バスには乗らない
そのいち
1
そのバス停は深い森林を通る古い田舎道にあって、人の通りは少なく車の通りも少ない。
お日様が地平線から顔を出そうが、背の高い森林に阻まれて、ここまで光が届くことはない。近くに街灯はあることにはあるが、電灯は点滅するだけで明りとしては心許なく周囲は常に薄暗い。
誰の気遣いか分からないが、簡易な椅子が三つも横並びに置いてある。至る所ににカビが生えているが、それに構うことなく、私は腰を下ろしていた。
私はこのバス停に毎朝通っている。
これが学校に向かう唯一の交通手段だから。
しばらくそのバス停の椅子に踏ん反り返って待っていれば、登りの坂道をのそのそと懸命にバスがやってくる。そのバスは踏ん反り返る私の目の前に停車して、「フシュー」と一息ついて乗車口の扉を開く。
乗車口から見える乗客たちはこの通勤通学で死人のように顔から血の気が引いていた。
彼らを見ても、私は動くことをしない。
上着のブレザーのポケットに両手をつっこんで顰め面をしながら踏ん反り返る。
こんな時間にこのバス停で待っているのだから間違いなくこのバスに用があるに決まっていると、血の気の引いた乗客たちは死んだ目をして私を見る。
だけど私は動かない。
こんな時間にこのバス停までわざわざ出向いても、このバスになんて乗る気がしない。
このバスの行先に用がない。
私は学校になんて行きたくなかった。
なかなか動くことをしない私に呆れてか、バスはまた「フシュー」と大袈裟に溜息をついて、重そうな身体をのそのそと押して発進した。
去り行くバスの後ろ姿を眺めて私も「フシュー」と一息つく。
この日も学校に行くことなく、あのバスに乗ることもなく済んで、──安堵した。
「……さぶっ」
気が緩んだ弾みか、不意に悪寒を感じて私は身震いする。
まだ辺りは陽が昇り始めて間もなくひんやりとしている。とはいえ悪寒を感じたのだからこれは体調が悪いに違いない。
これで都合よく休みの言い訳も出来たので、私は椅子から立ち上がり、心置きなく自宅へ向けてようやく動き出した。
ただ悪寒は治まることがなかった。
これは本格的に風邪をこじらしたかもしれない。
震える身体を擦って足を踏み出せば、ふと、背後のバス停に違和感を覚える。
古びた椅子以外には何もなかったはずだけど、視界の隅に何かを見たような気がする。いや、間違いなく何かがいた、と思う。
私はとても怖かった。だけどしっかり確認しないことにはこの恐怖を断ち切れないと思い、背にしたバス停の様子を窺った。
すると、先ほどまで私が座っていた椅子には、いつの間にか知らない男性が座っていた。
「ゆ、ゆーれい!」
ここ最近活力がなかった私にはあり得ない程の声を張り上げた。
「ひゃあ! な、なんですか、何を言うんですか、貴女は!」
私の叫び声を聞いてその男性は椅子から跳ね上がる。
「ゆーれい!」
その顔は青白く、なんならうっすら透けているようにも見える。
そして何よりその下半身には、あるべきはずの足が存在しなかった。
「し、失礼な! いや、確かに勘違いされるのも無理はありませんが、ぼくは幽霊なんかではありません! ──そう、強いて言えば透明人間。ほら、うっすら身体が透けているでしょう? いや、身体の下半分がほとんど透明になるので『半透明人間』とでも言うべきでしょうか? とにかく僕は生きているんです! 幽霊なんかではありません!」
その自称「半透明人間」の男性は懸命に訴えていた。
私は、よく喋る「ゆーれい」だなあと思って、そんなに怖くは無くなった。
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