9.

 まだ荒い息が収まらない。


 まさか自分が気をってしまうとは、思ってもみなかった。


 途中で抵抗を止めてしまったのは、相手があの『兄様あにさま』だと、心が許してしまったからか?


 優しく、くすぐるような指先と唇に、体があやされてしまったからか?


 (何と浅ましい体だろう…。)


 一生誰とも添うまい、と思っていたのに。


 未だ残る快楽と痛み。シャラは心も体も酷く疲れていた。


 「夜明けまでには、まだ時間がある。少し眠るといい。」


 抱き寄せられたシャラには、触れ合う肌もその腕の重みも、フィリップの体の匂いさえも、何故か心地良く感じた。


 (僕は全部脱がされたのに、どうして兄様はズボンを履いているんだ?)


 文句を言おうとしたが、散り散りとなる思考のなか、シャラはフィリップに抱かれたまま、ウトウトと眠りの世界に引き込まれてしまった。








 「起きろ。シャラ。もうじき夜が明けるぞ。」


 フィリップの声が耳に届き、寝起きのシャラは一瞬、自分がどこに居るのか判らず、ボンヤリしてしまった。


 既に身仕度を終えたフィリップが、何処から出してきたのか、寝台の上にシャラの着替えと剣を置く。ようやくシーツから抜け出ようとしたが、フィリップが見ているのに気付き、頰を染めつつ睨み返した。


 フィリップはニヤリ、と意味深な笑みを浮かべ、背中を向けた。


 真新しい服に袖を通しながら、(なぜ、この服は袖もズボンも、僕にピッタリなのだろう?)と訝しんでいると、後ろ向きのままフィリップが声をかけた。


 「シャラ。チェスの勝負は、お前が負けたと言え。私は、城の代わりにお前を貰って帰る。それなら国王は何も言えまい。」


 「!」


 シャラは、ようやく気付いた。


 最初から全て、自分の為に仕組まれたのだと。


 振り返ったフィリップは、シャラの両手をその大きな手で優しく包む。


 「お前のことは、ずっと気にしていた。当時はまさか、アルテアの王子とは思わなかったが。だから、お前が兄からどんな仕打ちを受けているかも、全て知っている。」


 答えを返せず、シャラは目を伏せる。


 「ログレスに来い。お前の身分と安全は、私が約束する。」


 シャラは顔を上げた。そこに居たのは、心からシャラを気遣う1人の男だった。


 (兄様…)


 だが、シャラは微笑を浮かべると、握られた手を引き離した。


 「お気持ちは感謝いたします。ですが、僕はアルテアの王族です。国を捨て、ログレスへ行くことは出来ません。」


 「しかし!このままでは、お前は本当に殺されてしまうぞ!ログレスに来い!私の許で安寧に暮らせ!」


 「構いません。僕の死が王の望みであるなら、僕はそれを受け入れます。」


 シャラの答えに、打ちひしがれた様子で俯くフィリップを見て、シャラは気の毒にすら思えた。乱暴されたことは許し難いが、この王は、この王なりにシャラの身を案じ、親愛の情を示してくれたのだ。


 (兄様…)


 だが、『僕の英雄ヒーロー』が大人になり、優れた王となり、1人の愚かな男となったように、自分もまた、守られなければならない幼子おさなごのままではないのだ。


 シャラは笑顔を向けた。


 「お会い出来て嬉しかったです、兄様。お懐かしい一夜でございました。」


 「シャラ…。」


 その時、カーテンの向こうから囁くような人の声が聞こえた。


 「陛下。夜明けと共にアルテア兵が動きます。いかが致しましょうか?」


 「…今、出る。」


 「はっ!」


 フィリップは、あらためてシャラに向き直る。


 「約束しろ。必ず生きて再び会うと。」


 「…はい。」


 フィリップに強く抱き締められながら、この約束は果たせそうにない、と心の中で思う。


 不安の色を濃くにじませた灰色の瞳に微笑み返して、その唇を受け入れながら、(これは、嘘の罪滅ぼしだ。)と自分に確かめた。


 長い接吻からようやく体を離すと、フィリップは小さく息を吐きながら呟いた。


 「…行くぞ。」


 その表情からは、先ほどまでの優しさも不安も、すっかり掻き消えている。冷徹な獅子王の顔だ。


 (なんと変わり身の早いことだ。)


 シャラは呆れながらも笑いをこらえる。


 しかし。


 これから自分も、嵐の只中に戻らねばならない。シャラも気を引き締めた。


 「はい。」


 空が白み始めた時。2人は揃って、アルテア兵に囲まれた天幕の外に出た。


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