本来なら逃げ出すべきだろうけど、その得体も知れない存在に興味が沸いてしまい、私はこの自称「半透明人間」の男性と会話を試みることにした。


 どうやら、この半透明人間の男性は、名前を「杉浦」というらしい。


 彼は私にも名乗りを期待していたけど、名前を言ってしまうと呪われそうな気がしたので、私は断固として名前を告げなかった。


「このバスの路線の道中に薬品工場があるのをご存知でしょう?」


 半透明人間の杉浦さんは自身のその状態に構うことなくに話を続けた。


「ええ、確かこの前事故があったとか?」


 ここより二つ三つ離れたバス停の近くには大きな薬品工場がある。つい先日に、その工場で大規模な爆発事故が起こった。ここの路線を運行するバスもその事故に巻き込まれたらしく大半の乗客が亡くなったらしい。


「そうです。僕はこの先の街の会社に勤めていて、このバスを利用しているのですが、運悪くその事故に巻き込まれてしまって……」

「それでお亡くなりになられたのですね?」

「いや、違いますよ、僕は生きています」


 私には彼が生きている様には見えない。──透けてるし。


「これは薬品の影響です。あの工場は強力な漂白剤の製造をしているようでして、その薬品を浴びてしまってこんな中途半端に透明な身体になってんです。僕は脱色されたんですよ」


 半透明人間の杉浦さんは何故か自慢げに語るが、そんなこと絶対にあり得ない。これは彼なりの冗談だろうと思って、私はぎこちない愛想笑いをしておいた。


「……ははっ」

「いや、笑い事ではないんですよ!」


 だけど杉浦さんは真剣だった。

 真剣に自分が死者でなく「半透明人間」であると思い込んでいる。


「こんな身体になってしまって、僕はどうしたらいいんだ! きっと怪しげな組織に捕まって人体実験をされるに決まっている! 僕はどうやって生きていけば……」


 既に死んでいる筈なので、どうやって生きていくか悩まれても、どう答えていいのか、私には分からなかった。


「……その、ご家族には?」

「妻がいますが、迷惑をかけると思って会っていません。あの事故以降、ずっとここで身を潜めています」

「それは、その、大変でしょう」

「食事も睡眠も取らなくても平気なので特に不都合はありません。きっとこれも薬品の影響ですね」

「……でしょうね。お悔やみ申し上げます」


 なんとも思い込みとは恐ろしいことか。これは杉浦さんに死者であると認めさせた方がいいのだろうか? ただ下手に関わり過ぎたら呪われるかもしれない。これ以上この自称「半透明人間」の杉浦さんと関わりを持たない方がよさそうだ。


「では、その、私は体調が優れないので、この辺で……」

「あ、ちょいとお待ちを!」


 自宅に戻ろうと杉浦さんに背を向ければ、ひんやりとした手で私の腕を掴まれた。

 私を自宅に帰さないつもりかと疑ったけど、そんなことは無かった。


「僕のことは他言無用でお願いします。騒ぎになるのが怖いんです」

「ああ、それはもちろんです。誰にも話すつもりはありませんよ」


 こんなことを話しても誰も信用しないだろう。

 というよりそもそも私には会話をする相手がいないからその心配はない。


「約束ですよ、お願いします。でももし騒ぎを起こされたら、僕は貴女を恨むでしょう」

「呪いは勘弁してください!」

「呪い? またそんな非科学的な。呪いじゃ無くて、ただ恨む、それだけです。でも脅すようなかたちになって申し訳ない。とにかくお願いします」


 半透明人間の杉浦さんは、別の意味というべきか、本当の意味というべきか、いずれにしてもうっすら透けた頭を下げた。


 やはりこのゆーれいはそんなに怖くない。

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