5.

 カタンと出入り口の扉が開く音がして、シャラは手にした書類から顔を上げた。


 「…誰だ?」


 扉から現れた長身の男は、シャラを見て、ひどく驚いたような顔をした。


 だが、見開かれた濃い灰色の目は、やがて獲物を品定めするかのように細められ、シャラに視線の矢を突き立てた。


 (これが…獅子王か。)


 知らず手のひらがジットリと汗ばむ。僅かでも動けば、取って喰われそうだ。だが、負ける訳にはいかない。シャラは椅子から立ち上がった。


 「断りも無く部屋に入ってくるとは、無礼であろう。今すぐここから出て行け!」


 再び男は驚きの表情を浮かべる。が、それは瞬く間に消え、微笑に変わった。


 「これは失礼。私はログレス国王・フィリップと申す。広間へ戻る道が判らず、迷ってしまった。そなたは王弟のシャラ殿だな?」


 判って入ってきたくせに、とシャラは苦々しく思う。ケインが部屋の前に居たはずだが、どうしたのだろう?


 「失礼しました、国王様。行き届かず、誠に申し訳ありません。誰かに広間まで案内させましょう。」


 扉へ進もうとするシャラを王が手で遮った。


 「なぜ、そなたは夜会に出ない?私を歓迎する気持ちが無いということか?」


 「申し訳ありません。僕は体の具合が悪く、失礼させていただきました。」


 「ほぅ。そんな風には全く見えないが?」


 大袈裟な身振りでシャラの頭からつま先まで見定める王に、シャラは苛立った。


 「あいにく夜会に着ていくような服もありませんので。」


 「構わん。私とて、このていだ。」


 シャラは、あからさまに溜め息を吐いてみせる。


 「申し訳ありませんが、僕は夜会が嫌いです。武人の方とお話しするのが、大の苦手なんですよ。特に、他人の部屋へ勝手にズカズカと入って来るような無神経な武人の方とは。」


 王は愉快そうに声を上げて笑った。


 「そうだな、私も苦手だ。そんな礼儀知らずと話すのは。だが、知将と呼ばれる武人と話すのは、なかなか楽しいものだ。」


 礼儀知らずな王は、勝手に部屋の中を進み、先ほどまでシャラが座っていた椅子にドカリと座ってしまった。


 「国王様、皆が心配しておりましょう。どうぞ広間へお戻り下さい。」


 「私は知将と話したい。そなたが行くなら、一緒に行こう。」


 「何の言いがかりでございますか?僕は知将などではありません。それどころか、武人ですらありません。」


 「噂は聞いている。12の歳で指揮官として初陣を迎え、それから幾度も戦果を収めていると。しかし、アルテア国王殿は何を考えているのだろうな?12でいきなり指揮官とは。まるで負けても構わん、死んでも構わんとでも言うようだ。」


 シャラの頰が、カッと燃える。13年前の一件以来、兄に疎まれていることは、言われなくてもシャラ自身が一番判っているのだ。しかし、今までそれには蓋をしてきた。いつの日か、兄の気持ちも変わる。兄弟3人が手を取り、このアルテア国を支える日が来る…。何度心が折れそうになっても、自分にそう言い聞かせてきた。


 この男は楽しんでいる。部屋だけでなく、僕の心の中まで無遠慮に踏み荒らそうとしている。僕を怒らせ、楽しもうとしている。まるで獲物をいたぶるように。


 シャラは拳を握り締めた。その手に乗ってはいけない。冷静に。とにかく、この厄介な王をここから追い出さなくては。


 そんなシャラの心の内などお構いなしに、王は腰に下げた剣を気にしつつ足を組むと、テーブルに左手で頬杖をついてシャラを見上げた。


 「別の噂も聞いたぞ。年明け早々、リディア国との国境でのいくさの際には、僅か千の兵で4千のリディア軍を追い払ったそうではないか。囮を使った奇襲攻撃だと?大したものだな。」


 「残念ながら、その情報は不正確ですね。まず、相手は4千ではなく3千です。それと追い払ったのではなく、我が軍の貧相さに呆れて、リディア軍が勝手に引き上げただけです。そもそも我が国には、正式な将軍という者がおります。僕は将軍の下で働いているに過ぎません。さあ、国王様もこんな貧相な部屋に居られても仕方ないでしょう?どうぞ広間にお戻り下さい。御国おくにの情報源の見直しも、早急になさった方がよろしいようですし。」


 シャラの辛辣な言葉を王は頬杖をついたまま小首を傾げ、黙って聞いていた。まるで吟遊詩人の歌声に聞き入るかのように、微笑を浮かべ、和らいだ瞳でシャラをじっと見つめて。


 (何なんだ!? この王は!)


 シャラはますます苛立ち、思わず睨み返す。


 だが。


 シャラの苛立ちは、王の煽るような言動ばかりにではない。何かが腑に落ちない。それは王が部屋に入って来てから、ずっと感じていた。肝心なものを見逃している。そんな思いがどんどん膨らんでくる。


 (何だろう…。)


 そんなシャラの戸惑いなど知らず、王は更に笑みを深める。


 「そうだな。確かに貧相な部屋だ。金目の物は一切無さそうだ。」


 王は狭い室内を見廻した。


 「そういえば、こんな噂も聞いたぞ。昨年の夏、アルテア北部で起こった飢饉の際に、そなたは私財を投げ売って、民に食糧を買い与えたとか。父母の形見の品を殆ど売り払ったそうだな。もっとも、それまでにも兵士への褒賞や戦死者の遺族達の為に、だいぶ金を使っていたから、金目の物は大して残っていなかったらしいが。ログレスからもずいぶん食糧を買い込んでくれたと、商人達が喜んでいたそうだ。…どうだ、この情報も不確かかね?」


 財布の中身を覗き込まれるほど、不愉快なことはない。シャラは奥歯を食いしばり、再び拳をギュッと握り締めた。


 王は、まだ無遠慮に部屋を眺めていたが、やがてテーブルに置かれた書類に目を留め、それを手に取った。


 「和平協定の草案か。先代のアルテア王殿がご存命だった時、和平の話が出たのだが、亡くなられてうやむやになってしまった。先代殿は聡明な方であられたな。」


 「!? 父にお会いになったのですか?」


 「いや。お会い出来れば良かったのだが…。」


 その悲しげな言葉尻に、シャラは更に困惑する。


 王は書類をテーブルに戻した。


 「そなたの要求は、全て受け入れる。好きにして構わん。」


 王は真顔でシャラを見つめた。


 (…何だろう。これは…これでは、まるで…)


 熱を帯びたその視線に捕らわれそうな錯覚に陥り、シャラは顔を僅かに背ける。


 (まるで口説かれてでもいるようだ。)


 そんなことを考える自分を馬鹿げていると赤面しつつ、シャラは言葉を口にする。


 「今、僕の願いはただ一つ。広間へお戻り下さい、国王様。」


 「そなたが一緒に来るなら、そうしよう。」


 ニヤリと笑う王に、シャラは諦めざるを得なかった。


 「判りました。では、僕がご案内します。」


 ようやく椅子から立ち上がった王を先導して、部屋の扉を開ける。


 廊下で待機していたログレスの騎士の足元に、警備の騎士が倒れていた。


 「ケイン!…貴様、よくも!!」


 ログレスの騎士に斬りかかろうと、腰に下げた剣に手をかけた途端、王にその手を押さえられた。


 「心配するな。そなたの大切な騎士を殺したりはしない。少し眠らせただけだ。」


 顔の間近で低く囁かれ、シャラの心臓がドクンと大きく跳ねた。重ねられた王の手は、とても大きく硬く、とても温かい。


 振り払うように体を離した。落ち着け、と自分に言い聞かせ、呼吸を整える。


 「…こちらでございます。」


 王の視線を背中に感じながら、シャラは広間へ向かって歩みを進めた。

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