0.-①

 シャラは必死に抗った。闇雲に手足をばたつかせ、体を捩る。


 3歳の王子に理由など判らない。


 が、騎士達が自分に良くないことをしているのは判る。


 「泣かずに最後まで戦うのですよ。」


 シャラは王妃の教えに従った。小さな手足で騎士の体を叩き、蹴り、噛みついた。


 それが功を奏した。


 幼子おさなごの取るに足らない抵抗ではあったが、あまりに王子が手こずらせるので、王城内での犯行に気がいていた騎士達は、手足を縛る縄の結びが甘くなった。もがき続けるうちにいましめは緩くなり、やがては解けた。口を縛った布も、何度も何度も諦めずに引っ張ったら取れた。


 だが、シャラはまだ闇の中にいる。重い布が自分に覆い被さっている。体をくねらせ、振り払おうとした。


 闇の一端に光が見え、ようやくそこから這い出した時、シャラが見たのは先程まで居た遊戯室の光景ではなく、赤や黄色に色付く森の景色だった。


 (?)


 ガタゴトと自分が何か動くものに乗っていることに、ようやく気付く。


 振り返ると、男の背中が2つ…自分を襲った騎士達の背中がそこにあり、シャラは驚いた。


 (!)


 幼い王子には、自分が荷馬車の上にいることなど判らない。低い木の縁から体を乗り出すと、動く地面が見えた。


 「この辺りでいいだろう。」


 「ああ。しかし面倒だ。城内で殺すな、死体は絶対に見つからないように処分しろ、とは。」


 「跡が残るとまずいからな。暗殺となれば、犯人探しが始まる。あくまでも行方不明、悪しき精霊による人さらい、ということにしたいそうだ。殺して適当に埋めておけば、後は狼共が始末するだろう。…停めるぞ。」


 荷台の後方で、ずいぶん身を乗り出していたので、シャラには馬を操る騎士達の会話は聞こえない。荷馬車がガクンと停まった拍子に、荷台から地面へと転げ落ちた。勢いで一回転した為、お尻からドスンと落ちた。


 「いたい…。」


 荷馬車を降りた騎士達は、地べたに座りこみ、お尻をさする王子をあっさりと見つけた。


 「!? 逃げたぞ!」


 シャラは慌てて車輪の間から荷台の下へと潜り込む。


 そこへ悪鬼のような男の顔がのぞき込んだ。


 「挟み撃ちにするぞ。お前は向こう側へ廻れ!」


 今度はシャラの左右両側から、抜き身の剣が差し込まれた。探るような剣先が体を掠め、シャラは荷台の下の中央にうずくまり、ブルブルと震える。


 「チッ!駄目だ、届かない。仕方ない、俺が潜り込む。お前は王子が出てきたら捕まえろ!」


 1人の男が腹這いになって荷台の下に入って来ようとした。反対側では別な男の顔が、シャラを睨んで覗いている。


 (どうしよう…。)


 逃げ場を探して、キョロキョロと辺りを見回すと、4本の木の棒が立って動いているのが見えた。シャラには、それが大好きな馬の脚だと判った。


 助けを求めるように、シャラは馬に向かって荷台の下から飛び出した。


 が、馬の方は驚いた。荷車を引いていた馬は、いきなり小さな生き物が足元から飛び出して来たので、驚いていななき、後ろ脚で立ち上がる。


 暴れる馬にシャラが蹴られなかったのは、幸運だった。


 騎士達も混乱した。荷台の下に潜り込んだ男は、ガタガタと大きく揺れる台から慌てて這いずり出し、もう1人の男は咄嗟に馬をなだめようとした。


 シャラはその隙に、近くの背の高い藪に飛び込んだ。


 「逃げたぞ!追え!」


 男達の怒声が追いかけてくる。シャラは藪の中を必死で進んだ。


 (ちちうえ!ははうえ!)


 鋭い葉や小枝が、王子の絹の衣服を引き裂き、柔らかな頰や手足をも引っ掻いたが、それでも前に進んだ。途中で転んだが、立ち上がって進んだ。


 深く深く続く藪に、騎士達は小さな王子を見失う。藪に潜んでいたキツネやウサギといった動物達も、突然の乱入者達に慌てふためいて駆け回り、音による追跡の妨害に一役買った。


 …どれくらい経ったか判らない。幼い王子はすっかり疲れ果て、喉は干からび、足はよろめいている。何度も転び、転んだままウトウトと眠ってもしまった。


 (ちちうえ…。ははうえ…。)


 騎士達の声は、もう聞こえなかったが、シャラは前に進んだ。「泣かずに最後まで戦うのですよ。」涙を拭い、前に進んだ。息を喘がせ。藪をかき分け。


 …視界が開けた。

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