第4話 ミルクとワイン

 無意識にミルクまで入れてから、はっと思い出す。


「……コーヒーのほうが良かったっすか?」


 課長はいつもあたしの好みに合わせてくれるけど、今日くらいは医者も文句は言わないはず。

 実行部隊が独立することで、明日から課長の胃の負担がましになるはずだから。


 ……もちろん、あたしの頑張り次第だろうけど。


「どっちでもいい。いいが……この場所と、その格好と、妙に可愛らしいティーセットは何だ?」


 何だ?と言われても、ご覧の通り。


 夕日に染められた学校の屋上で、制服姿の美少女と二人っきりの、誰にも秘密のティータイム。


 現場から直行するあたしに任せると課長が言ったから、気合いを入れて準備したのだ。


「お前が課長に就任するにあたって、覚えておくべきことを話してやろうと思ったんだが……くそ、やりにくい!いつもの店に変更だ。たしか、あそこは個室も……」


 一人で口早にぺらぺらと喋りながら、課長はさっさと階段を降りて行った。


「……あははっ!」


 屋上に残されたあたしも、一人で笑う。


 あたしの胃は、このイタズラで守られている。


     ◇


 あたしがいつもの店に足を踏み入れると、酔っ払いたちがざわざわと騒ぎ出す。


 それも当然。今のあたしが身に纏うのは、請求書を見た課長の顎が外れかけたほどの最高級ドレス。

 場末の娼館なんかでは、とてもお目にかかれないだろう。

 ……私用で使うのは怒られるかな?


 適当に愛想を振りまきながら、奥の個室に向かって歩いていく。

 あたしがここの常連客だとは、誰も気づかない。


 下品な口笛を背に個室の扉を開ければ、一番奥の席に課長がいつもの腕組みをして座っているのが見えた。


 テーブルの上には、ミルクが入ったグラスが二つ。


「……あら。今日は二人のお祝いなんだから、ワインにしましょうよ」


 あたしの独立と同時に、課長も『追放企画部』部長に昇進する。

 『追放調整課』課長と兼務で、業務内容は全く変わらないけれど。


「……仕事の話が済んでからだ。それと、『っす』に戻せ」


 課長に『っす』と言わせたことに満足したあたしは、本日のイタズラを終了する。


 空気を正しく読むのは「追放」されないための。

 引き際を見極めるのは「ざまぁ」されないための。


 どちらも、とても大事な心得。


 白いヒゲを生やした課長の前に、あたしも腰を下ろした。


     ◇


 黒くて分厚い手帳を開いて、課長が仕事の話を始める。


「これまでの任務で、我々は沢山の「追放」対象者を見てきた。……その中で、何人か特に危険な対象者がいたのには気づいたか?」


 曖昧な問いかけでも、あたしはすぐに分かった。


「あぁ……近くにいたら、なぜか妙に肌がぴりぴりするやつらっすね?」


 『才能』の高さや種類に関係なく、ときどきそんなやつがいた。そういうやつらは、大抵……


「その感覚のほうが私には理解できんが……おそらく、思い浮かべたやつらは一致しているだろう。私は、やつらを『特定「追放」種』と命名した。箍が外れた倫理観を持ち、神懸かり的な求心力を発揮する危険な連中だ」


 求心力がどうとかは分からないけれど、たしかにあいつらは……やばい。


 同じ女性として胸が痛くなるような、ひどい扱いを受ける娘たちをいっぱい見てきた。


「お前自身が気をつけるのはもちろん、連中の「追放」先には十分注意しろ。少しでも目を離すと、いつの間にか悪夢のような隷属者集団を形成しやがる」


 その光景を想像したあたしは、思わず身震いをする。


 ……そんな悪夢を現実のものにさせないために、あたしたちがいるのだ。


「……『特定「追放」種』以外には、どんな種類の『「追放」種』がいるんすか?」


 どうにも気分が悪くなったので、少し話題を変えてみる。


「まず、『優良「追放」種』だな。彼らは争い事を嫌い、農作業や物作りを好む」


 これも、すぐに分かった。


 なぜだか『辺境』や人里離れた山奥に行きたがるから、ちょっと手間はかかる。

 けれど、彼らの「追放」任務には凄く充実感があるのだ。


「いかにして社会との関わりを持たせるのか……という点に悩むことにはなるが、概ね理想的な「追放」が可能だ。彼らの類稀なる生産力と開発力が「ざまぁ」なんかに使われてしまうのは、大いなる損失だろう」


 この異様に美味しいミルクにも、おそらく彼らが関わっている。


 そんな彼らを「追放」しようとする愚か者は、あたしたちがきっちり「追放」してやらなければならない。


「あとは『一般「追放」種』というのも定義してみたが……これに関しては、特に言うことはないな。さしたる山場もない、標準的な「追放」任務となる」


     ◇


 仕事の話を終えたあたしたちは、早速お代わりの注文を始める。


「ビールでいいっすか?それとも、ミルクのお代わりいっときます?」


 二人のグラスはすでに空。

 課長もこのミルクがお気に召したのか。


 それとも、あたしがイタズラし過ぎたせいで……


 思わず演技抜きで心配顔になるあたしに、課長がいつもの仏頂面を向ける。


「……いや、今日はワインにしてみようか」

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