第6話 甘美なる「ざまぁ」
「そろそろ、始めようか」
埃っぽい天幕の下、生温いミルクティーを飲み干した私は軍議の開始を宣言する。
「はっ。それでは、参謀係長どのにご説明いたします。賊軍は二つの大隊で構成されており……」
当然、『戦略部作戦課参謀係』なる部署は存在しない。
私が『辺境』に赴く前、王都最後の冷えたビールを飲みながら三秒で考えた適当な肩書きだ。
そんなものを心から信じ切っている彼らだが、それは無能だからではなく、肩書きなどとは縁遠い日々を送っているからだ。
『辺境』近隣を守護する兵団。朴訥にして勤勉、精強なる兵士の鑑だ。
「大隊を率いるのは『聖剣の勇者』と『奇跡の錬金術師』。どちらも手強いのですが……特に後者。一切魔力を感知できない爆裂魔法を扱う強敵です」
……どちらも心当たりがある相手だ。いずれも『特定「追放」種』。
ナントカ病の治療薬の開発はさっさと諦めて、代わりに火薬でも作りやがったらしい。
「心配するな!」
不安気な彼らに向かって、精一杯の作り笑顔を見せる。
そして、取り出すのは、小さな木箱。披露する中身は、もちろん最新の爆薬だ。
『奇跡の錬金術師』とやらは自分が発明したつもりなのだろうが、火薬の製法など禁書庫の資料に載っている。
盗み見した際の朧げな記憶が、やつに『奇跡』的な勘違いをさせたのだろう。
「これが爆裂魔法のカラクリだ。しかも、性能はこちらのほうが遥かに上。これを使用する武器も、山ほど持ってきているぞ」
やつを追放してからまだ数年。開発できても、せいぜい手投げ弾か原始的な砲が限度だろう。
先人が積み重ねた努力の結晶は、そんなものとっくに凌駕している。
もちろん、全員が天才だったわけでもないし、数え切れないほどの失敗もしただろう。
中には、運命に翻弄されて「追放」された者もいるかも知れない。
しかし、彼らは安易で破滅的な「ざまぁ」に走ることなく、地道に努力を積み重ねて来た。
むしろ、その努力の成果をもって、世界に対する「ざまぁ」を成し遂げたのだ。
そんな彼らの尊い歴史が、あいつら如きに「ざまぁ」される筋合いなど何処にもない。
◇
部隊長たちの士気が最高潮になったところで、場は軍議から訓示へと移る。
飾り気のない演台の上からは、簡素な装備に身を包む兵士たちの、一糸乱れぬ隊列が見渡せた。
ひとりひとりの戦力は、『辺境』で鳴らす冒険者たちには到底及ばないだろう。
しかし、彼らは真っ直ぐに並ぶことが出来るし、許しが出るまで歩き回ったりしない。
……当たり前の事が、当たり前に出来る。それの何と尊いことか。
久々に見た至極真っ当な人間の姿に、感涙を堪えながら口を開く。
「……諸君たちは凡人だ。若かりし頃は誰しも大きな夢を心に描いただろう。しかし、現在に至るまでその夢は花開かず、今こうしてここに並んでいる。それは、凡人である事の証左である」
整然と並ぶ兵士たちが、僅かに揺らぐ。
「……しかし、凡人の何が悪い。格下相手に暴れる『無双』に、何の意味がある?『さすが』の賞賛は、そんなに快感か?……それは、決まり切った仕事の後の、キンキンに冷えたビールに勝るものなのか?!」
一度蓋が開けば、もう止まらない。腹の奥に渦巻くものを、思うがままにぶち撒ける。
「そんなに何人も女が必要か?どうやって円満な人間関係を維持するつもりだ?気になるあの娘の笑顔か、妻や子供の『おかえり』があれば十分だろう!」
もはや賊軍征伐など一切関係なくなっているが、兵士たちの頭上には異様な熱が渦巻き始める。
「諸君たちは……いや、俺たちは凡人だ。先輩から、上役から、社会から。どんな理不尽を押し付けられても「ざまぁ」なんて考えない。「ざまぁ」で得られるものより、もっと大切なものを知っているからな。俺たちは、ただただ黙って従う社会の歯車だ!世界を動かす巨大な機械の一部品だ!!」
上役から理不尽……のくだりで目を逸らした部隊長の顔は、きっちり覚えておくことにする。
「……賊軍の冒険者たちは強い。日々、自分の『命』を賭け金に博打を打っているようなイカれた輩だ。決まり切った仕事しかしていない俺たちより強くなければ、それこそ理不尽だろう?」
熱狂の渦中にいる兵士たちは、もはや小揺るぎもしない。
「……だが!俺たちは、毎日毎日『命』の代わりに『魂』を磨り減らしている。博打じゃないから、配当もない。目減りする一方だ!……それが、あいつらには我慢できなかった。我慢しなかったんじゃない!我慢できなかったんだ!!」
隣で絶句する部隊長の懐から、隠し持った蒸留酒をひったくる。
……もちろん、そんなものは調査済みだ。
「もう分かるだろう!俺たちには、俺たちだけの、俺たちにしかできない戦い方がある。……あいつらの大嫌いな社会の歯車で、粉々に挽き潰してやるぞ!!」
空にした借り物のスキットルを叩き壊した私は、最初の号令を下す。
「よし!では、全軍撤退だ!!」
◇
諜報畑出身の私には、大軍の指揮の経験など有りはしない。
そんな人間に征伐軍全体の指揮を任せるなど狂気の沙汰だが、それは初めから分かっていたことなので脇に置いておく。
私が選択したのは、教科書通りの徹底的な持久戦。ただただ地道で消極的な戦闘を延々と繰り返した。
山場も波乱も盛り上がりもない戦い方こそが、私たちの戦い方だ。
滅多に使われないからこそ、『奇策』は『奇策』と呼ばれる。
そんな私たちの狙いは、もちろん賊軍側の食糧を枯渇させること。当然、開戦が決定的となった時点で、我が国からの流通は止めている。
『辺境』でも努力すれば多少の自給は可能なのだが、誰しもがそれを自身の仕事だとは考えない。
もちろん、賊軍には知恵者気取りの『特定「追放」種』も混ざっている。
そんな連中は、目を輝かせて声高に兵站論を展開するのだが……残念ながら周囲はほとんど『一般「追放」種』。
誰しもが自身の『才能』を過信しており、高所からの指示には従わなかった。
◇
「如何にして自身の魅せ場を作るか」のみを考えた、個の力を頼みとする攻め一辺倒の賊軍。
対する私は、教科書片手にそれをひたすら耐え凌ぎ、時にやり過ごし、賊軍の瓦解を待つ。
賊軍が何やら策を弄する場面もあったが、対応策は全て教科書に載っていた。
薄っぺらい人生経験から捻り出された策などでは、先人たちの足跡の向こう側まで到達できなかったのだ。
辻褄の合わない『才能』と偏執的な「ざまぁ」への執念を、私たちはただただ愚直に受け止め続ける。
ただただ黙って回り続ける。
そして、時は流れて……
◇
「『聖剣の勇者』、撤退を確認しました!」
ようやく届いた決着の知らせに、大きく胸を撫で下ろす。
私の身を襲っていた、極度の肉体的疲労と過度の心理的重圧による精神的異常は、つい先ほど完全に消え去った。
……意味不明の大演説をぶちかますという、闇の底に葬るべき忌まわしい記憶だけを残して。
「これで『軍神』どのも、王都のやつらを見返してやれましたね!」
いつしか腰巾着のようになった部隊長の一人が、嬉し気に私の肩に手を乗せる。
今回の任務、間違いなく失敗を期待されていた。
国王陛下とその一派からの「ざまぁ」とは別に、かつての依頼者たちの一部が暗躍している節があったのだ。
『優良「追放」種』を自ら手放してしまったという後悔。それがどう歪んだのか、私に対する「ざまぁ」として発露したらしい。
……マリアンからの手紙に、そう書かれていた。
「……そういう考え方は、あまり好まんな」
内心の動揺を悟られぬよう、何とか答えを捻り出す。
私がこの任務を成功させたということは、暗躍する者たちに対しての実質的な「ざまぁ」だ。
この感覚は……麻薬だ。決して、手を出してはいけない。
◇
お調子者の腰巾着を追い払い、王都の方角を見つめる。
全ての思いは、『辺境』に残して。
「さて、どうするか……」
王都に帰還してからの最初の一杯には、何が相応しいだろうか?
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