12.

 「陛下。ミカエルから、また手紙が届きましたよ。」


 汚い物でも触るかのように白い封筒の角をつまみ、ヒラヒラと振りながら、ユリウスが王の執務室に入って来た。


 フィリップは手元の書類に目を落としたまま、僅かに眉を寄せる。


 「どうせ、また金の無心であろう。」


 「これで3回目ですね。」


 ユリウスは封筒をフィリップの机に置き、座した王の目の前にそれを進めた。


 『国境近くでシャラと密会させてやる。ついては、その支度金を寄越せ。』


 ミカエルから最初の手紙が来たのは、フィリップがアルテアから戻った直後、1ヶ月ほど前のことだ。


 その後、『準備に手間取っている』とのことで、追加の支度金が欲しい、と送って来た。


 どうせ、この手紙も何かと言い訳をし、金を寄越せというのだろう。


 「やむを得ん。シャラが人質に取られているのだ。言う通りにしてやれ。」


 フィリップは手にした書類を脇に置き、机の上の封筒を中身も見ず、ユリウスに押し戻す。


 「しかし、奴はシャラ殿を殴ったそうではないですか。悔しいので、せいぜいらせてやるとしましょう。」


 ユリウスは手紙をグシャッと片手で握り潰してから、上着の内ポケットにしまった。


 「まったく。長兄といい、次兄といい、ろくでなしの兄を持つとは、シャラ殿も苦労しますね。」


 フィリップが、ギロリとユリウスを睨む。


 「貴様。それは私に対する当てつけか?」


 「まさか!滅相もございません!偉大な王たる兄上をろくでなしなどと、夢にも思ったことはございません。日々、感謝しております。」


 「お前は相変わらず調子がいい。」


 ニヤッと笑う弟をフィリップは再び睨んだ。


 子供の頃から剣術が苦手で、いくさではいつも兄の後ろでブルブルと震えていた弟も、今では24歳となり、まつりごとの一翼を担っている。


 面立ちこそ似ているが、兄と異なり、社交的で如才ないユリウスに、外交や貴族達の取りまとめ役を任せていた。


 女好きが玉にキズだが、子供を持たないフィリップは、次期国王にユリウスを既に指名している。


 「それにしても、今回の作戦は絶対に上手くいくと思ったのですがねぇ。」


 アルテア王を調子に乗せ、チェスの勝負に持ち込み、城の代わりにシャラを連れ帰る。


 その作戦は、ユリウスが立案したものだ。


 「お前の言う通り、心にも無い世辞を言うたび、反吐が出そうになったぞ。」


 「お察し申し上げます。シャラ殿にお越しいただけると、私も楽しみにしていたのですが。」


 フィリップは言葉に詰まった。


 (今回のことは、完全に私の失態だ…。)


 計画では、シャラと2人きりになり、時間をかけて亡命を勧めるはずだった。


 が、フィリップはシャラを犯してしまった。


 自分でも、なぜあんなことをしてしまったのか、と思う。『剛健質実』を旨とし、厳しい軍規のログレスで、強姦は死罪だ。その長たる自分が、禁を破るとは…。


 頭を抱えたくなる一方で、あの夜を思い出すたび、下腹したはらが熱くなる。堪えても唇から零れる甘やかな息。紅く染まる滑らかな肌。痛いほどに自身を締め上げる熱い肉。そして翌朝見せた、優しく和らいだエメラルドの瞳とその笑顔…。


 久しく忘れていた凶暴な気持ちが、いくら美形とはいえ、男のシャラに向けられたことは、自分でも全く理解出来ない。淫魔にでも取り憑かれたか、とさえ思う。


 だがもしも今、目の前にシャラが居たら、再び引き裂き、その肉を心ゆくまで味わいたい衝動に駆られるだろう。


 しかし、フィリップのその狂乱が、シャラの心を頑なにしてしまった。説得どころか、憎まれても仕方ない。


 「はぁ…。」


 大きく溜息をついて、フィリップはハッと我に返った。執務机の向こうで、ユリウスが立ったまま唖然としてフィリップを見つめていた。


 (しまった…。そんなに酷い顔をしていたか?)


 僅かに赤面しつつ、思わず右手で口元を隠す。


 ユリウスが急に腹を抱えて笑い出した。あまりに笑うので、目から涙を溢している。


 「貴様…。笑い過ぎだぞ。」


 フィリップは、冥府から這い出たかのような陰に籠もった声で言ったが、ユリウスの笑いの発作は、なかなか静まらない。


 「も…申し訳ありません、陛下。クックッ…苦しい…。いや、本当に申し訳ありません。」


 指で涙を拭い、謝るユリウス。弟でなければ斬り捨てているところだ。


 「陛下、そんなにご心配なさいますな。シャラ殿は必ず手に入れます。いや、来ていただかないと、我々も困ります。」


 「貴様、あんまりシャラを利用しようと思うなよ。」


 「利用などと、人聞きの悪い。利用せずとも、シャラ殿なら民の心を掴む素質は、充分にあるかと思いますが。」


 シャラはログレスの求心力になる。そう言い出したのもユリウスだ。


 ログレスは、フィリップが王となって12年の間、急速に領土を拡げた。最近新たにログレス領となった地方は、まだたったの2年だ。反乱を避けて領主制度は採らず、全領土を直轄地としているが、中央集権で統一化しやすい一方、王都から遠く離れるほど、民の国に対する求心力は下がる。


 成り上がりの寄せ集め国家にとって、盤石な基盤作りは喫緊の課題であり、その為にも民衆の支持は不可欠だ。戦乱の時勢なら、「獅子王」の名を民はこぞって戴くが、大国となったログレスと刃を交える国が無くなった今、軍神の名も民はありがたがらない。


 「シャラ殿は、民の心を掴みます。」


 ユリウスは、そう主張した。


 継母に殺されそうになった幼い王子は、アルテア国民の同情を集めた。長じても、お忍びで城下を視察(バレていたが)したり、改良した強い作物を農民に与えたいと、自らくわを持ち畑を耕す姿など、アルテア国民は美貌の王子を宝物のように思っている。


 「既にログレスの各地でも、シャラ殿のご活躍は吟遊詩人達によって広まっております。民に心を寄せるシャラ殿が陛下の側仕えとなれば、ログレス王家は民の強い信頼を得るでしょう。」


 「お前が広めさせておるんだろうが。」


 悪戯っ子のようにニヤッと笑うユリウスに、フィリップは再び溜め息をつく。


 「戦乱の落ち着いた今が、梃子入れには丁度良いのではあるが…シャラを利用するのは気が進まん。」


 「しかし陛下。あまり悠長なことは言っておれませんよ。」


 「?」


 「セドニアとアルテアの雲行きが、怪しくなっているそうです。」


 「何だと?」


 ユリウスの掴んだ情報によると。


 セドニア国とアルテア国は、両国をまたいで流れる川の水利を巡って、幾度も折衝を重ねていた。


 「その件で先日、アルテア国王がセドニア国王に親書を送ったそうなんですが。その手紙の中で、アルテア国王は自らを『上流の王』、セドニア国王を『下流の王』と書き記したとか。」


 「-あいつは、どうしてそんなに馬鹿なんだ!?」


 「セドニア国王様はいたくご立腹だそうで、挙兵も辞さない構えとか。現在、アルテアの高官達が火消しに躍起になっておりますが、場合によってはシャラ殿が引っ張り出されるかと。」


 「こちら側から、セドニア国へ働きかけは出来るか?」


 ユリウスは呻く。


 「うーん。セドニア国王様も頑固な方ですからねぇ。それに今まで、戦の仲立ちはことごとく失敗しておりますので…。」


 フィリップは拳を握り締めた。リチャードは、今まで何度も分の悪い戦にシャラを駆り出している。国民から信の厚い弟を安易に殺せない代わりに、戦死させようというのだ。


 これまでシャラが生き延びたのは、策を練るシャラの才能と幸運のおかげだ。


 だが、その幸運がいつまで続くかは判らない。


 「陛下。セドニア国への働きかけは、私が全力を尽くします。ですが、今回は軍を動かすことも、お考えに入れたほうがよろしいかと。」


 「判った。ユリウス、頼むぞ。」


 弟が部屋を出て行き、フィリップは独り煩悶とする他なかった。


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