6.
予想通り、広間は大騒ぎになっているようだ。1階へ下りた途端、シャラの耳に兵や貴族達の喚く声が届いた。
廊下の途中で、シャラの部屋に向かうつもりだったらしいジェイドに出くわしたが、騎士は王の姿をチラリと見ると、黙って膝を折ることしか出来なかった。
広間の騒ぎは、シャラとログレス王が姿を見せた途端にピタリと止んだ。静寂の中で、王座に座ったリチャードの荒い呼吸だけが響いている。
「ログレス国王殿!他人の城を勝手にうろつき廻るとは、いかなるご了簡であろうか!? 無礼にも程がありますぞ!! シャラ!お前は何という姿でここに居る!見苦しいぞ!部屋に下がれ!!」
黙って頭を下げ、広間を退出しようとするシャラをログレス王が手で制した。
「いや、案内役の者が急に倒れてしまったので、広間へ戻る道が判らなくなりましてな。迷っているうちに、シャラ殿の部屋に間違って入ってしまったのです。シャラ殿にはこちらにご案内いただき、感謝しているところです。」
白々しい嘘を滑らかに語る王を、リチャードは憤怒の形相で睨んでいる。
ログレス王は続けた。
「しかし、美しい城ですなぁ。さすがアルテア。白亜の外観も美しいが、中も良く出来ている。」
神話を謳いあげる演者のように、王は大げさに両手を広げ、天井を仰いでみせた。
そして、その顔がゆっくりとリチャードに向けられた時。そこには今までのログレス王とは全く別の顔があった。
「私、この城が欲しくなりました。」
広間の空気が凍りついた。リチャードをヒタと見据え、ニタリと笑った獅子王の口元に、鋭い牙がはっきりと見えたからだ。
餌食になるのを恐れ、誰も息を吐き出さないなか、口を開いたのはシャラだった。
「それは、宣戦布告でございますか?」
まさか、と意外にも王は快活に笑った。
「この美しい城を血で汚そうなど、そんな無粋なことは考えておらぬ。…アルテア国王殿、いかがでしょう。私と一つ、賭けをしませんか?」
「…賭け、だと?」
シャラは思わず口を挟んだ。
「陛下。お聞きになってはいけません。失礼ながら、ログレス国王様には何かお考えがあるご様子。これ以上、話をお聞きになられますな。」
長身の王は小柄なシャラを見下ろし、あざ笑った。
「随分な物言いだな。まるで私が何か企んでいるかのようだ。私は国王殿を遊びに誘っているだけだぞ。そなたはなかなかに賢いようだが、大人には遊び心というものがあると、よくよく知っておいた方がいい。」
子供扱いされ、怒りで顔が赤くなったシャラを王は鼻であしらった。
「アルテア国王殿。もしも私が賭けに勝ったら、このアルテア城を頂きたい。もし貴殿が勝ったら、我がログレス城を差し上げましょうぞ。」
広間が一斉にどよめいた。「ログレス城を?ログレスの王都を寄越すというのか!?」 貴族達は興奮を抑えきれない。
リチャードも、王座から身を乗り出した。
「それは真の話か!?」
「むろん。遊びに城を賭けるなど酔狂なことも、王の器というものでしょう。」
「で、その賭けとは?」
シャラは叫んだ。
「陛下!お止め下さい!ログレス王の手に乗ってはいけません!これは罠です!」
「うるさい!お前は黙っていろ!」
兄から怒鳴られ、シャラは俯き唇を噛んだ。
「賭けとは、一体何の賭けですかな?」
「チェスの勝負でいかがでしょう?これでも私、いささか腕には自信がありますので。」
今度はリチャードがニタリと笑った。
「よろしい。お受けしましょう。ただし私ではなく、弟のシャラがお相手します。」
「えっ!シャラ殿ですか?城を賭けた大勝負だというのに、王ご自身が対戦しないとは…。」
「シャラは私の大切な弟です。代理として不足は無いと思いますが。」
「うーん。困ったなぁ。シャラ殿はチェスの名手と噂で聞いております。今まで負けたことがないと。そんな方がお相手とは…。うーん、困ったな。」
渋るログレス国王に、リチャードはほくそ笑む。チェスの勝負なら、まず間違いなくシャラが勝つだろう。もし、ログレス国王がここで勝負を下りると言うのなら、ログレスは戦いもせず、尻尾を巻いて逃げたことになる。いずれにしても、既に私の勝ちだ、とリチャードは心の中で高らかに笑った。
「うーん。…よろしい。シャラ殿との対戦を認めましょう。ですが、こちらからも条件を付けさせていただきたい。私は、大勢の者に見られながら考えるのが苦手でして。静かな場所で集中しないと、上手くないのです。ですので、場所を指定させていただきたい。場所は中庭に置かれた天幕において。立会人は両国より1名ずつ。勝敗は3局勝負して勝ち数の多い方。その条件なら勝負をお受けしましょう。」
「よろしい。それで勝負いたしましょうぞ。」
「では、さっそく用意いたします。…ああ、それと。私には長考の癖がありまして。結果が出るまで、どうかゆるりとお待ち願いたい。」
ログレス王が広間を出て行くと、リチャードは怒鳴った。
「シャラ!絶対に負けるな!万が一負けたら、お前の命は無いものと思え!」
シャラは腹の中が沸々と煮えていた。チェスなんて、どうでもいい。あの王の狙いは、別な所にあるのだろう。
冷静になれ、と自分に言い聞かせる。感情を高ぶらせ、振り回されれば、見えるものも見えなくなる。それが、あの狡猾な王のやり口なのだろうから。
頭の中で、獅子に向かって唸る小さな犬の姿が浮かんだ。
(たとえ力の無い犬だとしても。)
シャラは思う。アルテア城を守る為、命に代えても必ず獅子の喉笛に噛みついてやろう、と。
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