SideStory : Yukito Kagetu B ─嘉月雪兎B─


 子供の国へ訪れた翌日。

 曇り空の下、セシリアとユキトは再び紫黒高等学校のグラウンドを歩いていた。本校舎の屋上で二人を見下ろすのはアキラ。


「昨日さ、もう喋らなくていいって言ったよね?」

「安心するといい。死体とは喋れない」

「あははっ、お前が死体になるってこと?」

「まさか、死体は君のほうさ」


 アキラの胸中に満たされたのは傲慢さと殺意。言葉を返すセシリアを睨みつけながらアキラは右腕を大きく振り上げる。曇天に木霊する雷鳴と共に本校舎に亀裂が走った。教室の窓から二人を見つめるのはペットにされた生徒たち。


「自称美少女さん、今ならペットにしてあげるけど?」

「なるつもりはない。それと──」


 誘いを断ったセシリアは右手に赤銀の大剣を具現化させる。灼熱の獄炎が大剣の周囲で渦巻き、三枚の刀身は上段、中段、下段と重なった──三獄炎ケルベロスと呼ばれる大剣。

 セシリアの血涙の性質は『眷属から継いだ力をそのまま現実へと形にすることが可能になる具象化』。この大剣はケルベロスの力が込められた武装。


「──私は正真正銘の美少女だ」

「ふーん、じゃあバイバイ」


 アキラが振り上げた右腕を軽く振り下ろせば空から雨のように雷撃が降り注ぐ。セシリアは余裕そうな表情を浮かべつつ、間一髪で雷撃を避けながらアキラの元まで駆け抜けた。


「美少年くん、自分の身は?」

「自分で守る、でしょ。分かってるから安心して」

「いい返事だね。美少女ポイントを三点あげよう」


 雷撃は縦横無尽に降り注ぐため少なからずユキトの真上にも落ちてくる。しかしユキトは『まるで落ちてくる場所が予知できているか』のように自身で安全な場所まで移動を繰り返していた。

 セシリアはユキトの身の安全を確認すればその場から大きく飛び上がり、アキラに向かって獄炎の大剣を薙ぎ払う。


「知ってる? そういうの脳筋っていうんだよ」

「覚えたての言葉を使うのが上手じゃないか」


 アキラは身軽なステップで横へ大きく飛び退いてセシリアを鼻で笑った。セシリアはアキラへ視線を移すと大剣を思い切り屋上へと突き刺す。


「しかも大して威力もないし……。その大剣おもちゃなの──」

「その通りだとも。私にとっては幼児用のおもちゃさ」


 そう言いかけた瞬間、上段・中段・下段と分裂していた大剣のうち、上段と下段の刀身が左右へと一斉に飛び出し、本校舎の東側を卵の殻のようにバラバラに半壊させてしまう。

 セシリアは「おや?」と言いたげな顔で半壊した校舎を傍観しながら、清々しい顔でアキラに微笑んで見せた。


「しかしすまないね。君のお城をおもちゃで・・・・・壊してしまったよ」

「……ッ! 調子に乗るな!」

「──!」


 怒りを露にするアキラと共鳴するかのように向かってくる見えないナニカ。セシリアは反射的に大剣で防御態勢へと入るが、右の脇腹を見えないナニカで斬られ流血してしまう。


「無駄だよ無駄。僕の攻撃を防げるわけがないでしょ?」

(ふむ、昨日さくじつに見かけたアレか)


 セシリアの脳裏に過るのは昨日の記憶。

 人間椅子にされていたサカキバラの両脚を粉砕し、助けを求めてきた女子生徒の首を刎ねたあの力。セシリアは自身の脇腹の傷跡を手で触れて確認してからアキラの下衆な顔を見据える。


「どうしたの? ビビッて降参したくなっちゃった?」

「まさかね。むしろ君と抱擁を交わしたいぐらいさ」

「じゃあ自分の下半身と抱き合ってたら?」


 屋上のコンクリートを削りながら向かってくるナニカ。セシリアは手元から大剣を消して右目を紅に輝かせると、どこからともなく黄金のシルクハットを頭に乗せ、銀色のステッキを右手に握り、漆黒のマントを背中から羽織った。

 そして迎え撃つ態勢も見せずにただ漆黒のマントを一度だけなびかせると、


「あははっ! 飛んだ飛んだ!!」


 上半身と下半身が真っ二つになって宙へと放り出される。アキラは虫を殺した子供のような笑い声を上げ、その有様を楽しんでいたのだが、


「ふむ、美少女の下半身と抱擁するというのは──生きていても味わえぬ幸福になるだろうね」

「は、はぁっ……!?」


 上半身だけのセシリアが平然とした顔で地面へと着地をし、吹き飛ばされた自身の下半身を抱きかかえる。ありえない光景にアキラは動揺しながら目を丸くしてしまった。


「この世に存在してもいい美少女は一人のみ。しかし、しかしだよ。美少女はそもそも私だけしかいないのさ。その美少女が分裂してしまうとどうなるか──」


 けろっとした様子で淡々と説明を続けるセシリアは、黒色のマントで自身の上半身と下半身を覆い隠す。マントの下で蠢いている二つの肉片は徐々にその質量を増やし、すくすくと成長を始めれば、


「美少女が世界に二人存在する──矛盾が生じてしまうのさ」


 マントの下から二人のセシリアが不敵な笑みを浮かべながら姿を現した。分断されたはずの肉体が分裂を成し遂げた。奇怪な事象を目の当たりにし、半目になって怪訝な視線を送るアキラ。

 そんな彼を他所に二人に分裂したセシリアは互いに手のひらを合わせて、上空から落下してきた銀のステッキを華麗に受け止める。


「その変な手品道具で何をしたの?」

「お決まりの台詞を君も知っているはずさ」

「種も仕掛けもございませんってね」

 

 鏡合わせのように被っていたシルクハットを取ると、銀のステッキを手の平で巧みに回転させるセシリア。行動を起こさせる前に殺そうと考えたアキラは上空から強大な雷撃を、右手から冷気をまとわせた氷柱つららを放つ。

 二人のセシリアは一瞬だけ微笑すると銀のステッキで持っていたシルクハットを二回ほど叩き、


「「さぁ、美少女たちの運試しと行こうか」」

「は? なんだよあれ? ロボット……?」

 

 シルクハットから巨大な機械人形が二体飛び出す。傷一つ付かない真っ青な装甲とややセシリアをモチーフにした頭部。雷撃をものともせず氷柱を鋼鉄な身体で粉砕し、唖然とするアキラに向けて、


「「空っぽな支配者くん──今度は君が運試しをする番だ」」


 超合金の両拳による連打を放ち始めた。しかも一体ではなく二体同時に。半壊していた校舎は跡形もなく破壊され、生徒たちの悲鳴が飛び交う。だがセシリアは機械人形を止めようとはしない。

 拳の振り下ろす先に無抵抗の生徒がいようが、血肉が飛び交っていようが、子供の国を破壊するまで止まろうという意思は見せなかった。


「お前ッ! よくも僕の城を壊してくれたな……!?」

「おや、ペットはいいのかい?」

「はっ! あんなペット共はすぐ手に入るからいいんだ! それこそお前たち吸血鬼の何匹をペットにしてあげるよ!」

 

 本校舎の瓦礫の山に降り立ったアキラは、そう宣言しながら左の手の平を片方の機械人形へ向けてぎゅっと握りしめる。すると連動するように機械人形が紙屑のように潰され、分裂していたセシリアの片割れも姿を消してしまった。

 セシリアは持っていたシルクハットに銀のステッキとマント、そして残された機械人形。それらを一つずつ押し込み、シルクハットごと跡形もなく手元から消滅させる。そんな姿を傍観していたユキトは急いでセシリアの元へ駆け寄った。


「美少女さん、あの武装を使ったの……?」

「武装というのは『虚命きょめい器物きぶつスフィンクス』のことかい?」

「うん、あれは美少女さんを傷つける時もあるからあんまり使わないで」


 虚命きょめい器物きぶつスフィンクス。

 見た目は黄金のシルクハット・銀のステッキ・漆黒のマント。これらは五ノ眷属スフィンクスの力を具象化の性質で武装へと変えた姿。

 黄金のシルクハットは何度か叩くと何かが飛び出す。銀のステッキは時間によって様々な変化をもたらす。漆黒のマントは覆った物体に何かを起こす。つまり全体を通して一言で表せば『何が起きるのか分からない』に尽きる武装。

 

「しかし愉快だったろう? 上半身だけで動き回ったり、美少女が二人に分裂したり、更には巨大な人形まで飛び出してきた。もはや一種の美少女テーマパークさ」


 最初は『不死の状態』へと変わる効果。覆ったときは『物体を倍の数に増やす』という効果。これらは漆黒のマントによって引き起こされた。

 次に『巨大な機械人形』を呼び出す効果。これは黄金のシルクハットによって引き起こされた。これだけ聞けば優秀だと拍手喝采が飛び交うだろう。しかし都合の良いことばかりは起こらない。

 

「……噛みつかれて大怪我したり、変な化け物が出てきたときだってあったでしょ?」


 結局のところすべては乱数と確率。

 過去にセシリアは牙の生えたマントに噛みつかれて負傷し、黄金のシルクハットから異形とも呼べる怪物が現れたりした。ユキトはその過去を知っているからこそ、セシリアに虚命きょめい器物きぶつスフィンクスの使用を止めていたのだ。


「美少年くん、不幸というのは未来への踏み台だ。つまり私はあの時、今日の為の踏み台を作っただけに過ぎないのさ」

「それでも僕は……」


 前向きなセシリアらしい言い分。しかしユキトの曇った顔は晴れない。口をもごもごと動かしながらセシリアの衣服の裾をぎゅっと掴み、


「……美少女さんに傷ついてほしくないよ」


 その場で俯いたまま静かに、怯えるように、確かにそう呟いた。セシリアは一瞬だけキョトンとした顔になったが、すぐ我に返るとユキトの頭に手を乗せて、いつもの美少女らしい笑みを浮かべる。


「安心したまえ美少年くん。この世に存在してもいい美少女は一人だけだが、この世に一人は美少女が存在しなければならない。つまり私以外に絶世の美少女が存在しないこの世界で……私は不老不死みたいなものなのさ」

「美少女さん……」


 セシリアは不安を募らせるユキトに大してニコッと微笑み、二人を睨みつけているアキラの方へを顔を向けた。


「そして空っぽくん、君にはこの格言を与えよう。『美少女をペットにしてはならない。常に美少女のペットであれ』と」 

「いちいちムカつくんだよその変な格言! 二度と言えないように口ごとバラバラにして──」

「もうやめてアキラぁ!」


 アキラがセシリアへ攻撃を仕掛けようとした途端、本校舎の残骸から姿を見せたのはコハル。転びながら一心不乱でアキラの元まで駆け寄ると両肩を掴んで涙目になってこう叫んだ。


「もう戦わなくていいでしょ?! アキラをイジメてた奴らはもういないんだよ!? アキラの復讐は……もうとっくに終わってるの!」

「コハル……」

「お願いだからぁっ……あの頃のアキラに、優しかったアキラに……元のアキラに戻ってよぉ!!」


 泣き叫びながら正気に戻ってほしいと願うコハルに対し、アキラは戸惑いを隠せずに俯いて視線を泳がせる。セシリアとユキトはその二人を懐疑的に眺め、顔を見合わせた。


「……ごめんねコハル、僕が間違ってたよ。こんなに凄い力を手に入れたからって、誰かを傷つけるなんて間違ってるよね」

「分かって、くれたの?」

「顔がぐしゃぐしゃの幼馴染に止められたら……。誰だって認めざるを得ないよ」

「アキラ……」


 コハルを優しく抱き寄せるアキラ。セシリアは二人の元まで歩み寄ると雨が降らないかと空模様を窺いながら自身の衣服の汚れを手で払う。


「素晴らしいじゃないか。美少女を前にして感動の和解を見せてくれるなんてね」

「ありがとうあなたたち。おかげでアキラをもとに戻すことが──」


 そして感謝の言葉を述べている最中のコハルの腹部を三獄炎ケルベロスを突き刺し、上空へと高らかに掲げた。突然の出来事にコハルは声を漏らすことすらできない。


「お前、お前コハルに何してんだよぉおぉ?!!」

「私は何度も言ったはずさ。君は空っぽだと」

「はぁ!?」

「空っぽ。つまり君はとっくの昔に死んでいるのさ」


 淡々とそう告げるセシリア。激怒していたアキラはワケが分からず、とにかくコハルを助けようとしたのだが、


「おっと」

 

 他所の方角から瓦礫が飛んできたため、セシリアはコハルから大剣を引き抜いて二歩だけ後退して回避する。アキラはすぐさまコハルに駆け寄り、血塗れの身を案じる。


「はぁッはぁッ……あっぐッうぅうッ……」

「コハル、今すぐ治療をしてあげ──」

「ありがとうアキラ。そう、そうだよね。アキラは優しくて強いから、私に何があっても治してくれるもんね。私たちは両想いの幼馴染だし、こんなに苦しくても、二人の愛で乗り越えられるよね」

「えっ?」


 治療する為の力を使い始めた途端、ブツブツと静かに呟き始めるコハル。様子のおかしいコハルにアキラが呆然としていれば、瓦礫の山に埋もれていた生徒たちの死体が次々と動き出す。

 セシリアとユキトは取り囲もうとする生徒たちの死体を見渡しながら背中合わせの陣形へと変わった。


「でもあなたたちさ、いつ気づいたの? 私がアキラを操っていたって」

「僕を、操っていた?」

「一つ、彼の中身は空っぽだった。詰め込まれているのは欲望と理想だけ。言葉の節々が全て薄っぺらいからすぐに黒幕がいると気が付いたのさ」


 中身が空っぽだった。不敵な笑みを浮かべているコハルに向けてセシリアは指を一本だけ立てて理由を述べる。そのやり取りを耳にしたアキラはコハルに治療魔法を掛けながら理解が及ばずにキョトンとした顔をする。


「二つ、彼の復讐が『人間椅子』と『首輪を付ける』という二種類のみだった。つまり内容が君から聞いたイジメの内容だけだったのさ」

「ふふっ……」

「君は彼本人がイジメの内容を隠していたと言っていたね。そこから導き出される答えは……イジメの表側しか知らず、裏側でどんな仕打ちを受けていたのか。それを君は知らないていだろう」


 治療によって傷ついた肉体を完治させたコハルは立ち上がると、髪を結んでいたゴムを取り払い、長い黒髪を風になびかせる。


「それで、あなたは何が言いたいの?」

「君の奇術トリックは『死体へ自分の理想を埋め込む力』。君は彼を空っぽにする為──この世界で一度だけ殺した」

「コハルが、僕を殺しただって? そんなわけ──」

「そうだよ。アキラは私の知ってるアキラじゃなかったもん」


 目を見開いて唖然としているアキラの背後から抱き着くコハル。アキラの右頬に自身の左頬を擦り寄せて濁り切った笑顔を浮かべた。


「私の幼馴染は大島おおしまあきら。子供の頃に結婚しようって約束して、すぐ隣の家に住んでいるからお互いがお互いの部屋を見れて、両想いだけど中々告白できない……恥ずかしがり屋のカッコいい幼馴染で──」

「という設定・・かい?」

「設定じゃないよ。だってアキラはここにいるでしょ?」


 設定。

 コハルは首を傾げながら何のことかと言わんばかりに眉を顰める。そしてセシリアとユキトの周囲を取り囲んでいた生徒たちの死体も一斉に顔を上げた。その表情はどれもアキラ本人が抱いていた傲慢さと絶対的な自信に満ちたもの。


「だけどね、アキラはイジメを受けていたの。私の前では平然としているけど、本心は辛くて私に中々言い出せなくて……。そんな時に私たちは学校ごと異世界転生をする。アキラは誰も歯向かえない強い力を手に入れて、クラスメイトたちに復讐を始めちゃうの」

「コハル、何を言って……」

「昔のような性格もどこかに消えちゃうけど、私には優しいアキラのまま。でも豹変したそんな幼馴染を元に戻したくて、私がアキラに涙ながらに訴えかけるの。『お願い、昔のアキラに戻って』って。そして正気に戻ったアキラと私は両想いの気持ちを打ち明けて結ばれる」 


 流暢に筋書きを語り始める言葉の節々に込められた愛と狂気。動揺を隠せずにいるアキラは顔を真っ青にして全貌を察し始める。そんな二人を黙って見つめていたユキトは閉ざしていた口をゆっくりと開いた。


「……大島彰くん、君は確かにアキラくんで虐められていた過去がある。でもそれ以外は全て作り物だと思うよ」

「つ、作り物って……」

「君はコハルさんと幼馴染なんかじゃない。多分ほんとはただのクラスメイト。深く関わったことも喋ったこともない、赤の他人」

「で、でも僕はコハルとの思い出があるんだぞ……!?」

「アキラくん、それは偽りの思い出だよ。君の肉体にはコハルさんの理想が埋め込まれている。今の君は──ほんとの君じゃないんだよ」


 アキラは自分の顔を押さえた後、すぐ背後にいるコハルを振り払う。その空っぽの瞳に宿るのは焦燥感と自分自身を失ったという恐怖心。そんな心境の中で口から吐き出されたものは愛の言葉でも誓いの言葉でもなく、


「返せ、返せよぉおぉッ!! 本当の僕を返してくれぇえぇッ!!」


 憎悪に満ちた怒声。

 両肩を激しく揺さぶられそう要求されたコハルは、怒りと絶望に歪んだ顔を見ながらアキラの両手を優しく引き離した。


「アキラはそんなこと言わないよ」

「……はっ?」

「アキラはね、私に何かあった時だけ怒るの。幼馴染の私とちょっと距離が近づいた時だけ取り乱すの。だから今のあなたは──」

「うぐぉッ……もぅぐぉッ……?!」

 

 アキラの口から徐々に覗かせてくるのはハートの形をした真っ赤な心臓。コハルは右手で軽く触れた後、


「──アキラじゃないよ?」


 軽く握りつぶした。辺りに散乱するのは小型の赤いハート。アキラの肉体は操り糸が切れたマリオネットのようにバタンッとその場に座り込む。セシリアは顎に手を当てながら興味深そうに眺めるとユキトへ視線を送る。


「美少年くん、彼女の奇術に名前を付けるなら?」

「……『利己りこあい』かな」

「中々いいセンスをしているね。美少女ポイント一点をあげよう」

 

 コハルの奇術名は『利己りこあい』。

 死体へ自身の理想という名の愛を心臓として埋め込む力。コハルの脳内にある理想を死体が必ず体現する為、非現実的な能力すらも扱える凶悪な性質を持つ。それほどまでに厄介な奇術を扱えるとなれば、


「私とアキラの邪魔をしたあなたたちには……死んでもらうから」


 死体さえあれば理想形を量産できる。

 コハルで例えるなら理想のアキラを死体さえあれば複製可能になる。セシリアとユキトを囲むのは先ほどの攻防で死体となった生徒たち。つまりコハルの理想形の集合体たち。


「どうするの美少女さん?」

「ふむ、そろそろ頃合いだろう」

「……? 頃合いって──」


 空を見上げれば日が沈み、闇が辺りを包み込めば東西南北で降り立つ十の人影。夕暮れは影と飛蝗ひこうの群れに覆い尽くされ、立ち込めるのは肌に突き刺さるような殺気と弾圧。

 コハルが辺りを見渡していると北の方角から向かってくる女子生徒の身体が殴打音と共に肉片へ、男子生徒の肉体に二発の発砲音と共に風穴が空く。


「ハローハロー、美少女お姉ちゃんと美少年お兄ちゃん! この前ぶりだね! あれ? この前って昨日? それとも去年? ん、んんん?」

「すみませんすみません……。『人の前に立つと撃たれる』って習いませんでしたか?」


 肉塊の上を歩くのは返り血を浴びた一ノ罪Steraステラ Rainesレインズと六ノ罪Lailaレイラ Oliverオリヴァー。ステラは血塗れの両手で頭を押さえて悩み、レイラは両手に握りしめた大型の散弾銃を引きずりながら前進を続ける。


「何この奇術~? なーんの取り柄もないザコザコ奇術なの~?」

「まだ扱い方を心得ていないとか。……知らないけど」

「初めて目にする心臓だ。実に興味深い、鑑賞用に保存しておこうか」


 次に動きがあったのは東の方角。自身の首を絞めて自殺を図る生徒。巨大な瓦礫が肉体の内側から飛び出す生徒。ハート形の心臓を切り抜かれ死体と成り果てる生徒。

 血の臭いが立ち込める中を突き進むのは四ノ罪Lillianリリアン Trevorトレヴァー、九ノ罪Jakeジェイク Irvineアーヴィン、七ノ罪Denisデニス Perkinsパーキンスの三人。リリアンは死体を蹴り飛ばしながら、ジェイクは万年筆でペン回しをしながら、デニスはハート型の心臓を鑑賞しながら前進を続ける。


「あらぁ、こんなにイケる子が沢山いるなんてお姉さん嬉しいわぁ。いっぱいイカせられて楽しいものぉ」

「あんただけよおばさん」

「うっふふ、ぶち殺すわよ?」

「年寄りは怒りっぽくて困るわね」


 騒々しいのは南の方角。頭部から股関節にかけて綺麗に切断された生徒。脳天と心臓に紅の杭を刺されている生徒。

 惨劇の壇上を歩くのは、三ノ罪Mirandaミランダ Arkwrightアークライト、五ノ罪Ninaニーナ Abelアベルの二人。ニーナとミランダは互いに睨み合いながら前進を続ける。


「あぁ下らない、あぁ必要ない、あぁ小賢しい。俺が得られるものが何もない」

「まーまーウィリアムさん落ち着いて。私はそう思うけど、僕はそう思わないよ? ……ってあれ、キースさん? 帰ってきてたの?」

「チッ、あいつが戻ってくるからわざわざ顔を出してやってんだよ。あと俺に話しかけんじゃねぇ」

「あははっ! 僕はキースさん嫌いだけど、私が好きだからそれは無理かな?」


 苛立つ声が聞こえる西の方角。関節の部分にネジを打ち込まれて身動きの取れない生徒。僅かな血痕と衣服だけが残された地表。引き千切られた生徒の頭部と肉体。

 血のレッドカーペットを進むのは十ノ罪Williamウィリアム Newtonニュートン、八ノ罪Noelleノエル Izzardイザード、二ノ罪Keithキース Plenderプレンダーの三人、いや四人。ウィリアムは小さなネジの頭を回しながら、ノエルとキースは険悪な空気の中で前進を続ける。


「だ、誰なのあなたたちは……!?」

「あん? お前こそ誰だよガキ? 異世界転生者か?」

「彼女が子供の国の当主よキース。あなたに手紙を送ったはずよ」

「あぁ、この落書きのことか」


 底知れぬ寒気に声を荒げるコハル。

 そんな彼女を他所にキースがニーナと会話を交わしながら、図形のようなものが記載された一枚の紙を取り出す。


「んなもん分かるかボケナス。ステラに手紙を書かせんじゃねぇよ」

「私はあんたの隣にいる奴に頼んだわよ?」

「あ?」


 ニーナが顎で示す相手はノエル。

 キースは持っていた手紙を捨てると眉を顰めながら睨みつけた。ノエルはわざとらしく視線を逸らし口笛を吹く。


「私は書こうとしてたけど……僕がステラさんに文字の書き方ぐらい覚えてもらおうかなって提案してね」

「あははっ、そうそうだよ! ところで文字ってなに?」

「すみませんすみません……。おつむが弱い人とは関わりたくありません……」


 ステラがその場で首を傾げて側転をしつつ隣にいるレイラへそう尋ねる。だがレイラは関わろうとはせず、二歩三歩とステラから距離を取った。


「つーか、嫌がらせすんならババアにしろよクソガキ」

「あらぁ、可哀想ねキース。元々良くもない頭が更にイッちゃってるわよぉ?」

「こいつらみてぇな死んだ頭よりマシだろ。……つかてめぇ今なんて言った?」


 暴言の流れ弾を受けたミランダが頬を引き攣っていると、本校舎の瓦礫の下から生徒たちの死体が這いずりながら姿を見せる。原罪は臨戦態勢に入ることもなく、ハート形の心臓を埋め込まれた死体を見据えるのみ。


(話している間に死体へ心臓を埋め込めた……! 後は私のアキラたちがここにいるあいつらを倒してくれる……!)


 勝利を確信したコハル。理想形のアキラを死体へ埋め込み原罪たちを葬ろうと試みる。一方的な捧げた愛情と理想ですべてを乗り越えられると信じていた。


「えっ? どうして、どうして動かないの……!?」


 だがしかし死体は次々と倒れていく。

 コハルは何が起きたのかとただただ焦燥感に駆られ、原罪たちやセシリアたちが空を見上げていることに気が付き、ゆっくりと顔を上げた。


「美少年くん、以前吸血鬼の力量は爵位で決まると説明したね。その爵位はすべて言えるかい?」

「……うん、下から『食屍鬼グール男爵バロン子爵ヴァイカウント伯爵アール原罪げんざい公爵デューク』の順番だよね」

「正解、美少女ポイントを二点あげよう」


 闇に紛れて空に漂う人影。

 風に撫でられるミディアムほどの白髪と紅玉のように光を灯す紅の瞳。肌を隠す為に羽織った黒い布のコート。森林から食屍鬼が続々と顔を出し、その偉大な姿を喝采するように両膝を突く。


「しかし、しかしだよ。爵位というのは人類が定めた測りに過ぎないのさ。彼らは爵位の次元を超えた吸血鬼の存在を知らない」

「……美少女さん、次元を超えたって一体──」


 ユキトがそう言いかけた途端、吹き荒れるのは突風。一瞬だけ手で目元を覆ってしまったユキトは何故風が吹いたのかと再度顔を上げ、


「──羽が、ある?」


 その光景に息を呑んだ。

 広大な空を物ともしないであろう蝙蝠の二枚羽が羽ばたいていたのだ。周囲を見渡せば原罪たちの背中にも片側だけ蝙蝠の羽が生えている。


「彼はその一人Noahノア Arnetアーネット。人類の爵位で測るなら──吸血鬼を統べる公爵デュークさ」


 公爵の威圧を放ちつつ地上へ降り立つノア。

 食屍鬼たちは額を地面に擦りつけながら呻き声を上げ、獣たちは生存本能を揺るがされて疾風の如く逃げていく。ユキトもその威圧感に呼吸がし辛くなり、コハルは冷や汗を掻きながら後退りをしてしまう。


「ひぃッ……!?」


 ノアは短い悲鳴を上げたコハルを見る。睨みつけるわけでもなく敵意を向けるわけでもなく、ただただこう青年らしくニコッと微笑めば、

 

「あッぐぁあぁッ……い"きが、できなッ……!!」  


 コハルが突然喉を押さえてうつ伏せになる。涎を垂らして生にしがみつこうとのたうち回るが救いの手は差し伸べられず、


「だすけてッ……アキッ……ラッ……」


 最期の最期まで自身の理想を手放すことなく白目をむいて息絶えてしまった。ノアは息絶えたコハルから視線を外すと原罪とセシリアたちを交互に見る。


「やぁ、久しぶりだね。わざわざ出迎えてくれて嬉しいよ。僕が留守中に変わったことはあったかな?」 

「ありまくりよ。あんたが道草を食っていたおかげでね」

「んっと、ごめんねニーナ。世界の情勢を確かめる為に必要な道草なんだ。それに僕がいなくても皆だけで大丈夫でしょ?」

「はぁ、あんたってほんとマイペースね……」


 苛立っていることを察して青年らしく苦笑いするノア。ニーナはその間抜けな反応に溜息をつく。 

 

「んでノア、情勢はどうだったんだ?」

「未だ僕ら吸血鬼が優勢な状態だよ。このまま時代が進めば人類は牙を剥くことすらできないはずさ。……ただ、最悪のシナリオを辿る可能性はあるかもね」

「あ? 最悪のシナリオって何だよ?」

「『紅目あかめ再臨さいりん』が想定よりも早く訪れるシナリオだよ」

 

 紅目あかめ再臨さいりん

 ユキトを除いたその場にいる者たちの顔が険しいものへと変わる。自信に満ちていたセシリアですら珍しく真剣な顔をし、ノアへ視線を向けていた。


「すみません、すみません……。ここで話すのはやめませんか? 立ってると疲れるので椅子に座りたいです……」

「ザコザコレイラちゃんにさんせ~い! お城に戻ろうよ~!」

「そうだね。レイラとリリアンの言う通り、一度お城に帰還してから詳しく話そうか」

「じゃあニーナさん、僕と私と一緒に帰ろ……ってもういなくない?」


 原罪たちが影に溶け込んだり姿を変えたりして一人、また一人とその場から消えていく。残されたのはノアとセシリア、そしてユキトのみ。


「皆はもう帰ったかな?」

「ふむ、そのようだね──」

「リア~! パパが帰って来たよぉおぉ~! 寂しくなかったかい~!?」


 そして原罪たちの気配が消えた途端、ノアはセシリアを抱き寄せ『リア』という愛称で呼びつつ自身をパパと名乗り始める。ユキトは先ほどまでのカリスマ性を微塵も感じないノアの姿を見て唖然としてしまう。


「ノ、ノアくん、私は実の娘ではないのだよ? それに寂しがる年頃でもな──」

「育て親は僕なんだから間違ってないって。それはそうと一人で大丈夫だった? 怪我とか病気とかしたり、変な人間と恋に落ちたりなんてしてないよね? 後どうしていつもみたいにパパって呼んでくれな──」

「わ、わかった、分かったからパパ……! お願い、少し離れて!」

 

 あのセシリアがぐいぐいと押されて戸惑っている非常に珍しい光景。意外な一面を見たユキトは更にギャップを感じて無意識のうちに小首を傾げる。

 セシリアは何とかノアを引き離して胸を撫で下ろすと、ユキトの方を何度もチラチラと見ながら大きく「ごほんっ」と咳払いをした。

 

「び、美少年くん、紹介しよう。公爵、もといノアくんは赤子の私を育ててくれた父親なのさ」

「うん、見てたから何となく分かるよ」


 ジト目を送られるセシリアはやや頬を赤らめながら、そわそわとした様子で腕を組んで静かに俯く。


「い、今のはすべて忘れてくれたまえ。美少女にも見せられない一面があるものなのさ──」

「へぇ~、知らなかったよ! リアはいつもそんな風に振る舞っているんだね!」

「パ、パパ! 変なこと言わないで!」

「……もしかして僕、親子のコント見せられてる?」 

  

 普段の振る舞いを見られて喜ぶ父親のノアと、見られたくない一面を見られて恥ずかしがっている娘のセシリア。そのやり取りを間近で聞かされて真顔で佇むユキト。

 

「リア、この異世界転生者トリックスターが噂のパートナー?」

「そうだよパパ……じゃなくて、その通りだともノアくん。美少女に相応しいパートナー、その名も美少年くんさ」

「美少年くんね。パパはリアに彼のような友達が出来て嬉しいよ。僕とも仲良くしてくれると嬉しいな、美少年くん」


 ノアは娘を溺愛する父親らしい笑顔を浮かべると右手を差し出す。ユキトもまた右手を差し出して握手を交わすと、ノアはゆっくりとユキトの耳元まで顔を近づけ、


「美少年くん、真理とは炎だよ。手に負えない大きさの炎。だから吸血鬼や人類は皆目を細めて通り過ぎようとする。皆が皆、火傷する事を恐れているから手を伸ばそうとすらしない。なら手を伸ばすことができる者はどんな人種だと思う?」

「えっ……?」

「いずれ君にも分かる時が来るよ。それまでリアのことをよろしくね、ユキト」


 小さな声でそう囁いた。何故自分の名を知っているのか。言葉の意図は何なのか。ノアはユキトにそれだけ伝えて顔を耳元から離す。


「じゃあパパは先に戻ってるねリア。気を付けて帰ってくるんだよ」

「ノアくん、そんなに心配しなくても大丈夫さ」

「格言はいいの美少女さん? 『美少女を置いていってはならない。常に美少女に置いていかれる立場であれ』みたいなの」

「び、美少年くん! 君は存外からかうのが好きな性格みたいだね……!?」

「ははっ、仲が良いようで何よりだよ。それじゃあ城で待ってるからね二人共」

 

 軽く手を振って別れの挨拶をするとノアの肉体は蝙蝠に分裂し夜空へと飛び立つ。調子が狂わされ肩を落としていたセシリアは顔を上げ、彼方へ羽ばたいていく蝙蝠の群れを眺めた。


「覚えておきたまえ美少年くん。羽を持つ吸血鬼は公爵と同格、もしくはそれ以上の実力を持つ。そして羽の枚数が吸血鬼の格を示す指標になるとね」

「……そっか、だから吸血鬼に羽が生えてなかったんだね」

「ちなみに美少女が知る限りだと羽を持つのは公爵に四卿貴族ぐらいさ」

「羽の枚数が一番多い吸血鬼って何枚持ってるの?」


 ユキトの問いかけに対してセシリアは何故か口を閉ざす。様子がおかしいと察したユキトはセシリアの横顔へ視線を移した。


「美少女さん?」

「……六枚だろうね」

「六枚って公爵の三倍の数だよね? その吸血鬼ってどんな吸血鬼なの?」

「すまないね美少年くん。今はその吸血鬼が『初代公爵デューク』としか言えない。けれどこの場で美少女が誓おうじゃないか。いつか君にすべて語ると」


 夜空にかかる薄い雲霧。浮かび上がる半月を隠し切れず、その向こうから月光が子供の国の跡地を照らす。瓦礫の山と生徒たちの死体。漂うのは血の臭い。しかしセシリアとユキトの表情はとても穏やかなもの。


「だからその、美少年くん」

「うん」

「最期まで美少女のパートナーとしていてくれたまえよ?」

「……うん、死なない限りは傍にいるよ」


 月が綺麗ですね。

 あなたと見るから綺麗なのです。

 荒れ果てた地上に立つ二人の口から半月にかける言葉など何もなかった。



 SideStory : Yukito Kagetu B_END



 ※2023/06/16/追記

 一身上の都合により来週の6月19日(月)の更新はお休みさせていただきます。読者の皆様には心よりお詫び申し上げます。



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