣を手にすると「さあ、行きましょう」とジャヤワルダナに言った。「私、ウォッシュルームに行きた・・・洋子、ヘルメットを持ってどこに行くの?」と島津に問いかけた。島津は人差し指でアイーシャの唇を塞いで、「話はあと。ここを出ましょう」と言ってヘルメットと白衣を渡す。ジャヤワルダナの手を引張り、エレベーターで1階に降りた。112号棟のフォトラボを回り込んで、180号棟のラージマグネットファシリティービルに駆け込む。3年前にアトラスの巨大なバレル超伝導トロイドマグネットが搬入された場所だ。トロイドを搬入した直径35メートルの立坑の横にあるサービスエレベーターで地下106メートルまで降りた。島津はジャヤワルダナの腕を引っ張り続けて急がせた。組み立てホールを横切り、LHCの設置されているトンネルに向かった。島津はトンネルのドア横のビーム射出インジケーターがオフになっているのを確かめた。二人はトンネルに入ると一息ついた。


「洋子、なんなのよ。こんな地下まで連れてきて。息が揚がったじゃないの?」と島津に言った。

トンネル内でメンテナンスの技術者が自転車でこっちにやってくる。「これは、これは、お嬢さんたち、モグラの穴にようこそ。こんな場所でお会いするなんて珍しい」と彼が言った。「息抜きよ。バックグラウンドの電磁波を測定しようと思って。どちらに行かれるのかしら?」と島津が技術者に訊いた。「LHC-Bまで遠乗りなんですよ。じゃあ、ごゆっくり」と彼がすれ違って行ってしまう。


「ふーう、もう大丈夫ね。アイーシャ、念の為にスマホの電源は落として」ジャヤワルダナの腕を離して島津は彼女に言った。「わかったわ。落とすけど、いったいどうしたの?」ハァハァいいながら島津に訊く。

「小平先生の言ったことを聞いた?『バージニア州のエドワードは元気かね?』『回線は念の為に切っておこう』って」

「ええ、聞いたけど何の話?」

「私と先生の共通の知り合いで『バージニア州のエドワード』なんていないのよ。それにうっかり先生の小平さんが『回線は念の為に切っておこう』なんてセキュリティーの指示を普通はするはずがない。咄嗟に『元気だと思いますよ』と言ったけれど、エドワード?バージニア?と思ったのよ。それで思いついたの。エドワードは、エドワード・スノーデンのこと、バージニアはペンタゴンのこと、回線を念の為切るというのは、通信傍受されているかもしれないってこと」

「通信傍受?まさか。こんな学者の会合に誰が興味を持つのかしら?エドワード・スノーデンって聞いたことがあるわね。誰だっけ?」

「エドワード・スノーデンは、アメリカ国家安全保障局 (NSA) と中央情報局 (CIA) の元局員よ。アメリカの情報収集活動に関わっていた。香港でNSAによる国際的監視網(PRISM)の実在を告発したのでアメリカからお尋ね者になったわ。そのPRISMがエシュロンを使っている。エシュロンは、電波収集をしていて、無線、電話、スマホ、ファクス、電子メール、データ通信などありとあらゆる情報を傍受しているの。それをスパコンにかけて、キーワードに引っかかるとAI解析をし始める。今日の話題なんて、記憶転移とか陰謀論につながっている話。彼らがよだれを垂らして聞き耳を立てるわよ。この防諜システムは、英米同盟(UKUSA協定)で世界中に点在していて、ネットワーク網の維持管理は、ファイブアイズ、つまり、米国と英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドによって行われているの。もちろん、ファイブアイズだけじゃないわ。中国もロシアもやっている。香港から国際電話がかかってくるとノイズが酷いのよ。バックグラウンドで何かノイズがある。それでこちらからかけ直すとノイズが消えるの。これも中国が防諜しているのかもしれない」

「だけど、洋子、小平先生は平気でいろいろなことを話していたけど?」

「たぶん、彼は彼ら防諜しているグループに意図的に聞かせていたんじゃないかと思うの。おかしいと思わない?第一、第二、第三ユニバースなんて突拍子もない話をどう見つけたのか、どうやってそういう仮説を立てたのか、そういう理論を説明しないで、結論を話した。イエスやモーゼまで持ち出して。小平先生のいつもの緻密さがないのよ、この会合では。アイーシャにはこのことを理解してもらおうと思ってここまで連れてきたの。このトンネル内ならビーム射出がオフになっていても、電磁波が飛び交っていて、おまけに100メートル以上の地下だから、さすがにエシュロンも防諜できないから」

「う~ん、わかったわ。注意しましょう」

「この後の打合せも防諜されている可能性を考えて、質問や発言をしましょう。もしかしたら、私の勘違いかもしれないけれどね」

「スパイ小説の中の話みたい。面白いわね。ところで、洋子、戻りましょう。私、ウォッシュルームに行きたいの」


A piece of rum raisin

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