23.

 ギルバートの先導で、6人の騎士達が執務室に入ると、王は席を立って出迎えた。机の脇には将軍が控えている。


 「ジェイド。リューク。マルサス。スティーブン。カール。ケイン。」


 王は、床に跪く騎士達一人一人の名を呼び、胸に手を当てた。


 「長きに渡るその方らの働き、心から礼を言う。よくぞ任を果たしてくれた。」


 「もったいなきお言葉、ありがとうございます。」


 ジェイドが応えた。


 「報奨を用意した。後でアイザックから受け取って欲しい。」


 老将軍も笑みを浮かべて、満足そうに頷いている。


 「本来なら、ここで任を解き、暫く休養を与えてやりたいところだが。シャラも不慣れな生活だ。見知った者がおらんでは、さぞ心細かろう。すまないが今暫く、シャラの傍に居てやって欲しい。」


 「陛下。むしろ我らの方から願い出たいと思っておりました。シャラ様の警護は、どうか我らにお任せ下さい。」


 「感謝する。とりあえず今宵は、ゆっくり休んでくれ。」


 ぞろぞろと一同が出て行こうとすると、王はジェイドを呼び止めた。執務室の扉が閉まり2人だけになると、王はジェイドに歩み寄り、その腕に触れた。


 「全てはお前のおかげだ、ジェイド。心から感謝する。」


 「なんの!陛下の御ためならば!」


 王は壁際に置いてあった椅子を執務机の前に移動させ、ジェイドに座るよう促した。戸棚の中から赤いワインの入ったボトルと2つのグラスを取り出し、机の上に置く。


 フィリップは手ずからワインを注ぐと、あらためて自分の椅子に座り、ジェイドと共にグラスを掲げた。


 「無事の帰還を祝して。」


 掲げたワインを一気に飲み干したジェイドは大きく息を吐き、「やはりログレスのワインが一番旨い!」と豪快に笑った。


 「後は自分で勝手にやれ。」と、フィリップは目元を和らげる。


 フィリップにとって、ジェイドは子供の頃からの剣友であり、時には殴り合いや取っ組み合いの喧嘩すらした親友である。


 フィリップに並ぶ剣豪として、共に幾多の戦場を駆け回った。人望も厚く、いずれ将軍に…との囁き声も聞こえ始めたジェイドは、敵国の幼い王子を守れという命令をどんな思いで受け止めただろうか?


 フィリップはジェイドに後ろめたさを感じる一方、こうして杯を交わしていると、離れて過ごした空白の時間が埋められていくような安堵を覚えた。


 「して、陛下。私に何かお話があったのでは?」


 フィリップは、僅かに言い淀む。


 「シャラのことで尋ねたいのだが…。報告には無かったが、私のことを何か言っていただろうか?」


 「何か?何か、とは何ですか?」


 「そ…それはだな…。」


 狼狽えた王を見て、ジェイドはニタリと笑みを浮かべた。


 「貴様…小賢しいぞ。」


 睨みつけるフィリップに、ジェイドは熊のような大きな体を揺らし、声を上げて笑った。


 「いや、申し訳ございません。久方振りに陛下にお会い出来た嬉しさで、つい悪ふざけをしてしまいました。どうかご容赦を。」


 不満げなフィリップに、ジェイドは真面目な顔で答えた。


 「残念ながら、陛下についてシャラ様が仰ったことはございませんでした。ただ、あの夜以降、時々ボンヤリと考え事をされているようにお見受けしました。シャラ様が陛下のお名前を口にしたのは、ただ一度。投獄された際に、別れの言葉を伝えて欲しい、と。」


 「そうか…。」


 フィリップは内心がっかりした。シャラが自分をどう思っているのか、知りたかった。別れの言葉では、好意があるのか、単に律儀なだけなのか、さっぱり判らないではないか。


 「それから、これも今までの報告に無かったが。」


 フィリップは声を落とした。


 「シャラには、決めた相手が居たのだろうか?女とか…男とか。」


 「恋人ですか?そういった相手は居ませんでした。シャラ様が誰かを特に好いている、ということも無かったと思います。」


 「女子おなごの経験はあるのだろう?」


 「いえ、ありません。私の知る限りは。」


 フィリップは眉を顰めた。


 「教育を受けていないのか?」


 「性についての教育は、報告しました通り、10歳の時に受けておられます。当時はまさか、こんなことになるとは思わず、詳しくご報告しなかったのですが…。」


 ジェイドは困ったように頭を掻いた。


 「シャラ様は、教育を途中で投げ出されてしまいまして。教育中に熱を出して2、3日の間、寝込んでしまわれたのですよ。『風邪』と医師は診断しましたが、我々はシャラ様が『初心うぶ』な故に、色事の話にのぼせてしまったのではないかと笑っておったのです。」


 フィリップは思わず頷いた。アルテアからの報告書は、13年分、全て綴って隣の書庫に収めてある。だが、そんな物を見なくても、記憶している。夏だというのに風邪を引いたと報告にあり、あの時はずいぶん心配したのだ。


 「しかしその後、教育は再開されませんでした。何度かお勧めしたのですが、『必要無い。』と拒否なされまして。ですので、実践まではしておりません。」


 フィリップの心臓がドクンと強く打った。


 (では、シャラの肌に触れたのは、女も男も、私が初めてということか…)


 動揺を誤魔化そうと、グラスのワインを一気にあおった。


 「そういえば、リュークが噂話をしていたことがあります。」


 机に身を乗り出し、ジェイドが小声で囁くので、フィリップもつられて顔を寄せる。


 「シャラ様のお世話をする侍女達が話していたのを小耳に挟んだらしいのですが。シャラ様は、手慰みさえもしないようだ、と。」


 フィリップの灰色の瞳が見開かれた。


 「侍女達には判るらしいですな。あの者達は目ざといですから。…まあ、あくまでも噂ですが。」


 ジェイドは、フィリップと自分のグラスにワインを注いだ。


 「シャラ様は、そちらに関しては奥手と言いましょうか。ご結婚も『絶対にしない!』と、はっきり仰られておりました。」


 フィリップはジェイドを凝視した。そんなことは、報告書に書いていなかった!


 「大の風呂好きで毎日入っていらっしゃるし、我らの下世話な冗談にも嫌な顔をされるし。綺麗好きが過ぎて、潔癖なご性分というか、何というか…。」


 ジェイドはブツブツと文句のように言っているが、フィリップにとっては極めて重大情報だ。


 (シャラが色事を毛嫌いしていたのなら、乱暴に触れた私を嫌っているのでは!?…知っていたなら、あんな事は絶対にしなかった!!)


 「シャラ様はアルテアで、ずいぶんご苦労なされました。これからは、陛下の御許にてお幸せに暮らせますよう、私も心から願っております!」


 フィリップは、自分の行いを完全に棚上げし、屈託無い笑顔でグラスを掲げる友を恨めしげに睨んだ。

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