11.
「まったく!兄上は、お前のことになると、気が違ったかのようだ!」
怒り狂う王をようやくなだめ、シャラの部屋へやって来たミカエルは、ドサリと椅子に腰掛け、吐き捨てるように言った。
立って兄を出迎えたシャラは、部屋の中で待機していたジェイドとケインに目配せし、外へ下がらせた。
「兄上は、死んだ母上のことでお前を恨んでいるのだろうが、そもそも母上がお前を殺そうとしたのだ。筋違いもいいところだぞ!」
前から疑問に思っていた。ミカエルは、僕を恨んでいないのだろうか?と。
13年前。
リチャードとミカエル。2人の実母である王妃は、自分の子供達を差し置いて、第2王妃の息子であるシャラが王に溺愛されるのを妬み、その暗殺を企てた。
それは失敗に終わり、自分を拉致した犯人達の顔を覚えていたシャラによって、王妃の企みは暴かれた。
王の怒りを買った王妃は、王城から追放。遠く離れた別邸での寂しい暮らしの中、病となってその生涯を閉じた。
人々は噂に囁いた。「リチャード様は母上様のことで、シャラ様を恨んでいらっしゃる。リチャード様が王になったら、必ず復讐されるだろう。」と。
実際、リチャードが王位に就いてから、シャラは冷遇され、幾度も死地に赴かされた。
だが、シャラは王妃が好きだった。母として、立派な王妃として慕っていた。その気持ちは今でも変わらない。
だから王妃が命を賭けてまで守ろうとしたリチャードを憎むことは出来なかった。
王妃のもう1人の息子であるミカエルは、まるでシャラの心の中を見透かしたかのように言った。
「まあ、兄上は母上のお気に入りだったからな。次代の王として、ずいぶん期待をかけられたようだし。兄上は、蟄居の別邸へ、たびたび母上の見舞いに行っておったぞ。」
ミカエルは自嘲した。
「私は次男の身で、大して期待はされていなかったから、兄上ほど母親思いではないがな。」
一瞬、気まずい沈黙が流れたが、ミカエルが再び言葉を継いだ。
「お前のことは抜きにしても、兄上のあのプライドの高さは、何とかせねばなるまい。」
「…。」
「兄上は、身の程というものを知らぬ。アルテア如き小国の王の分際で、近隣諸国に喧嘩を売ってまわっている。お前も、何度も尻拭いをさせられているだろう?このままではいずれ、アルテアは滅びるぞ。」
「兄上…。」
シャラは言い返せなかった。ミカエルの言い分は、あながち間違いではない。
尊大な態度がアルテア国の中だけならまだしも、他国に対しても我慢や譲歩といったことをしない。それはたびたび軋轢を生み、軍事的な小競り合いさえ起こす。シャラや家臣達は、何度も後始末に走らされた。
それにー。
(ログレス王のように、プライドに付け入られ、騙される恐れもある。)
フィリップのことを思い出し、シャラは胸が重苦しくなった。
「どうだ?シャラ、私と組まないか?」
「組む、とは?」
「兄上にはご退位いただき、私が王になる。
「何を仰るのですか!」
ミカエルは、ニヤリと笑う。
「獅子王の力があれば、兄上を城から追い出すことなど造作もあるまい。なんなら『悪しき精霊の仕業』でも構わん。13年前の意趣返しに、な。」
そう言って笑い声を洩らすミカエルに、シャラは総毛立った。
「兄上!我らは兄弟。助け合って、国を支えていかねばなりません。そのような恐ろしいお考えはお止め下さい!」
ミカエルは、ウンザリしたように弟を突き放した。
「青臭いことを言うな。兄上が、そう易々と我らの言うことを聞かぬから、身を引いていただこうと言っているのだ。先ほども、ログレスと手を組むように勧めたが、怒り狂って全く話にならん。ログレスに兵を向けるというのをようやく止めたんだぞ。」
「…。」
「私が王になれば、この国はもっと豊かで平和になる。政はお前の好きにすれば良い。ログレス王とのことも、な。」
意味ありげな笑みを浮かべるミカエルに、シャラの頰が赤く染まる。
「…僕が、何も知らないと思っているのですか?」
「何だと?」
「財務の者から聞いております。兄上は王の目を掠め、国庫からかなりの金を抜き取っているそうではないですか!私邸は財宝に溢れ、夜な夜な派手に宴を開いていると。民が飢饉に苦しんでいる時でさえ、国の資金を流用したそうですね!それでも、王になるに相応しいと言えますか!?」
「生意気なことを言うな!」
立ち上がったミカエルは、顔を真っ赤にしてシャラを殴りつけた。頰を殴られ、シャラの体は傍らの椅子と共に床に倒される。
大きな物音に異変を感じたらしく、ジェイド達が慌ててドアから飛び込んで来た。ジェイドは身を投げ出すように倒れたシャラに覆い被さり、ケインは両手を広げてミカエルの前に立ちはだかった。
「ミカエル様、どうかお許し下さい!」
目を吊り上げたミカエルは、叫ぶケインを突き飛ばし、シャラに蹴りを食らわせたが、それはジェイドの脇腹に当たった。
「貴様!男相手に尻を振るような者が、私に説教をするつもりか!? この恥さらしが!!」
「ミカエル様!どうかお許しを!ミカエル様!」
シャラの身代わりに何度も蹴られながら、ジェイドは懇願する。シャラの体から力が抜けた。
「シャラ!私に逆らったこと、後悔するなよ!」
声を荒げたミカエルは、そう言い捨てて部屋を出て行った。
「シャラ様、お怪我は?」
シャラから体を離すと、ジェイドは心配そうに顔を覗き込んだ。
「殴られたようですね。すぐに医師を呼びましょう。」
「大丈夫。大したことはない。それより、僕のせいでそなたの方が酷くやられてしまった。すまない。」
ジェイドは、ニッコリ笑った。
「ご心配無く。私は頑丈に出来ておりますので。」
なおも心配する騎士達を部屋から下がらせた。
「独りにして欲しい。」
バルコニーに出たシャラは、空を見上げて月を探したが、どこにも見当たらない。
(今宵は新月か…。)
殴られた頰の痛みを紛らわすかのように、フィリップの手の温もりを体が思い出す。
(思い返しても仕方ない相手だというのに…。)
フィリップのこと。アルテア国のこと。
冷たい夜空の下、シャラは自分の無力さをつくづくと感じた。
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