0.-③

 馬を置いた場所へ戻り、抱いた子供を地面に下ろす。辺りに闇が迫っていた。子供がぐったりしていたので、水筒の水を飲ませたら、貪るように飲んでいた。


 フィリップは子供の体を確認した。上から下まで泥だらけで、シャツもズボンもぼろ切れのようだ。だが、顔や手足に引っかき傷はあるものの、大きな怪我は無さそうだ。


 ヤレヤレと、フィリップは溜め息をつく。


 (さて、この子をどうするか?新月の夜に馬を走らせるのも難儀だな。ましてや子連れとなると…)


 フィリップは野宿を決めた。


 「うま、だ!」


 少し落ち着いたのか、子供は馬に気付いて感嘆の声を漏らした。


 「馬が好きか?だったら、ここで馬と一緒に居ろ。俺は焚き火の支度をする。いいか、逃げるなよ。こんな所で迷子になったら、狼に食われてしまうぞ。」


 「狼」の言葉に恐怖で顔を引きつらせ、躊躇いながらも、子供はコクンと小さく頷いた。


 子供を馬に預け、フィリップは焚き火の準備を始める。落ちた枝を拾い集め、それを組み、火打ち石で手早く火をおこす。


 フィリップは10歳の時から父王に付いて戦場に出ている。野営もお手のものだ。


 炎が充分大きくなった頃には、子供は馬の鼻面にあやされて、機嫌良く笑っていた。


 手頃な倒木を椅子代わりにして、子供を焚き火の側に座らせ、自分も腰を下ろす。パチパチと炎が小さく爆ぜた。


 「俺の名前はフィル。お前の名前は?」


 「…シャラ。」


 「シャラか。良い名前だな。」


 そう言ってやると、子供は俯き、両手の指を合わせてモジモジとさせ、はにかむように笑った。


 (可愛いな。)


 フィリップは、両手の指で1と5を示した。


 「俺は15歳だ。お前は何歳だ?」


 シャラは右手で4を作ってみせてから、左手で右手の小指を苦労して折った。


 フィリップは笑った。


 「3歳か。偉いぞ。」


 頭を撫でると、シャラの顔が輝いた。


 フィリップは気付く。


 (ずいぶんと見目みめの良い子だな。)


 泥だらけで気付かなかったが、ウェーブがかったプラチナブロンドの髪に、エメラルドグリーンの丸い瞳。肉付きの良い頰と、小さな薔薇のような唇。


 スカートを履いていたら女の子と間違えそうだ、とフィリップは思った。


 「お前はどこの者だ?俺はログレス。お前はアルテアの者か?」


 ログレス、と聞いた途端、シャラは「ひっ!」と声を漏らし、立ち上がって逃げようとした。フィリップは慌てて、その腕を掴む。


 「大丈夫だ!お前を取って食ったりしないから!夜が明けたら、家まで送り届けてやる!」


 「…ほんと?」


 「ああ、本当だ。約束する。」


 シャラは少し迷ってから、また大人しく腰を下ろした。


 「家はどこだ?どこに住んでいる?」


 「おしろ。」


 「お城?…ああ、城の見える所か。アルテア城下だな。」


 「うん!」


 フィリップは思案した。先ほど白鹿を追った際に、途中の木立の隙間から街道らしき道が見えた。城下町までそれほど距離は無いだろう。が、敵国の王子という身分が知れたら非常に厄介だ。


 シャラはキラキラと期待に満ちた眼差しで、フィリップを見上げている。


 仕方ない、と内心で溜め息をつく。


 「そういえば、お前はなぜ独りでこんな森の中に居るのだ?親とはぐれたのか?」


 「…わからない…」


 (こんな幼子おさなごでは、判らないのも仕方ないか。)


 シャラのお腹から、クゥーという音が聞こえた。


 「腹が減ったのか?」


 「…うん。」


 小さく頷いたシャラは、俯いてお腹を押さえている。


 (困ったな。今日は食料を何も持っていないぞ。)


 フィリップは少し考えて、集めた枝の山から1本を手にした。


 「シャラ、お前も一緒に来い。」


 太めの松の枝に火を付けて松明にし、小さな手を繋いで暗闇の木立に入る。しばらくキョロキョロと足元の地面を探していたフィリップは、ようやく目当ての物を見つけた。


 「いいか。この枝をしっかり持っているんだぞ。」


 「うん!わかった!」


 役目を与えられたシャラは嬉しそうに頷くと、小さな両手で一生懸命に火の付いた枝を握り締めた。


 フィリップは松明の灯りを頼りに、マントを袋代わりにして、イガの付いた栗の実を急いで拾う。


 あらかた拾ったところで、シャラの元へ帰ろうとした時、あっ!と小さくシャラが叫んだ。見ると、シャラは体を強張らせ、自分の足元を凝視している。


 その視線の先には、小さな蛇が居た。松明の灯りに胴の鱗を煌めかせ、赤黒い目でシャラを狙っていた。


 フィリップは慌ててブーツで蛇を踏み殺そう…として、止めた。


 蛇ではなかった。


 「何だ?これは?」


 蛇の周りの落ち葉を掻き分けると、そこから1本の剣が現れた。蛇と見間違えたのは、剣の柄に描かれたドラゴンの文様だ。銀で象嵌が施され、両眼には血の色をした小さなルビーが嵌め込まれている。銀の錆び具合いや鞘の傷み方からして、だいぶ古い物のようだ。


 「何でこんな所に剣が?」


 行き倒れの者でも居たか?と周りの地面を見たが、それらしい痕跡は無い。


 刀身を確かめようと、剣を鞘から抜き…かけて、また止めた。


 松明を握り締め、不安そうにフィリップを見上げるシャラ。


 (剣を抜いて、また逃げられても困る。)


 このまま打ち捨てて、剣の精霊にうらまれたくはない。とりあえず持って帰るか、と剣をベルトに挟み、シャラから松明を受け取ると、焚き火の場所まで戻った。


 「万が一でも爆ぜると危ないから、俺の後ろに隠れていろ。」


 腰を下ろし、ナイフで栗のイガを取り、切り込みを入れながら、フィリップはシャラに命じた。


 背中にピタリと張り付くように立っていたシャラは、フィリップの体から恐る恐る少しだけ顔を出し、焚き火を覗いている。


 「?」


 「よし、出来たぞ。」


 火にくべた栗を全て取り出し、熱っ!と呻きながら、鬼殻を剥く。フーフーと息で冷ましてから、再び座らせたシャラに差し出した。


 「熱いから、気を付けて食べろ。」


 「?」


 フィリップから小さな栗の実を受け取ったシャラは、真似をしてフーフーと息を吹きかけてから口に入れた。


 「!? おいしい!」


 「そうか、良かった。たくさん食べろ。」


 フィリップの渡す栗の実をシャラは次々と口に放り込む。モグモグと両頰を膨らませた姿は、とても幸せそうで愛らしい子リスのようだ。


 フィリップは笑った。


 「まだあるから大丈夫だ。ゆっくり食べろ。」


 ふと、シャラの動きが止まった。どうかしたか?と聞くと、シャラは手にした栗の一粒をフィリップに差し出した。


 「あにさまの…」


 訴えるようなエメラルドの瞳に、フィリップは微笑を返して、頭を撫でてやった。


 「俺は腹が空いていない。お前が全部食べろ。」


 納得出来ないのか、シャラは悲しそうに俯いている。


 (優しい子だな。)


 「では、一緒に食べようか。」


 「うん!」


 シャラの無邪気な笑顔に、フィリップの気持ちも自然と和らぐ。


 食べ終えてしばらくすると、シャラはコクリコクリと座ったまま舟をこぎ出した。


 マントにくるんで横にさせようかと思った時、遠くで狼の遠吠えが聞こえた。シャラはビクッと目を開き、キョロキョロと不安そうに辺りを見回す。



 「大丈夫だ。火を絶やさなければ、狼達は近付いて来ない。いざとなったら、俺がやっつけてやるから。」


 フィリップは自分の腰の剣をポンと叩いたが、シャラは体を震わせ俯いている。顔を覗くと、涙を溢しながらも口をギュッと結び、泣くのを我慢しているようだ。


 「こちらへ来い。」と、堪らずシャラを抱き寄せる。


 座ったフィリップの胸の中に収まったシャラは、しばらくすすり泣いていたが、やがて疲れたらしく、そのまま眠ってしまった。泥で汚れた頰に涙の筋が付いている。穏やかな呼吸に合わせて、閉じた長い睫毛が揺れた。


 (本当に可愛らしい子供だな。)


 フィリップは微笑し、抱き直そうとして気付いた。汚れて引き裂かれてボロボロのシャツとズボン。だが、指先に触れる感触が非常に良い。


 (絹か。それもかなり上質な生地を使っているようだ。肉付きの良さといい、愛らしい顔立ちといい、裕福な家の子…貴族の子供かもしれないな。)


 伴の者と森へ遊びに来て、はぐれたのだろうか?それなら、なぜ子供を探しに来ない?


 シャラが僅かに身じろぎ、フィリップのシャツの胸元を小さな手でギュッと握り締めた。


 寒くないようにマントをかけてやる。胸に抱く子供の体温と重さに、フィリップはとても満ち足りた気持ちになった。


 (いずれ俺は、王になる。父親にもなるだろう。子供を持つなら、こんな可愛らしい子が欲しいものだ。)


 フィリップは満天の星空を見上げ、見えない月の姿を思い描きながら、一夜を過ごした。

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