4.

 誰もこの男に、『礼儀』という言葉を教えなかったに違いない!


 アルテア国王・リチャードは、心の中で毒づいた。


 着替えを持って来なかった、というログレスの王は、華やかな夜会だというのに旅装のままだ。いや、この男にとっては、マントを外しただけマシなのかもしれない。


 当の本人は意にも介さず、機嫌良くワインのグラスを傾けていた。


 広間に集うアルテアの貴族や重臣達は、両国王を遠巻きにしつつ、ヒソヒソと会話を交わしている。淑女の中の何人かは、ハンサムな28歳の大国の王が独身と知り、誘うような艶めかしい視線を送っていた。


 が、残念ながら、王はそちらも意に介していないようだ。


 「いやあ、素晴らしい宴ですな。さすがアルテア。予定外の訪問にも関わらず、これほど盛大にもてなしていただけるとは!」


 ログレス王の褒め言葉に多少は気を良くしたリチャードの背後から、一人の男が進み出た。


 「ご無礼をお許し下さい。私はアルテア国王・リチャードの弟にて、ミカエルと申します。今宵の宴は、私が準備させていただきました。お褒めを賜り、恐悦至極に存じます。」


 深々と膝を折るミカエルは、小太りの兄とは対照的に、痩せて骨張った体をしている。同じく対照的に、背を反らせ仏頂面の兄とは違い、ログレス国王に対して愛想良く笑みを見せたが、歪んだ口の端に狡猾さが隠しきれていなかった。


 「ほぅ。弟御か。アルテア国王殿は立派な弟御をお持ちで羨ましいですな。我が弟ときたら、こんな大事な時に病になどかかりまして、全く役に立ちません。いや、羨ましいかぎりです。」


 兄弟は相好を崩したが、ログレス王の次の言葉に、それは直ぐに冷めてしまった。


 「そういえば、ご兄弟は3人と聞き及んでいますが、もうおひとりは?」


 「…末弟は病にて、本日は欠礼させていただきました。」


 そうですか、とログレス王は大きく頷く。


 「どこの国でも、末の者は甘く出来ているのかもしれませんな。…失礼、ちょっと用足しを。」


 騎士を1名従えて、ログレス王は広間から出て行った。


 その後ろ姿を目で追いながら、リチャードとミカエルは小声で囁き合う。


 「全く、獅子王とは名ばかりだ。」


 「くみし易い男のようですね、兄上。我らにとっては助かります。」


 「だいぶ変わり者ではあるがな。」


 だが、兄弟が笑っていられたのは、ここまでだった。






 「こちらでございます。」


 用足しを終えたログレス国王を広間へ案内しようと、侍従が後ろを向いた途端、騎士は無言のまま、その後頭部を固く組んだ両の拳で打ち据えた。昏倒した侍従の体を引きずり、床に置かれた大きな水瓶の陰に隠す。


 王と騎士は小さく頷き合うと、足早に広間とは反対方向の廊下を進んだ。


 視界に人影は無い。アルテア内部に潜む密偵が、上手く追い払ってくれたようだ。


 頭に入れてあった城内の見取り図に従い、目的の部屋へ向かって階段を上る。


 その部屋の扉の前には、若い騎士が警護に立っていた。王は黙って目で床を指し示す。騎士は頷くと、廊下にうつ伏せになって目を閉じ、そのまま動かなくなった。


 (ようやく、だ。)


 王は部屋の扉の前でひとつ深呼吸をし、居ずまいを正す。


 (ようやく…)


 付き添っていた騎士が、扉を開けた。

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