0.-④ & 8.

 翌朝は、日の出と共に馬を走らせた。


 まだ寝ぼけていたシャラは、馬の背中に乗せてやった途端、パチリと目を覚まし、歓声を上げた。


 「うまだ!」


 「まったく。お前は本当に馬が好きだな。」


 「うん!」


 苦笑しつつ、前に乗せたシャラと自分の体を縄でしっかりと括った。街道を見つけ、少しスピードを上げたが、シャラは恐がるどころか喜んでいる。


 早朝だったせいか、街道で人に出会うこともなく、間もなくアルテア城が遠目に見える場所に着いた。


 「あの城か?」


 「うん!」


 フィリップは近くの木立に馬を隠し、おぼつかない足取りのシャラを途中で抱きかかえ、城下町へ向かった。


 道すがら、森で自分に会ったことは誰にも言わないように、と言い含めた。もしも親に聞かれたら、ずっと森に独りで居て、独りで町に帰って来たと言え、と。


 「わかった!」


 一抹の不安はあったが、元気よく返事をしたシャラをフィリップは信じるしかない。


 町では既に朝市が開かれ、露店の買い物客で賑わっていた。フィリップの首にしがみ付きながら、シャラがキョロキョロと周りを見回している。


 フィリップはシャラを家の近くまで送るつもりだったが、途中で断念せざるを得なかった。


 (アルテアの城下は、これほど警備が厳重なのか。)


 敵国ながら感心するほど、町のあちこちで兵士の姿を見かける。これ以上、歩き回るのは危険だと判断した。


 建物の陰に入り、シャラを地面に下ろす。


 「シャラ、ここから独りで家に帰れるか?」


 「うん!かえれる!」


 「そうか。すまないが、ここでお別れだ。気を付けて帰るんだぞ。」


 「うん!」


 ニッコリと笑って、シャラは拙い足取りで走って行った。


 が、すぐに立ち止まって戻って来た。


 「どうした?家が判らないのか?」


 「…」


 シャラは黙ったまま俯いて、フィリップのズボンをギュッと握った。


 愛おしさがこみ上げて、フィリップは腰をかがめ、シャラの顔を覗き込む。


 「なんだ、別れが惜しくなったのか?」


 目に一杯涙を浮かべて、シャラは今にも泣き出しそうだ。


 「では、約束しよう。いつか必ず、また会おう。」


 「…ほんと?」


 「ああ。約束する。」


 シャラに笑顔が戻った。


 「あにさま、ありがとう。」


 シャラが頰にくれたキスは、とても柔らかく甘やかだった。


 シャラは走り去った。途中で一度振り返り、バイバイと大きく手を振った。フィリップは笑って手を振り返し、それから早く帰れ、と追いやる仕草をした。


 シャラは走って行った。もう振り返らなかった。やがて、その小さな姿は人混みに消えた。


 何となく名残惜しく、フィリップはシャラの消えた跡を見ていたが、再び急いで陰に隠れる。兵士が3人、慌てた素振りで通りを走って行った。


 (何かあったのだろうか?)


 知りたい気もしたが、今は無事にログレスへ帰ることが先だ。


 すっかり忘れていた、教育係の赤ら顔が思い浮かんだ。


 (今日は小言ではなく、間違いなく説教だな…。)


 溜め息をつきつつ、王子は帰路へと急いだ。








 「まさか…『兄様あにさま』?」


 「おおっ!覚えていてくれたのか!?」


 王はとても嬉しそうだったが、シャラは息が苦しくなり、血の気が引いていった。


 (まさか辱めを受けた相手が、あの『兄様』とは…)


 暗澹たるシャラの気も知らず、フィリップはサイドテーブルに手を伸ばし、シャラの剣と共に並べてあった自分の剣を掴んだ。


 「これが証拠だ。覚えているか?」


 王の剣の柄には、ドラゴンを模した銀の象嵌と小さな赤いルビーの眼。


 「これは…あの時の剣?えっ?まさか、妖剣ノイムントとは!?」


 「そうだ。城に持ち帰ってみたら、素晴らしい剣だったゆえ、私が使うことにした。」


 ニヤリと笑う王に、はぁ、と気の抜けた返事をした。名にし負う剣が、『実は拾った剣でした』とは、何とも間の抜けた話だ…。


 が、はぐらかされそうになり、慌てて我に返る。


 「兄様!なぜです!? なぜ僕に、こんな酷い仕打ちを!」


 シャラにとって『兄様』は、誰にも言えない秘密の英雄ヒーローだった。ログレスとの和平が成立したら、所在を尋ね、お礼をしたいと願っていた。


 なのに…。


 言われた途端、王の視線が宙を彷徨った。乱れた黒髪を指で何度もかき上げる。


 「いや…こんな事をするつもりは全く無かったのだ。ただ、お前と再会の約束を果たし、ゆっくり話がしたいと…。」


 「それなら、なぜ!?」


 王は言い淀む。


 「私の中で、お前は3つの幼子おさなごのままだったのだ。それが、これほど美しく成長したのかと驚いた。それに、怒る姿もなかなか可愛らしいし…。愛おしさがこみ上げたというか…。触れたくて堪らなくなったというか…。こういうのも、一目惚れと言うのだろうか?」


 顔を赤らめ、視線を泳がせるフィリップに、シャラは開いた口が塞がらない。男の自分に可愛いだの愛おしいだの、全く理解出来ない!その上、あれほどの乱暴狼藉を働きながら、今さら恥ずかしがるとは、どういうことか!? 「一目惚れか?」などと、僕に聞くな!!


 (こやつは獅子王でもなければ、兄様でもない!ただの馬鹿だ!)


 嘆くことさえ無駄に思えた。これ以上、この馬鹿に関わり合いたくない!ボタンを引き千切られたシャツの前を急いで合わせた。


 (とりあえず、この酷い有様を何とかしなければ!)


 剥ぎ取られたズボンを探そうと、寝台から下りようとする。が、それはフィリップによって阻まれた。腰を強く引き寄せられ、耳に息がかかる。


 「これ!まだ勝負は終わっておらんぞ。今度はお前が良くなる番だ。」


 噛みつく間も無く、シャラは再び寝台に押し倒された。

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