28.

 シャラは本を膝の上に乗せ、居間のソファでボンヤリとしていた。


 柱に縛られた物語の英雄は、シャラがいつまで経っても頁を捲らないので、縛られたまま、すっかり業を煮やしている。


 急にシャラの小鼻がスンスンとひくついた。


 壁際の椅子に座っていたジェイドとリュークの鼻も動く。


 3人は目を見交わすと同時に立ち上がった。本が英雄ごと床に落ちた。


 「火事だ!」


 ジェイドは飛び付くようにシャラの肩を抱き、リュークは火元を確認しようと、開け放たれたバルコニーへ駆け出す。


 バルコニーの手摺に身を乗り出し、下を見回していたリュークはすぐに振り返り、シャラに向かって困ったような笑顔を見せた。


 「ご安心下さい。火事ではありません。火事ではないのですが…。」


 「?」


 まだ警戒しているジェイドに肩を抱かれたまま、シャラもバルコニーに出て、手摺りから庭を見下ろした。


 城の入口正面にある噴水の傍で、10人ほどの騎士達が焚き火をしている。


 「何故に城の中庭で!?」


 しかし、よくよく見ると、騎士達は濛々と煙を上げる焚き火を囲うように整然と立ち、微動だにしていない。中にギルバートの姿があった。


 シャラは、こちら側に背を向け、焚き火の前にかがみ込む、黒髪の男の姿を見つけた。


 「あれは…。」


 シャラは思わず息を飲んだ。







 ジェイドとリュークに付き添われ、シャラは緊張した面持ちで城から中庭へ出た。


 気付いたギルバートと周りの騎士達が丁寧に膝を折り、道を開ける。


 焚き火の脇には水桶とワゴンが置かれ、その上には食器やナプキンが載っていた。シャラは、焚き火に向かってかがみ込み、手元の作業に勤しむ黒髪の男の背中に声を掛けた。


 「あの…国王様。」


 王は手元に集中しているのか、顔も上げず、返事も無かった。しばらく待ったが、やはり無言のままなので、躊躇いつつ言葉を続ける。


 「…先日は命を救っていただきー」


 王は下を向いたまま、黒く汚れた右手のひらをシャラに向け、言葉を制した。


 「私がしたくて、したことだ。礼は要らん。」


 それだけ言うと、また作業に没頭し始めた。


 シャラは途方に暮れた。こちらを向いて貰えない。話しも聞いて貰えない。一体、どうすれば良いのだろう?


 肩を落とし、諦めて部屋へ戻ろうとした時、王がやおら立ち上がった。


 「よし!出来たぞ!」


 指でも火傷したのか、王は丸めた手をフーフーと吹きながら、振り向いた。


 「熱いから気を付けろ。」


 そう言って片手を差し出すので、思わずシャラも手を出した。


 手のひらにコロンと転がったのは、焼けた小さな栗の実だった。


 「食欲が無いと聞いた。ちゃんと食べねば、体を壊すぞ。お前は、これが好きだったろう?後で部屋に届けさせようと思ったのだ。」


 王の足元の地面には、置かれたトレーの上に、銀皿に盛られた沢山の栗の実があった。


 (兄様あにさま…。)


 シャラは目を見開いて、手のひらの栗の実をジッと見つめ続けた。そうしないと、涙が溢れてしまいそうだった。


 何とか堪えて顔を上げると、眉間に少し皺を寄せ、真剣な顔でシャラの様子を窺うフィリップと目が合った。


 「美味しい!」と言いたくて、シャラは微笑み、栗の実を口に入れ、奥歯で噛んだ。モグッ。


 シャラの動きが止まった。


 真っ先に異変を察知したのは、リュークだった。


 リュークは、置かれたワゴンの上にあったナプキンを素早く掴むと、シャラの体に手を回して支え、ナプキンをその口に当てた。


 「ここに吐き出して下さい!! ーおい!水を持って来い!医師もだ!!」


 囲んでいた近衛の騎士達は慌てて走り出した。ジェイドが泣きそうな声で叫ぶ。「シャラ様!!」


 真っ白な顔をしたギルバートが、震えながら独り言のように呟いた。


 「あ…あの栗は、調理場から持って来させた物です…まさか、毒が盛られているとは…。」


 体を折り、咳き込みつつも苦しそうに呻くシャラを、同じような顔色で棒立ちに見ていたフィリップは、誰も止める間も無く、銀皿の上の栗を1つ掴み、自分の口に放り込んだ。モグッ。


 フィリップの動きが止まった。


 周りの騎士達は更に蒼白になったが、フィリップはギルバートを睨むと、黙って右手を差し出した。


 慌てながらもギルバートがナプキンを渡すと、フィリップはそこに口の中の物を上品に吐き出した。更にギルバートに向かって右手を差し出す。ギルバートは、部下が持って来たばかりのグラスの水を渡した。


 フィリップは何度か口を濯ぐと、未だリュークに支えられ、顰めっ面をしたシャラを見て言った。


 「まあ…偉大なるログレスの王といえど、ハズレ栗に当たることもある。」


 フィリップが真面目な顔で言っていることが、冗談なのか?そうでないのか?よく判らず、シャラはフィリップを見つめた。


 暫しの睨めっこに、先に負けたのはシャラだった。


 フッと息を吐き出したシャラが愉しそうに笑い出したので、フィリップもつられて笑い声を上げる。


 ジェイドとリューク、ギルバートの3人は目を見交わし、安堵の笑みを浮かべたが、他の騎士達は驚いている。王が笑っているのを見たことが無かったからだ。


 「慣れないことはするな、だな。シャラ、今宵は一緒に食事をせんか?独りで食べるより、食が進もう?」


 「はい。ありがとうございます。」


 2人は微笑み合う。


 「では、食事の準備が出来るまで、私が城を案内しよう。」


 「はい!」


 連れ立って中庭を進む2人の姿を、2階の窓辺からユリウスとルミエールが笑いながら見ていた。

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