29.

 好意と。好奇と。少なからぬ敵意と。


 多くの者達の目に晒されながら、王を先頭とした一団は巨大な王城を巡り、最上階である3階の最後の扉に辿り着いた頃には、すっかり夕暮れ時になってしまった。


 2人の衛兵が守る古びた小さな扉の前で、フィリップは足を止める。


 「塔へ登る階段だ。行ってみるか?」


 「はい。」


 フィリップは衛兵からランタンを受け取り、騎士達にはこの場で待つよう指示をした。


 衛兵が開けた扉の中は真っ暗で、シャラは躊躇いながらも、フィリップが差し出す手を握る。


 中のらせん階段は、1段1段のづらが狭く、気を抜くと踏み外してしまいそうだ。


 先導して手を引き、後ろ向きにシャラの足元を照らすフィリップをシャラは危ぶんだ。


 「国王様は大丈夫なのですか?」


 「子供の頃から登っておる。心配するな。」


 フィリップは安心させるかのように、握った手に力を込めた。


 階段の最上部に到着すると再び扉が現れ、フィリップがそれを開けた途端、急に風が階段から吹き上げた。押されるように足を踏み出すと、一気に視界が開けた。


 「わぁ!」


 柔らかな夕陽の中、遙か遠くの山脈やまなみが霞がかって見える。小石を敷き詰めたような王都の街並みは、遠い山裾にまで続いていた。


 下を見ようと塔の手摺に近寄り、覗き込む。中庭の人影が小さく見え、高さに足が竦んだ。


 「下を見るな。」


 フィリップはシャラの肩を抱き、手摺から引き寄せる。


 「私が子供の頃は、ここもアルテアと同じような、森に囲まれた小さな町であったがな。」


 フィリップが北の方向を指差した。


 「アルテア城は、あの山を更に越えた先にある。一番近くの国ではあるが、残念ながらここからは見えん。」


 見えないと判っていても、シャラは少しでも故郷が見たくて、懸命に目を凝らした。


 「シャラ、アルテアへ帰りたいか?お前が望むなら、アルテアを手に入れ、お前を王にしてやろう。私には容易いことだ。」


 シャラは首を横に振った。


 「僕は王になることを望みません。」


 「賢明だな。お前のように優しき者が王であったら、あっという間に国は滅ぶだろう。お前は王には向いておらん。」


 フィリップは笑った。


 「だが、お前の兄達がる限り、二度と故郷に戻れんぞ。殺すだけでも、殺してやろうか?」


 「いいえ。僕は帰れなくても構いません。民の安寧が僕の望みです。これ以上、国を混乱させたくはありません。」


 フィリップはシャラの肩を抱いたまま、視線を遠くの山脈に向け、薄い笑みを浮かべた。


 「民とは、いい加減なものだぞ。奴等には、王なぞどうだっていいんだ。奴等にとって大切なのは、自分や家族の幸せだけだ。誰が王になったとしても、気になぞしておらん。」


 シャラは、フィリップの夕陽に染まった横顔を見上げた。


 「だがな、シャラ。私はログレスの王だ。自ら王だと名乗るからには、そんな取るに足らない民の願いも、叶えてやらねば、と思っておる。」


 シャラもフィリップの視線の先を見つめた。


 この王の思い描く国とは、一体どんな国なのだろう?


 そこでは、民は風雨に震えることも無く、飢えや病に苦しむことも無いのだろうか?誰の剣にも怯えずに、子供達や大人達が、毎日笑って過ごせる国なのだろうか?


 それは、フィリップが見つめる遠い山脈の、もっともっと、ずっと先にあるように思える。


 だが、そんな国がこの世に現れた時。


 その時にはアルテアの民も、そこで笑って暮らしているのだろうか?


 シャラも、そんな世界が見てみたいと思った。


 フィリップは視線を戻して、シャラの瞳を見つめた。


 「シャラ。帰る場所が無いのなら、お前は今日からログレスの民となれ。我が民ならば、この国に居る限り、必ず私が守ってやる。お前はログレスの民として、この国の為に力を尽くして欲しい。」


 「…狼からも?」


 「なに?」


 「狼からも守って下さいますか?」


 「ああ。むろん。狼からも守ってやる。」


 微笑むフィリップに、シャラも笑い返そうとした。が、それは上手くいかなかった。笑顔を作ろうとしているのに、涙がボロボロと溢れてくる。懸命に閉じようとしているのに、唇からは嗚咽が零れ出た。


 膝から力が抜け、崩れ落ちるシャラの体をフィリップはしっかりと抱き留めた。


 「好きなだけ泣くといい。ここなら誰にも聞こえん。」


 シャラはフィリップの胸に縋って、慟哭の声を上げ続けた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る