第2話 錬金術師の夢

 石のように冷たい少女の手を握りながら、僕は必死に涙を堪える。


「……ごめん、ここに来れるのは今日が最後なんだ」


 早くに両親を失くし、貧民街でひとり必死に生きてきた健気な少女。

 ある日、その身に『石化病』という奇病が襲いかかった。

 原因は不明で、治療法も不明。痛みはないようだけど、日々死に近づいていくという恐ろしい病。


 ひょんなことから彼女と知り合った僕は、出来る限りの手を尽くした。

 これでも、王宮錬金術師の端くれ。特に、薬を作るのは一番の得意分野だ。


 ……でも、届かなかった。


 禁書庫の資料を読み漁り、王宮秘蔵の薬草まで試してみたけれど、元気に笑う彼女を取り戻すことは叶わなかった。

 そのうえ、何故か僕はいきなり「追放」されることになってしまったのだ。


 地位を失うことなどは、どうでもいい。


 ……でも、こうして彼女の手を握ることも出来なくなるのかと思うと、胸が張り裂けそうになる。


「……気にしなくていいよ。今までありがとう。いつか、立派な錬金術師になってね」


 僕が見たいのは、そんな笑顔じゃない。


 一目見た瞬間、時間が止まったように感じた、あの向日葵のような笑顔だ。


 ……「いつか」じゃ駄目なんだ!


「……決めた。僕は『辺境』で腕を磨いて、世界一の錬金術師になってやる!」


 突然出した大声に、彼女の大きな目がどんぐりのように丸くなる。


「そして、『石化病』を治す薬を作って……必ず帰ってくるよ!」


 『辺境』には、まだ誰も知らない不思議な薬草が沢山あると聞く。

 広大なあの地で、都合良く『石化病』に効く薬草を見つけるなんて……それこそ『奇跡』。


 でも、諦めさえしなければ、きっと何とかなるはずだ。


「だから、待ってて。元気になったら……」


 一緒に向日葵を見に行こう……という『夢』は、恥ずかしくて口に出せなかった。


「……わかったわ。楽しみにしてるね」


 それだけ言って、彼女はまた深い眠りについた。


 僕は最後にもう一度手を握り、崩れかけの小屋を後にする。


 貧民街の遥か向こう、平民街と貴族街を越えたその先に、王宮の尖塔が僅かに天辺を覗かせていた。


 ……何が「追放」だ。僕は『夢』を叶える!


     ◇


「あ、課長。お疲れっす」


 頬っぺたの石膏を剥がしていると、いつの間にか課長がボロ屋の中に入って来ていた。


 前歴も聞いていなければ、名前も教えてもらえていない。

 基本的に現場仕事はあたしに任せているはずなのに、明らかに常人離れした身のこなし。


 ……聞くのは、少し怖い。


「今回は悪かったな。随分と手間をかけさせた」


 課長が頭を下げるなんて、初めて見たかもしれない。


 べつに怒ってなんかいないけど、ちょうどいい機会だ。

 少し気になっていた事を聞いてみる。


「どうして、あいつ程度にこんな手間と時間をかけたんですか?」


 あたしも段々この仕事に慣れてきている。

 あいつが只の無能であることくらいは、すぐに分かった。

 わざわざ長期任務になんてせず、あっさり「追放」しても問題なかったはず。


「……あぁ、ちょっと訳ありでな」


 課長の眉間に深い皺が刻まれる。こんな課長は、本当に珍しい。

 出来れば話したくない……という雰囲気だけど、目でしつこく催促してみる。


 ……もしかして、課長の秘密に何か関係が?


「……本来はウチで受けるようなヤマじゃなかったんだが、コネで捻じ込まれたんだよ!」


 と、期待に胸を膨らませていたところに、ただただ生々しい裏事情が語られる。


「お前が察した通り、あいつは無駄に熱意があるだけの無能だ。普通に首を切ればいいものを、憎まれ役になるのを上役全員が嫌がりやがってな」


 真面目だし、やる気もある。しかし、基礎練習を軽んじるので、一向に成長しない。


 熟慮よりも行動を美徳とし、同じ失敗を何度も繰り返す。


 親しさと友達感覚を取り違え、嫌われることを恐れ、叱るべきときに叱らない。


 そのくせ、最後まで面倒を見る事はせず、適当なところで他人に任せて、後は知らんぷり。


 滝のように流れる愚痴から飛び出た言葉の刃が、あたしにも何個か突き刺さる。


 ……相当、溜め込んでいらっしゃる。


「まぁまぁ、ここはおひとつ……」


 寝台に偽装したマジックアイテムの保冷庫から、キンキンに冷えたビールを取り出す。


 それを受け取るなりラッパ飲みで空にした課長は、でっかいゲップをかまして肩を落とした。


「そんな訳で、なるべく恨まれないようにという注文に応えるべく、お前に芝居を打ってもらった。『辺境』に意識を向けさせて、自分から辞めさせるつもりだったんだが……」


 なるほど、その過程で貴重な薬草の持ち出しをやらかしたのか。


 禁書庫の資料に関しては、たしか手続きを踏めば下っ端でも閲覧可能だったはず。


 盗み見程度なら叱責で済んだだろうけど……さすがに、高額消耗品の盗難は駄目だ。


「結局は、いつも通りの「追放」だ。急な計画変更だったから、「ざまぁ」についても配慮し切れていない。成功とは言い難い結果だな……」


 ……これは、定期的に飲みに誘ったほうが良いかも。


 そんな事を考えていると、いつしか課長が真剣な顔であたしを見つめ始めた。


「お前は大丈夫か?あいつに情が移ったりは……」


 見当違いの心配に、あたしは思わず吹き出してしまう。


「ないです、ないです!いい歳をして、叶いっこない『夢』を追う男っていうのは、ちょっと……」


 あたしの詐病に気づかないどころか、あたしがビールを飲みながら三秒で考えた病名だということにも気づいていなかった。


 残念ながら、あの青年の『夢』が叶うことは絶対にない。

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