第 6 章 第三ユニバース:高エネルギー加速器研究機構(3) 2010年5月11日(火)

 過去の記憶がいつの間にか事実と反するものになってしまっている現象を、「マンデラ効果」と言う。


 アパルトヘイト撤廃に尽力した南ア共和国のネルソン・マンデラは、2010年には存命なのだが、マンデラは1980年代に獄中で亡くなっていたものと思い込んでいた人がけっこういたというのだ。80年代にマンデラが死んだという記憶を持つ人々は、彼の葬儀の際には南アフリカの住民たちが大変嘆き悲しみ、逝去後には南アフリカの各地で暴動が起こったと言っている。実際はそのような暴動もない。マンデラは、1999年に大統領を辞職して政界から引退している。


 ネルソン・マンデラだけではない。元WBA&WBC統一世界ヘビー級チャンピオンであるモハメド・アリ、一部の人々は彼が1990年代からせいぜい数年前の間にすでに亡くなった人物であったというのだ。さらに、2005年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナによる大災害が2005年の8月ではなく、不思議なことに同年4月だったと記憶している人が無視できない数、存在しているという。


 フィオナ・ブルームというアメリカ人女性は、2010年にマンデラ、アリは既に亡くなっている、ハリケーン・カトリーナの災害は2005年の4月だった、という記憶を持っていて、しかし、事実とは違うようだ、ということを彼女のブログに書いた所、大勢の人たちから「自分も同様の記憶がある」という反響があったのだ。


 2010年時点で「ネルソン・マンデラ氏は1980年代に獄中で亡くなっている」、「モハメド・アリは1990年代にすでに亡くなった人物」、「ハリケーン・カトリーナの災害は2005年の4月」という事実とは異なる記憶を持つ人が非常に多数いたということなのだ。このおかしな現象をフィオナ・ブルームは、「マンデラ効果」と名付けた。


 一つの説として、「マンデラ効果」はパラレルワールドに居たときの記憶ではないかと言われている。人間はこれまで何度もパラレルワールドと現実の世界を行き来しており、そのたびに記憶が書き換えられている、という説がある。そして、パラレルワールドに居たときの記憶が一部でも残っていると、それが「マンデラ効果」になると言われている。


「ネルソン・マンデラ氏は1980年代に獄中で亡くなっている」、「モハメド・アリは1990年代にすでに亡くなった人物」、「ハリケーン・カトリーナの災害は2005年の4月」という記憶は、パラレルワールドに居たときのもの、別の世界で起きたことだという可能性がある、ということだと、フィオナ・ブルームは主張するのだ。


 小平は「マンデラ効果」の大雑把な説明をした。「さて、そこで、諸君、私も物理学者だ。こんな都市伝説めいた話は一切信じていなかった。しかしだ、自分にも、諸君らにも似たような話が2008年のCERN(セルン)のLHC熱暴走が起こった時に持ち上がった。自分自身の記憶として、ロバート・ケネディは第37代大統領になった、ジョン・レノンは2009年に新曲を出した、という事実と、ロバート・ケネディとジョン・レノンは、1968年、1980年に銃撃により暗殺されたという2つの記憶がある」


「そこで、森くんが奇しくも言ったように『LHCの熱暴走がこちらで発生した、むこうでは落雷が発生した。どちらも共通するのは、陽電子、つまり反物質、ニュートリノとガンマ線フラッシュの発生。これらの物理現象があちらからこちらへの記憶の転移に関係するということなのか?』ということだ。結論から言うと、陽電子つまり反物質やニュートリノの発生ではなく、ガンマ線フラッシュの発生がこの多元並行宇宙間、マルチバース間の記憶の転移、つまり、記憶の送信と受信を生んだと私は推測する」と小平が説明すると、気の強い加藤が反論した。


「しかし、小平先生、私にはジョン・レノンが暗殺された記憶がないのですよ?」

「加藤くん、それはチャートをもう一度見てくれたまえ。キミのむこうの、第一ユニバースの記憶転送が起こったのは、キミの記憶によると1978年の5月だ。宮部は1970年の5月、森は1979年の2月、島津は、1979年の6月だ。いずれもむこうの、第一ユニバースのレノンの暗殺の起こった1980年12月以前の記憶が送信されたのだから、知らないはずなのだ。それに対して、私と湯澤、ジャヤワルダナは、81年3月と12月までの記憶を受信したのだから、レノンの暗殺は知っている。いずれにしろ、キミは、ロバート・ケネディがこちらの第三ユニバースでは暗殺されなかった、第37代アメリカ大統領に就任した、第一ユニバースでは暗殺されて、第37代アメリカ大統領はニクソンだ、という矛盾した記憶を持っているではないか?」

「先生、確かにそうですね。認めます」

「おわかりかな?では、フィオナ・ブルームに起こったこと、彼女の記憶と同じ『マンデラ効果』が起こった人々、そして、われわれが最初だろうか?」

「え?どういうことですか?」


「つまり、有史以来、ガンマ線フラッシュの発生による記憶転移が起こったのは、これが最初か?と言っているのだよ。有史以来、類似のことがいくども起こったと仮定しよう。例えば、モーゼに記憶転移が起こったとしよう。旧約聖書の出エジプト記には、モーゼはイスラエル人たちを『雷と稲妻が走る炎と煙に包まれた山に案内する』と記述がある。その中を予言者モーゼは神から十戒を受けるために頂上まで登っていった。『雷と稲妻が走った』だろう?諸君らも『雷と稲妻が走る』中、自然現象として記憶転移が起こっただろう?モーゼがシナイ山にいた時に稲妻によるガンマ線フラッシュが起きなかったわけでもあるまい?」


「あるいは、新約聖書のマルコによる福音書にも雷の話がある。あ~、どこだったかな?」と小平はPCを操作した。「これだな。第九章だ」


「また、彼らに言われた、『よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる』。六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。ペテロはイエスにむかって言った、『先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために』。

そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、『これはわたしの愛する子である。これに聞け』。彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた」


「どうだね?モーゼもイエスも雷、稲妻から未来記憶を得たとしたら?モーゼやイエスに限らない。悪魔崇拝者にとって、稲妻はサタンの象徴だ。秘密結社のイルミナティは『光を与える者ルシファー』を象徴するものとして稲妻を利用する。カバラの生命の樹の象徴は稲妻だ。異教の神秘宗教では、最高神が『稲妻や雷を伴って空を飛ぶ蛇』として描かれることがあった。ギリシア人とローマ人は、稲妻と雷を発する天の王座に座る、怒れる神々ゼウスとジュピターを崇拝していた。稲妻のシンボルを現代において復活させたのは、ナチスだった。ナチスの収容所で働いていた医師は、円形の中に稲妻が入ったシンボルを着用していた。秘密結社のイルミナティは、男根のシンボルを稲妻と同一視した。その起源は密教にあった。密教では、稲妻は、男根の形をした杖、宝石、リンガム(ヒンドゥー教のシバ神の象徴として崇拝される、男根をかたどった長円型の石) 、魔法の杖であると教えられた」


「さあ、諸君、これらのことをどう解釈するかな?」 


A piece of rum raisin

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