7.

 手元を照らすランタンの炎が揺れるに合わせ、盤に落ちる駒の影も微かに揺れた。


 小さな四角いテーブルを挟んで、シャラとログレス王は向き合って座っている。傍らに2人並んで立っている、アルテアの侯爵と、ずっとログレス王に付き添っていた騎士・百騎隊の隊長、が立会人としてテーブル上のチェス盤を見下ろしていた。


 王の言葉通り、天幕の中はとても静かだ。まるで遮断されたかように、外の音は聞こえて来ない。


 その広さにも驚いた。野営の時に使うシャラの天幕は、人が1人寝起き出来る程度なのに、この天幕は他にも6人掛けのテーブルや椅子、幾つかの大振りな道具箱を置いてもまだ余り、更にカーテンの向こうには別室までしつらえているようだ。


 さすがログレス。大国の王の設えは違う…と、シャラが心の中で感心するのに反し、その大国の王は先ほどからずっと呻いている。


 「うーん。」


 腕を組み、時には目を閉じ、時には天を仰ぎ、王はずっと呻き続けている。


 「うーん。」


 確かに長考だ、とシャラは思う。しかし、駒はまだそれぞれ3回ずつしか動いていない。


 (何を企んでいる?)


 「うーん。」


 やおら王は腕組みを解き、ドサリと椅子の背に体を投げた。


 「駄目だ。全く集中出来ん。」


 王は、気怠そうに2人の立会人を見やった。


 「目障りだ。出て行け。」


 驚くシャラと侯爵が口を開く前に、百騎隊の隊長に後ろから羽交い締めにされた侯爵は、素早く出入り口に引きずっていかれた。天幕の向こう側から、侯爵の抗議の叫びが、ようやく僅かに届いた。


 「お約束と違います。この賭けは無効です。」


 テーブルに両手をついて立ち上がり、冷たく言い放ったシャラの左手に、ログレス王の右手が重ねられた。


 「公平さに変わりはない。私とそなたの1対1だ。このまま勝負を続けよう。」


 微笑した王はシャラから手を離し、盤上のポーンを動かした。


 シャラはしばらく躊躇いつつ、再び席に着くと、自分のビショップを進める。


 コツン、コツンとリズミカルにゲームは進む。先ほどまでの王とは別人だ。気になるのは、王が盤面を見ているよりも、シャラを見ている時間の方が長い、ということだ。


 シャラはゲームに集中する為…それ以上に、王と目を合わせない為に、ひたすら盤を見つめた。


 「チェックメイト!」


 勝負はあっさり決まった。


 「このゲームは僕の勝ちですね。」


 「ああ、そうだな。」


 「では、次の準備をー」


 シャラが言い終わらないうちに、ログレス王は盤上に残っていたシャラのキングの駒をつまみ上げ、ポイと床に投げ捨ててしまった。


 「何をする!」


 立ち上がり、落ちた駒を拾おうとしたシャラのみぞおちに、ログレス王の拳が入る。


 「くっ…」


 「痛い思いをさせて、すまない。」


 崩れ落ちるシャラの体を王は易々と肩に担ぎ上げ、カーテンの向こう側へと運び込む。


 肩から下ろされた場所は、寝台の上だ。


 まだ痛みに呻いて体を丸めるシャラの腰から剣を鞘ごと引き抜き、それを寝台脇のテーブルに置くと、王はシャラの体に馬乗りになった。


 王の意図を悟り、シャラは必死に抗った。足をばたつかせ、覆いかぶさる王の胸を押し返す。が、力の差は余りにも大きい。唇を奪おうとするのを顔を捩って逃げた。


 「止めろ!だ、誰かー!」


 「大きな声をあげると、人が来るぞ。良いのか?こうして男に組み敷かれている姿を見られても?」


 王の囁きに、体が強張った。その一瞬を王は逃さず、うつ伏せに返され、後ろ手に縛られてしまった。


 「ー!」


 見開かれたシャラの緑の瞳に映ったのは、息を荒げて獲物を見下ろし、今まさに食らいつこうとする飢えた獣の姿だった。









 シャラは最後まで諦めなかった。暴れ続けた。


 が、屈強な王との力の差は、如何ともならなかった。押し入られた体の痛みよりも、嬲られた屈辱に呻く。


 身も心も抗うことに精一杯だったので、王が始末をしたことには全く気付かなかった。


 手の縛めを解かれ、体にシーツをかけられる。


 「大丈夫か?」


 なおも触れようとする手を弱々しくも払い除け、シャラは半身を起こした。


 「貴様!殺してやる!」


 濡れた目で睨むシャラに、寝台の上で胡座をかき、上半身の肌を晒した王は、眉をひそめて首を横に振る。


 「殺してやるとは、酷い物言いだな。それが命の恩人に対して言う言葉か?」


 シャラは動きを止めた。…この男は、何を言ってるんだ?


 「もっとも、おまえが3つの時のことだから、覚えていないのも無理はないが。」


 微笑む王の姿がぼやけ、急に眩暈に襲われた。


 自室で王に会って以来、見逃していたものに、ようやく行き着く。


 シャラは王の顔を、記憶の中の朧な面影を凝視し、かすれた声で言った。


 「まさか…『あにさま』?」


 「おおっ!覚えていてくれたのか!?」


 王はとても嬉しそうだったが、シャラは息が苦しくなり、血の気が引いていった。

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