第17話 科学者の全速力

 私は走った。

 私を邪魔するように雨が霧状に振り出す。

 もとから運動は苦手だ。その上ほぼ不眠不休の体。


(言い訳はもうできない)


 私は一番大事な物をすでにこの両手からすり落ちている。

 もう何が落ちたっていい。もう何が落ちたって変わらない。そう思っていたが、こぼれ落ちそうなものすら、救えない者が落としてしまった1番大切なものを取り戻せる気がしなかった。


「早く、フランコに伝え・・・な・・・いっと」


 急ぎたい気持ちはある。科学者として最速でゴールへ走ろうとしていた私、神をそこまで信じられない私、そんな私に神は二物を与えるわけもない。

 足が熱を帯びながら震えて、力が入らなくなっていく。

 足だけじゃない、胸は息を吸っても、とげとげしいものを吸っているように痛くなり、心の臓もドドドドッと脈を打っている。


(足の弧を描く運動をもっと効率よく地面に対して働けるカラクリ、それか、地面からの反発を上手く前進運動に活かせるような・・・バネなんてのも・・・)


 立ち止まって空気がしっかりと供給されると私の脳は理性が働く前に、本能的な欲求が勝手にそのエネルギーを使っていく。


(こんなこと考えている暇なんてない・・・急がないとっ)

 どんなに屑な奴だって走るだろう。

 

 私はある話を思い出す。

 友を売って友を死刑台に送りながら自分はパーティーに出て豪遊をし、途中で良心の呵責かしゃくに駆られて、死刑執行の日に急いで泣きながら走った男、ソレム。

 でも、私は歩く。

 私は息を整えることを意識しながら、再び前に進むために歩き出す。私の体力では走ってもすぐばててしまうと判断し、息が続く最も効率的な早歩きに変更する。

 一見したらそんなに必死に見えないかもしれない。でもいい、私はガラクタなのだから、そんな人の目など気にして、走って疲れたふりした悲劇のヒロインになんてなってたまるもんか。

 私の努力は人に理解されなくてもいい。私は守るんだ、フランコも、エヴァレットも、そして———。


「はぁ、はぁ、はぁ。フランコっ」

 私はフランコの家の扉を2、3回叩き、そのまま扉を開ける。鍵はかかっていなかった。


「フラン、コ?」

 恐る恐る私は家の中に入る。

 鍵は開いていたが、家の中は暗く、そして、どこか静かだった。

 私は違和感を感じていた。もしかしたら、私が歩いているうちになにかが起きてしまったのではないかと心臓が高鳴る。

 ———走れば間に合ったかもしれない、いや、もっと遅くなったはず。そもそも、たまたまいないだけかもしれない。


 自問自答を繰り返しながら、ハンスが言っていたフランコを追っていた人物たちが潜伏している可能性も頭に入れて、慎重に、慎重に奥へと進み、耳を澄ませる。


「フランコ~。いないの?」

 自分以外の物音に注意を払いながら、私は暗闇に声を発する。

 けれど、暗いとはいえ、なんだか違和感を感じる。

 3ヶ月、通い詰めてなんとなく把握している部屋なのに・・・。


 まるで———そう、こんな風に何もなくなってもぬけの殻になっているように。

 














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