8:18 Ulexite ─曹灰硼石─


「見てみぃ! これがうちの研究室や!」

「へー、フツーの部屋じゃん」

「ま、まだうちの発明品が世に出てないからや! ……って、実績のない研究者なんて最初は皆こんなもんやろ!」


 案内されたジャンヌの自室という名の研究室。A機関のシャーロットやクルースニク協会のジュリエットの研究室とは違い、宿泊用の部屋を多少改造した程度のもの。問答無用で心のない一言を述べるロックにジャンヌはどうにか釈明をする。


「んで、お前が開発した武装ってのはどこにあんだ?」

「ふっふっふっ、そんなにうちの発明品を見たいんか? きっと自分ら腰を抜かして一時間は立てなくなるで──」

「帰ろうぜ相棒」

「あぁ」


 話が長くなりそうな上、面倒な前置きが入ったため、ロックと私は背を向けて部屋から出て行こうとした。だがジャンヌが凄まじい勢いで私たちの前に回り込む。


「じょ、冗談やって冗談! 今のはエルドラドで流行ってた冗談なんや! すぐ見せたるからちょっと待っててな!」

「あ? 冗談が独り歩きすることなくね?」

 

 中央に置かれた一際目立つ鉄製の机。ジャンヌは部屋の中を駆け回りながら次々と武装らしきものを乗せていく。私とロックは顔を合わせながらその机の前まで歩み寄った。

 

「さぁさぁ、自分らしっかりと目に焼き付けてや! これがうちの発明した『三種の神器』っちゅう武装やで!」

「……三種の神器」


 まず目に入ったのは長刀と短刀の二本。恐らくは雷鳴刀と同じ日本刀と呼ばれる類。しかし外見からして雷鳴刀よりも上物に見えた。


「この刀は?」

「おっ、お目が高いなぁ自分! この短い方は草薙クサナギ、長い方は叢雲ムラクモって発明品や! 気になったんなら手に取ってもええで!」


 私は試しに叢雲と呼ばれる長刀を手に取って重量を確かめる。雷鳴刀よりもやや重いが、不思議と手に馴染むような感触。私の隣ではロックが短刀の草薙を握って、適当にその場で振り回していた。


「ふっふっふっ……自分ら、鞘から刀を抜いてみ!」


 驚くだろうと確信を得たうえで自信に満ちたジャンヌ。私たちは言われた通り、鞘から刀を抜いてその刀身を目にした。


「……これは」

「んぁ? なんか透けて・・・ねぇか?」


 向こう側が見えるほどまでに透き通る刀身。目を凝らさなければその輪郭すらも視認できない。私たちですらも初めて目にした技巧に思わず眉を顰める。


「そうやで! 叢雲と草薙の刀身はほぼ透明みたいなもんや! 悪い兄ちゃんらも吸血鬼も、目で見て一振りを避けようとするやろ? せやから太刀筋が読めへんようにしたんや!」

「俺らも見えねぇんじゃ意味なくね?」

「そう指摘してくると思ってたで!」


 予想通りだったと言わんばかりにジャンヌは机に乗せてある丸い鏡を手に取った。そして手の平に収まる程度の手鏡で私の持っていた叢雲の刀身、ロックの持っていた草薙の刀身に向けて、下から上へなぞるように動かせば、


「おっ、見えるようになった」

「……どういう原理だ?」


 透き通っていた刀身が鮮明な輪郭を描き始めた。叢雲は気にならない程度の蒼の光輝を内側から灯し、草薙は碧の光輝を内側から灯す。私が原理を問いかければ、ジャンヌは隅に置かれていた白の鉱石を手に取った。


「原理はこの曹灰硼石そうかいほうせきちゅう鉱石の性質や。そこまで透けるようになったんはうちが改良したからやけど……こうやって原石見る分には全然透けてへんやろ?」

「あー、なんかぼやけてる感じじゃん」

「けどこうやって本の上に置くとこんな風に向こう側が見えるようになってな。まぁ正確に言うんなら向こう側が見えとるってより、向こう側の景色が鉱石の表面に浮かび上がっとる……って言った方が正しいんやけど」


 白の鉱石に映し出されるのは土台となった本のページ。ジャンヌの言葉通り向こう側が見えるのではなく、石の表面に本のページが丸写しされた見え方に近い。


「へー、んで表面に浮かぶんだ?」

「鉱石の構造が上から下へ直線状に光を通すようになっててな。その光が下に置かれてるもんを上まで伝達して映してるんや。叢雲と草薙はその性質を利用して──」

「通した光が向こう側まで抜けない状態。つまり刀身内部に光を閉じ込める仕様になるよう手を加えた……ということか」

「正解や! 自分、物分かりがええな! もっと詳しく説明するなら『閉じ込めた光を延々と刀身内部で反射させてる』って仕組みやで!」


 大方理解した私の返答にジャンヌは歓喜するように顔を近づけてきた。この反応を踏まえるに今までまともに取り合って貰えなかったことがよく分かる。


「そんでこの鏡はなんだよ? 刀を光らせるだけの発明品か?」

「ふっふっふっ……ズバリ八咫鏡ヤタノカガミや! 目には見えない紫外線を鏡から出しててな! 叢雲と草薙をピカーンッと光らせるだけやなくて、吸血鬼や食屍鬼を杭が無くても殺せるようになる革新的な発明品なんや!」

(……A機関が開発したルクスαと同じ類か)


 A機関のシャーロットが燐灰石を元に開発したルクスαと呼ばれる刀剣。刀身に紫外線を吸収した燐灰石を埋め込み、食屍鬼程度であれば杭なしで始末できる仕様だった。


「あー、ずっと光んのこれ?」

「鞘に一度戻せば光は抜けるようなっとるで! いっぺんやってみぃや!」


 私とロックは淡い光を灯す叢雲と草薙を鞘に納めてからもう一度引き抜いてみると、ジャンヌの言った通り刀身は最初の透明な状態へと戻っていた。


「どや? なかなかのもんやろ?」

「つかさ、この見えねぇ状態で吸血鬼相手にしてもトドメさせねぇじゃん」

「そ、それは、ほら、あれや! 心臓にぶっ刺してから八咫鏡で刀に紫外線を流し込めばええ! そ、そんなことより次の発明品も見てみぃ!」


 曖昧な返答で誤魔化しながらジャンヌが次に手に取ったのはどこかで見覚えのある黒い球形。すると私の隣でロックが「おっ」と声を漏らす。


「それ、森ん中で俺が拾ったやつじゃん」

「な、何やってぇ!? うちの試作品を盗んだのはあんたやったんか!?」

「いや、落ちてたから拾ったんだって」

「うちは落としてへん! 席を外す用事があってちょっと置いといただけや! はよ返してくれ!」


 ロックが所持していた爆破物は試作品。ジャンヌは手を差し出して試作品を返すよう促すが、


「ねぇよ」

「……は?」

「でけぇ蛇と通路爆破するときに全部使った」

「な、なななっ、何してくれとるんや自分ーーッ!? あの試作品は威力の調整ができてない状態のもんや! も、もし、騎士団が地下を調べてうちの試作品の残骸があったら……うちの責任なってここから追い出されるんやで!?」


 とっくにすべて使い切っている。その言葉を聞いたジャンヌは顔を真っ青にしながらロックの身体を激しく揺さぶった。


「まっ、全部吹っ飛ばしたから調べても残骸なんて出ねぇよ。バレたらドンマイってことで」

「バレたら一生恨むで自分……」

「恨みたきゃ恨めばいいじゃん。……恨んでも何も解決しねぇけど」


 ほくそ笑んでいるロックに肩を落としたジャンヌは、溜息をつきながら持っていた黒い球形を私たちに見せつける。


「この丸っこいのは八尺瓊勾玉ヤサカニノマガタマや。自分らも知っとると思うけど、この栓を抜くとドカンと爆発するで」

「おう、知ってんぜ。んじゃあ説明は終わりだな。俺、帰るわ」

「待て待て! 試作品の状態から少しだけ進化しとるんや!」


 ロックは草薙を机に置くとそのまま帰ろうとしたが、ジャンヌは呼び止めるように黒い勾玉とやらの中身を覗かせてきた。


「んぁ? 火薬に交じってなんか入ってね?」

「完成品にはさっき見せた曹灰硼石そうかいほうせきの破片が入っててな。爆発したら破片が飛び散る仕組みになってるんや。うちは八尺瓊勾玉ヤサカニノマガタマってカッコよく命名したけど……本来は焙烙玉ほうろくだまって呼ばれる爆弾や」

「なるほど。勾玉とやらも手鏡の光を浴びせれば……鉱石の破片に紫外線が吸収されるわけか」

「そのとぉーりや自分! 吸血鬼にも食屍鬼にも効果抜群っちゅうわけ!」


 つまり八咫鏡ヤタノカガミと呼ばれる丸い手鏡は『食屍鬼もしくは吸血鬼が相手』の時に真価を発揮する補助道具。私は透き通る刀身を持つ叢雲を鞘に納めて机に置く。


「ちなみにうちが改良したこの鉱石は『曹灰硼石そうかいほうせき型』って命名したで!」

「こっから進化するって言いたげな顔してね?」

「当然やろ! うちにとって羽化したての希望みたいなもんや!」


 グローリアでの燐灰石りんかいせき、クルースニク協会での電気石でんきいし、雪月花での曹灰硼石そうかいほうせき。全く異なる鉱石で全く異なる武装。私は過去の記憶を思い返しながら口を閉ざす。


「どうや、うちが発明した三種の神器は! 自分らも使いたくなったやろ?」

「三種の神器じゃなくて四種の神器じゃね?」

「草薙と叢雲は二本で一セットやから三種の神器でええんや!」

「……で、どーすんだ相棒? ダンスダンク・・・・・・ってやつの武装を使わせてもらうか?」

「ジャンヌ・ダルクや!! うちの名前覚える気ないやろ自分!」 


 短刀の草薙クサナギと長刀の叢雲ムラクモ。紫外線を吸収させる手鏡の八咫鏡ヤタノカガミ。破片と火薬が詰まった爆破物の八尺瓊勾玉ヤサカニノマガタマ。机の上に並べられた三種の神器をじっと見つめた後、顔を上げてジャンヌの顔を見る。


「あぁ利用できるものは利用するだけだ」

「ほ、ほんまか……!?」

「この飾りにもならん騎士団の剣よりはマシだろう」

「ほんまにありがとう! あんたはうちにとっての救世主や!!」


 そう言いながら私は腰に携えていた騎士団の剣を床に捨てた。ジャンヌは瞳を煌めかせながら私の両手を強く握りしめる。


「んじゃあ俺も使うわ。……このなげぇ刀以外をな」

「何でや? 叢雲のどこが気に入らんかったんや?」

「気に入らねぇもなにもねぇよ。そもそも大蛇の風穴は洞窟だろーが。相棒並みの手練れはともかく、慣れてねぇ俺がんな狭い場所で長物なんて振り回せねぇよ。だからいらねーの」

「た、確かに、その意見は間違ってへんな……」


 正論を叩き込まれたジャンヌは少々狼狽えた後、騎士団の剣に視線を向けてから何かに気が付いた様子で、私たちの顔を交互に見てきた。

 

「せ、せや! 騎士団の剣こそ長物やないか! 今の話を伝えなくてええんか!?」

「あ? 別にいいんじゃね?」

「な、何でや! 何か起きてからじゃ遅いやろ!?」

「俺らからしたらアホな騎士団様なんてどーでもいいんだよ。借りも恩もねぇのに、んでわざわざ忠告してやんねーといけねぇんだ?」


 ロックはそう淡々と述べながら叢雲以外の武装を手に取る。しかし草薙と八咫鏡だけは一つずつ余分に取っていた。


「それは予備か?」

「いーや、二刀流すんだよ」

「……そうか」


 確かに短刀は二刀流するために二本必要だが八咫鏡を二つ取る必要はない。ロックが嘘を付いていることは明白だったが、私はこれ以上の詮索は止め、武装一式を手に取った。


「忘れていたがお前に聞いておくことがある」

「ん? 何や?」

「お前はジュリエットという女を知っているか?」


 私は長刀の叢雲と短刀の草薙を背中側の腰に携えつつそう尋ねた。ジャンヌはしばらく考える素振りを見せると、


「ジュリエット……? うちの知人にそんな子はおらへんけど……」

「そうか」

「何でそんなこと聞いたんや?」

「その女もお前と同じように発明品・・・と口にしていたからだ」


 制服の腰に巻かれたこげ茶のベルト。そこに付いている小型の鞄へ八咫鏡と勾玉という名の焙烙玉ほうろくだまを仕舞う。


「そのジュリエットって子はどこに住んどるんや?」

「クルースニク協会を住処にしている」

「ほぉ~、そうなんか! クルースニクなら『ニーゴ』って友達がうちにもおるで!」

「ニーゴ?」


 私がそう聞き返すとジャンヌは過去を思い出して静かに微笑み、ぽつぽつとニーゴについてこう語った。


「うちはな、元々獅子の手下で『一号イチゴ』って呼ばれてたんや。そん時に新しく入ってきたのがニーゴって子やった。……って言っても名前が無かったからうちが勝手に『二号ニーゴ』ってつけただけやけど」

「……それで?」

「うちは、この発明品を世界に広めて……吸血鬼を退治するための組織を一から作るのが夢なんや。大きな組織を作って、クルースニクにいるニーゴを迎えに行く。その為にうちはここまで来た」


 胸の前で無意識のうちに右手を握りしめるジャンヌ。その顔は必ず成し遂げよう決意する強い意志が垣間見える。


「けど上手くいかないことばかりや。どれだけ発明品を見せても認めて貰えへんし、どれだけ頑張っても報われへんかったしな。エメールロスタにもアダールランバにも厄介払いされて、辿り着いたのがこの国やった」

「……厄介払いか」

「せやけど、自分らはうちの発明品を初めて認めてくれた! 大きく羽ばたくための道を、やっと駆け出すことができたんや! ほんまに、ほんまにありがとな!」


 ジャンヌは曇りのない笑顔と感謝の言葉を述べてきた為、私とロックは互いに顔を見合わせ、


「私たちはまだ試用してすらいない。認めた云々の話だろう」

「そりゃそうだ。何一人で盛り上がってんだよ?」 

「何でそういうこと口に出すんや自分らぁ!? うちの感謝トークが全部台無しやないか──」

「そういや便箋とかねぇの? 手紙書きてぇんだけど」


 二人揃って本音を口に出すとジャンヌは一際大きな声で鋭い指摘を入れるが、ロックがその指摘をわざとらしく遮る。


「あー、便箋ならそこの引き出しに入っとるで~……って、うちのツッコミも台無しになっとるやないか──」

「誰に手紙を送る?」

「んぁ? 愛人でも友人でもねぇやつに送るけど?」

「そうか」

「……自分ら、一発ずつ殴ってもええか? ええよな、一発ぐらい?」


 頬を引き攣りながら右拳を震わせるジャンヌ。私たちはそんな姿を見つめた後、静かに背を向けてジャンヌの部屋を後にした。



────────────────────



 栄光の国グローリア。

 本来治めるはアーネット家の皇女ヘレン・アーネット。しかしその統治者の席に腰を下ろし民衆へ呼びかける人物は、 


「この栄光ある国、人類の希望とも呼べるグローリアに……吸血鬼を匿っていたリンカーネーションの罪は重いッ!! これは我々人類への冒涜に近い行為ッ!!」

「そうだそうだぁあぁあぁッ!!」

「私の娘もきっとあいつらに殺されたのよッ! 罰せられて当然だわッ!」


 教皇オルフェン。

 リンカーネーションがアレクシアという罪人を匿っていた事実。それらが明白となり、巻き起こったのは荒れ狂う反乱と革命。多数に無勢という言葉通り、皇女のヘレンへの信頼は地の底に落ちてしまった。


「この腐りきったグローリアを、私が、教皇であるオルフェンが──真の栄光ある国へと導き、改革をもたらすことを誓おうではありませんかッ!!」

「うおぉおぉおおおぉおーーッ!!」

「まずはリンカーネーションが匿っていた化け物──アレクシア・バートリの公開処刑ッ!! 我々の大切なものを奪い去った憎き化け物を、この手で処刑してみせようッ!!」

「オルフェン様ぁあぁああっ!!」


 アルケミスに集った民衆による絶え間のない叫び声。信頼と期待と希望が込められた歓声。様々な声が入り混じった光景の中、オルフェンは手を振りながら城内へと戻っていく。


「おや、ヘレン様にカミル様ではありませんか。何か私に御用でも?」


 待ち構えていたのはヘレンとカミル。オルフェンが惚けた様子でそう尋ねれば、カミルが不機嫌な様子でオルフェンを睨みつける。

  

「てめぇがここに呼んだんだろうが。しかもわざわざご偉い演説が見えるとこに呼びやがって」

「ほっほっほっ、ヘレン様に学びの場を設けたまでですな。地に落ちたアーネット家の皇女様への、ほんのばかりの優しさですぞ」


 その言葉にカミルの頬がピクリと痙攣し、鋭い視線に僅かな怒りが込められた。オルフェンは気が付かないフリをして、二人の傍まで歩み寄る。


「おや、座ろうにも椅子がありません。……ヘレン様、申し訳ないのですが椅子になっては貰えませんかな?」

「……あ?」

「ヘレン様の尻拭いをする日々で腰を痛めてしまいましてねぇ。落ちぶれた身で少しは私に貢献してくれてもいいと思いますぞ? そもそも国から追放されずに済んだのは私のおかげでしょうに」

「……ッ! てめぇ、わざとこの部屋に椅子を用意しなかったな──」

「カミル、私は構わない。何もするな」


 詰め寄ろうとするカミルを静止し、その場へ四つん這いになるヘレン。オルフェンはその滑稽な姿にほくそ笑むとわざと勢いよく座った。


「ほっほっほっ、名家の椅子は座り心地がいいですな」

「……」

「いくら人類の希望と謳われようと民からの信頼を失えばただの怪物。このような姿になり、ご両親様もさぞ悲しいことでしょう。喋らない椅子・・・・・・か、喋らない器・・・・・かの違いですな」

「──ッ!!」


 カミルはとっくに堪忍袋の緒が切れていたがヘレンから「何もするな」と言われた以上、ただその光景を眺めることしかできない。オルフェンは意図的にヘレンの背中の上で身体を揺さぶって体重をかける。


「喉が渇きましたな。カミル様、水を取ってくださりませんか?」

「……あぁ分かった」


 派手な装飾が施されるガラスのコップ。オルフェンはカミルから受け取ると口に付けると見せかけ、


「……っ」

「おっと、手が滑ってしまいました」


 椅子となったヘレンの頭部に一滴残らずかけた。意図的な行為にカミルの歯軋りの音を立ててオルフェンへ殺意を抱く。


「クソジジイ……さっさと、要件を言え……」

「おっとそうでした。実はヘレン様にチャンスを与えようと考えておりましてな」

「チャンスだと?」

「現在逃亡中のアレクシア・バートリ。今から・・・彼女を生け捕りにし、グローリアまで連れて帰ってきてもらおうかと」


 アレクシア・バートリの生け捕り。四つん這いになったヘレンが僅かに眉を顰める。


「いつ出発すればよいのですか?」

「おやヘレン様、この老いぼれよりも耳が遠いようですな? 私は今からと言いましたぞ」

「何言ってやがるクソジジイ。今からだと? 何の準備もしねぇで急に行けとでも言いやがるのか?」

「ほっほっほっ、ヘレン様にとっては差し支えないですぞ。何故ならヘレン様は生粋の怪物──我々と同じ人間ではありませんから」

「……あ?」


 その一言でカミルの瞳孔が開く。左拳を思い切り振り上げてオルフェンの背後から殴りかかろうとしたが、


「分かりました。すぐに出発を」

「よい返事ですな。それでは頼みましたぞ」


 ヘレンが平然と答えを返したことでカミルの動きが止まった。オルフェンはその返事を聞くと立ち上がり、部屋から堂々と出ていく。


「おいヘレン、大丈夫か──」


 四つん這いになったヘレンへ歩み寄るカミル。彼はその顔を見て思わず硬直した。


「ヘレン、お前……」


 アーネット家特有の紅い瞳を真っ赤に輝かせ、口内を切ったのか口元から血が次々と垂れ、両手を付いていた絨毯には激しい爪の跡が残っている。ヘレンはとっくに憤怒に支配されていたのだ。 


「カミル」

「何だ?」

「私は、皇女としてどうだった?」

「……立派だった。よく耐えたな、ヘレン」


 怒りのあまり声を震わせるヘレンの問いかけ。カミルはしゃがみ込んで肩に手を置くと、何とも言えない顔で静かに微笑んだ。


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