救急病院
妻高 あきひと
第1話
洋子は高校生、通学は電車だが早く出たので乗客も少ない。
シートに座り、カバンを横に置いて文庫型の異世界短編集を開いた。
この短編のタイトルは「救急病院」
降りる駅までおよそ十分、時間はある。
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夜の盛り場で下着姿の男が見つかり救急病院に運びこまれてきた。
救急の連絡を受けて警官もパトカーでやってきた。
ベテランと若い警官の二人組だ。
男を発見した居酒屋の従業員の話しでは、泥酔していたのか横の路地でTシャツとパンツだけで寝ていたという。
男の横にはカバンが置かれ、その上に財布とスマホ、運転免許証と家の鍵らしきものがひとまとめで置かれていたという。
泥酔を狙われたのだろうが、金目のものは盗られずに服と靴だけ盗られたというのが分からない。
警官が見ると財布の中には現金もカードも入っていた。
医者の診たてでは体温はわずかに下がっているが、ケガもなく、襲われたような形跡もないという。
とにかく本人に事情を聞くしかない。
しばらくすると話せる状態になった。
酒の臭いはするが、さほど酔っているようには見えない。
本人はこう言った。
「泥酔するほど大酒飲んではいません。帰宅する途中、小用をしたくなって路地に入ったのですが、なぜか気が遠くなるようにズズ~と膝をついて横になり、眠たくもないのに寝てしまったような記憶がおぼろにあります。
その後で誰かに服を脱がされ靴を脱がされしたのを覚えているようないないような、どうもはっきりしません。白い着物を着た髪の長い女が私を転がしながら服をはいでいたような気もしますが、そんな女がいるとも思えず、ましてや男のスーツや靴を盗るはずもなく、ただの勘違いかもしれません。
それにしても金目のものはみなあってスーツと靴だけ盗られるとはどういうことでしょう。スーツも靴もさほど大したもんじゃありません。どちらも使い込んでいますからリサイクルショップに持ち込んだって金にはならないと思う程度のものです。なんであんなもんだけ盗っていったんでしょうか」
警官も分からない。
首をひねりながら調書を取り始めた。
「・・スーツは濃紺で白いシャツには細いストライプ・・ネクタイは青地に白い小さな水玉で・・胸の裏には黄色い糸で名前が刺繍されていたんですね」
調書を取っていると家族が車で服と履物をもってきた。
とにかくケガが無くて良かったと救急隊員や医師たちに頭を下げていた。
それがすんで被害者も警官も帰ったころ、また救急車が入ってきた。
町はずれの団地のバス停のベンチで、泡を吹いて気を失っていたという男が運ばれてきた。
すると後を追うようにパトカーでさっきの警官二人がまたやってきた。
ストレッチャーで診察室に運ばれる前に男が目を覚ました。
自分を間近でのぞきこんでいる医師や看護師、救急隊員を見たとたん、大きな悲鳴をあげてまた気を失った。
男の身体にはケガも傷もなく異常もない。
血圧も体温も正常で、気がつけばすぐにでも帰れますよと医者は言ったが、呼吸が少し不安定だという。
手にしていたバッグには財布や鍵の他に携帯とスマホもあった。
名刺があったので見ると自宅の住所も固定電話の番号もある。
警官が連絡すると家族が出て、すぐに来ると言う。
男が目が覚めた。
ゆっくり起き上がると横に医者と看護師、ドアの向こうからは警官が見ている。
看護師が救急隊員から聞いた状況を説明すると
「ああ、そうだ、そうだった。バス、バス停か」
と言ったが、顔色が青白い。
診察室の前の待合室に移ると警官が聞いた。
「なにか盗られたものはありませんか」
すると男は車を盗られたという。
なぜか小刻みに手が震えている。
男が車のナンバーと型や色を説明すると警官の一人がすぐに連絡して盗難車の手配をした。
警官が改めて
「なぜあそこで気を失っていたか、覚えてますか」
と言ったとたん、顔を両手でおおって震えはじめた。
「何があったんですか」
と警官が問うと男はこう言った。
「恐ろしかった、本当に恐ろしかった、生まれて初めてあんな恐ろしい顔の人間を見た」
横にいた医師が詳しく説明できますか、と言うと男は震えながらも言いにくそうに話し始めた。
「実は白タクやってまして、今夜もなじみの方から電話がありまして、その時間にファミレスにお迎えにうかがい、団地のお宅まで送らせてもらったんです。お宅の近くで代金いただいて帰宅しようと車のハンドルを握ったときでした」
すると若い警官が
「そりゃおたく白タクでしょ、違法ですよ」
と言うと医者が
「それはまた後でやってくださいよ」
と言うと若い警官はバツが悪そうに黙った。
男は話しを続ける。
「どこから現れたのか、いきなり若い男が窓をノックしましてね、見ると白い顔をした若い男でスーツを着てニコニコ笑ってました。
窓を開けると『すみませんね、おたく白タクやっておられるようだから駅まで運んでもらえませんか、代金ははずみますから』と言われました。
今しがたも金が入ったもんですからつい調子に乗ってしまいまして、ドアーを開けて後部座席に乗せたんです」
話しながらも、彼の顔がだんだんと青くなっていくのが、みなにも分かった。
少し間をおくと
「恐ろしい」
とぼそっと言いながら話しを続けた。
声が震え続けている。
「私も固定客が欲しくてあれこれ話しかけたのですが、あいつは一切返事はせずに、じっと黙ってました」
突然”あいつは”と言い出し、話しが途切れ途切れになり始めた。
みな黙って聞いている。
「国道に出て駅方面に行こうとすると、あいつは用事を思い出したから廃棄物処理場のそばの公園へ戻ってくれと言いました。
しかしあの公園は墓地公園でその先は行き止まりです。
すぐにそう言ったのですが、心配しなくていいからとにかく公園に行ってくれと言う。乗せた以上は仕方ないので公園に行ったのですが」
みんなはじっと聞いている。
「行けば行くほど暗くなってセンサーつきの街灯や看板がある処理場を過ぎればもう真っ暗でした。
しばらく先に公園の街灯がぽつんと見えましたが、さすがにこれはおかしい。まさかこの人自殺する気か、と思いました」
男は少し沈黙した。
どんなことになるのか、みんなはひと言も口を出さない。
「車をいったん止めて室内灯を点け、バックミラーを見ながらあいつに言ったんです。お客さん、この時間に墓地公園に行かれるんですか、見たとこ懐中電灯も持っておられないし、どんな用事かは存じませんが、引き返しますよ」
・・・
「と言ったときでした、あいつは”うう”とうなるといきなり腰を浮かして私を襲うように、横からおおいかぶさってきたんです。
こいつ強盗だったかと思って咄嗟に身体を右によけると、あいつはどっと運転席の横に倒れ込んできましてね、ダッシュボードに顔をぶっつけたんです。
ぶっつけたと言ってもコツンくらいのもので、それほどのもんじゃなかったと思いますが、その時・・・・」
男はそこで黙ってしまった。
「それでどうなりました。怖いことでも勇気を出して言ってもらわないと、その人がまたどこかで何かするかもしれませんしね」
と警官が言うと男は口を開いた。
「あいつはダッシュボードに顔を打ち付けると私に振り向き、にらんだのです・・・室内灯の灯りに浮かんだあいつの顔がすぐ目の前に、顔がくっつくほどの近くにあいつの顔がありました。
私は生まれて初めて人の顔を見て恐怖で悲鳴をあげました。
それほど恐ろしい顔でした」
医者が言った。
「それほど恐ろしい顔ですか、眼とか鼻とか口はどうなってましたか」
男は少し間をおいて言った。
「目とか鼻とか口は普通なんです。普通なんですが、恐ろしいのです。身の毛もよだつとはあいつの顔のことだろうと思います」
そしてあいつはこう言いました。
『わしの顔がそれほど恐ろしいか、なら優しい顔を見せてやろう』と言うと、いきなり髪の毛がもわ~と伸び始め、あっという間に腰の辺りまで長くなりました。
それだけじゃありません。男だったのに顔が女になっていました。最初は絶対に男でしたが、完全に女になっていました。
間違いなく女でした。
それは最初の男の顔よりもはるかに恐ろしい顔でした」
男は生汗をかき口をくちゃくちゃし始めた。
顔は真っ青だ。
医者が看護師にお茶をもってきて、と言うとすぐそばのナースセンターで湯呑に冷たい茶をいれてもってきた。
男は小刻みに震える手で、湯呑を持ちうまそうに茶を飲んだが、怖いのか茶が口の端からたらたらとこぼれた。
看護師が拭いてやると話しを続けた。
「ただ、今も言った通り目が三つあったり、口が裂けたりしてたわけじゃありません。真っ白い顔でしたが、普通の顔でした。しかしそれが恐ろしいのです。心臓も息も止まるかと思うくらい恐ろしい顔でした。
今思い出してもこうして指先が震えています。
何でもない普通の顔なのに、なぜか分かりませんが、恐ろしい顔でした。
今思えば目の恐ろしさだったような気もしますが、言葉ではよく伝えられません。
恐ろしさなのか、身体が金縛りになったように動かず、あの女は私の首に手を回してきました。真っ白い手に赤く細い血筋が何本も浮いていました。
ああ、これでオレは殺され死ぬのかと思うとス~と気が遠くなりました。
気づいたら、ここの病室でした」
ベテランの警官が言った。
「するとその女があなたを殺さずに団地のバス停のベンチに置いたということですか」
「でしょうね、こうして生きているところをみると殺す気はなかったのでしょう。恐ろしい本当に恐ろしい女でした。
一生トラウマになりそうです」
医者も看護師も警官も、みな半信半疑だ。
しかしつくり話しにしては出来過ぎだし、この恐ろしさと震えようと青い顔色は芝居とは思えない。
何よりも車を奪われているので総てが嘘とも思えないが、その車の盗難にも警官は疑問を持っている。
狂言にしてはあまりに荒唐無稽だが、その可能性は捨てきれないとみて対応しているようだ。
とりあえず警官二人はオカルト話しを調書に書くわけにもいかず、どうしたものかと思案していたが、若い警官が本署にパトカーを要求し、ベテランの警官が男に言った。
「その男いや女か、着ていたものに特徴はありましたか」
男は言う。
「団地であいつが窓をたたいたときの記憶ですが、スーツの色は黒か濃紺で、白いシャツに細いストライプ、ネクタイは確か青地に白い小さな水玉模様があったと思います。
ああ、それと男が運転席に倒れ込んだとき、上着がはだけて一瞬でしたが上着の裏に黄色い文字のようなものが見えました。覚えているのはそれくらいです」
ベテランの警官と若い警官が隅に行って話している。
「スーツを奪われたさっきの被害者の話しと符合するな。やった奴は同一人物だろうな。しかし恐ろしい顔で、男が突然女に変わり、髪が一瞬で腰まで伸びたとはもうオカルトだよな。白タクの件もあるし、狂言の可能性もある。署で対応しょうや」
やがて男の妻が車でやってきたが、合わせるようにパトカーも一台やってきた。
警官は白タクの件もあり、男と妻をパトカーに乗せ、車は警官が運転して所轄の署へ連れていかれた。
静かになった病院で医者と看護師たちが病棟のナースセンターで話している。
「髪の毛が一瞬で伸びて男の顔が女の顔にか、本当かしらね」
「ウソに決まってるわよ、あれ狂言よ」
「私もそう思う、男が一瞬で女になり、髪の毛も腰まで伸びたなんてね。オカルトムービーじゃあるまいし」
「何か事情があって狂言だったのじゃないの。最近そういうの多いから」
「でも普通なのに恐ろしい顔ってどんな顔なんだろうね。どうせつくり話しでしょうけど、そんな恐ろしい顔、ちょっと見てみたい気もするわね」
医者が言った。
「この世は不確かなことばかりさ。案外本当だったかもな」
看護師たちは、そりゃないわよと言いたげな様子だ。
みんなが仕事に取りかかろうとすると、看護師の一人が受付のほうに向かって軽く頭を下げた。
みんなが見ると受付に、いつの間にか若い男が立っている。
入院患者ではないし、夜間のこの時間には見舞客もこない。
白い顔をした若い男だ。
みんなを見ながらニコニコ笑っている。
濃紺のスーツ、白いシャツには細いストライプ、青地に白の小さな水玉模様のネクタイを締めていた。
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洋子が本を閉じると、ちょうど駅についた。
ドアーが開くと乗客が一人、洋子が降りるのを待っている。
すっとすれ違ってホームに降りたものの、洋子の足が止まった。
振り返って電車を見ると、その若い男は洋子を見ながらニコニコと笑っている。
顔が白い。
濃紺のスーツに、白いシャツには細いストライプ、青地に白い小さな水玉模様のネクタイを締めている。
男は”おいでおいで”というように手招きしながら洋子を呼んだ。
救急病院 妻高 あきひと @kuromame2010
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