8:19 Giant serpentine windhole ─大蛇の風穴─


「なぁ相棒」

「何だ?」

「んで俺らが最後尾歩かされてんだ?」


 ジャンヌから武装を受け取った翌朝。

 アフェードロストから然程遠くはない山道。私たちは大蛇の風穴を目指しながら騎士団の最後尾を歩いていた。


「……気に食わんのか」

「最後尾は良くねぇって立証したばっかじゃん。ご立派な副団長様ですら喰われちまったし、俺らもどうなるか分かんねぇだろ」

「そ、そんな不吉なこと後ろで話さないでよ……」


 苦笑交じりにロックの方へと顔を向けるのはエリン。最前列を騎士団長のラファエル、筋肉質な肉体を持つハンヌ。二列目に皇女のミールと使用人のヤミ。三列目に妖艶なベッキーと小柄なカスペル。四列目にエリン。そして最後尾に私とロックの並びだ。


「まっ、先に死ぬのはあのでけぇのだから心配すんな」

「聞こえてんだよてめぇッ! 黙って歩いてろ!」

「てか思ったんだけどさ。んでこの小便女が荷物持ちなんだよ? でけぇお前が持てばいいじゃん」


 私たちの前を歩くエリンは用品などが詰め込まれた鞄をいくつも背負わされている。しかしどう考えてもエリンに荷物持ちの役割を担わせるのは破綻を招くようなものだ。


「見習いは荷物持ちからって決まったんだよ。俺が副団長になってからな」

「へー、結局お前が副団長になったの?」

「ふんっ、この騎士団には俺以外に腕の立つヤツがいねぇだろうが。それにな、前任の副団長よりも俺の方がつえぇんだよ」

「……っ」


 わざとらしく大声で主張をするハンヌ。前任の副団長だったカロラへの侮辱にも聞こえる主張に、エリンは表情を険しくさせる。


(……腹いせか)


 昨日私たちを庇う為にエリンはハンヌへ反論をした。その報復に荷物持ちという嫌がらせを受けているのだと私とロックはすぐに察する。

 

「けどさ、前はお前じゃなかったわけじゃん? それって腕が立つけど相応しくなかったって、騎士団長さまが判断してたんじゃねぇーの?」

「あぁ!? 何が言いてぇんだてめぇ!?」

「ハンヌ! 今は大蛇の風穴に集中を──」


 歩みを止めてこちらへ振り返るハンヌ。隊列の乱れにラファエルはハンヌを止めようとするが、まったく聞く耳を持たずロックを睨みつけた。

 

「喰われた副団長さまの名前覚えてねぇけど……お前、あいつより副団長の器に相応しくねぇよ。まだこの小便女の方がマシじゃん」

「ははっ! てめぇは何にも知らねぇんだな? エリンがどうしようもねぇ落ちこぼれだってことをよぉ!」

「あ? 落ちこぼれ?」

「三年間も騎士団にいんのに剣術も武術も未だに半人前以下! 入団したての新入りよりも結果が出せねぇから、まともな任務も与えられねぇ! おまけに蛇を前にして漏らしただってぇ!? 俺だったら恥ずかしくて騎士なんて辞めちまうなぁ!」


 エリンを貶しながら嘲笑うハンヌ。視線を移すとエリンは何も言い返せず、悔しそうに歯を食いしばるだけ。

 

「んなこと別にどーでもいいだろ。俺が話してんのは騎士・・じゃなくて副団長・・・の話」

「あぁ?」

「要は協調性の欠片もねぇお前が副団長に相応しくねぇって言ってんの。お前は協調性がなくてでけぇだけ。まっ、ふつーに考えりゃあ荷物持ちがお似合いだろ?」

「チッ、転生者ごときが調子に乗りやがってッ! そんなにやり合いてぇんなら今すぐここで白黒つけてやろうじゃねぇか──」


 ハンヌは詰め寄ろうとした途端、すぐ目の前に立っていたミールの顔を視認する。 私たちの角度からよく見えなかったがハンヌは徐々に目を見開くと、


「……この任務が終わったら覚えときやがれ! 行くぞエル!」

「はぁ、頼むから揉め事を起こさないでくれ」


 踵を返して大蛇の風穴へ向けて一人でに歩いていく。ラファエルは溜息を付いた後、他の者たちへ合図を送り再度隊列を組んで進行を始めた。

 

「……」


 俯いたまま歩き出さないエリン。私は何食わぬ顔でその横を通り過ぎたがロックだけはエリンの頭に勢いよく手を乗せ、


「落ちこぼれだろうが気にすんな。どうせあのでけぇのすぐ死ぬぜ」

「けど私は騎士なのに……」

「アホ、長生きすりゃいいんだよ長生きすりゃあ。騎士団の中じゃあ強いか弱いかが指標になんだろうが、一歩でも外に出りゃあ生きるか死ぬかの世界だろ。ほら前見て歩け」


 やや励ますようにして前へと進ませた。傍からすれば気にかける優しさを感じるだろうが、エリンが抱えた荷物は一つも持つ気がないらしい。


「マッジ最悪……。蛇がうろちょろしててほんときしょい……」

「みんな、蛇を刺激しないように進むんだ。毒を持っている蛇もいるかもしれない」


 大蛇の風穴に近づけば近づくほど付近で蛇を見かける数が増える。円形の銭形模様、赤と黒の斑紋、たて縞模様と様々な外見を持つ蛇が木の上や、足元を這いずり回っていた。


「へへっ、こいつとか食べれたりするでやんすかね?」

「ちょっとエルの話聞いてた……!? きしょいから早くその蛇を捨てろカス!」


 しかしラファエルの忠告を無視したカスペルが試しに一匹の蛇を摘まみ上げる。ベッキーは頬を引き攣りながらカスペルから離れるが、


「大丈夫でやんすよ! ほらほら、よく見れば可愛いでやんす!」

「うっざ! あたしに近づけんな!」


 からかうようにして蛇をベッキーに近づけた。他の蛇とは違い、赤い瞳のような模様が浮かび上がる特殊な蛇。


「ぷぷっ! ベッキーさん、こういうの苦手でやんすか? 意外に乙女なところもあるでやんすね──」

「シャアァアァアッ!!」

「うぎゃああぁあっ! か、噛まれたでやんすぅうぅ!!」

 

 更にベッキーへ近づけようとした瞬間、雑に扱われたことで蛇の逆鱗に触れたのか、身体をうねってカスペルの右手へと思い切り噛みつく。周囲に響き渡るカスペルの叫び声。


「カスペル、大丈夫か!?」

「ぺっぺっ……な、何とか……」


 ラファエルが駆け寄ると蛇は颯爽と草むらへ姿を消す。カスペルは念のためにと噛まれた箇所を口で吸って何度も血の唾を吐き出していた。


「腕に痺れは?」

「今のところはないでやんす……」

「……よし、腫れてもいないな。ヤミさん、傷口に細菌が入らないよう処置をしておいてもらえるかい?」

「わ、分かりました……!」


 痺れもないが腫れている様子もない。ただ噛み傷だけが残るカスペルの右手。ヤミがその右手に包帯を巻いて治療を始める。


「遊びじゃねぇんだぞカスペル。次やったらぶん殴るからな」

「ご、ごめんでやんす!」


 ハンヌが苛立つ様子でカスペルへ忠告をし、治療が終わると再度歩き出す。私は包帯が巻かれたカスペルの右手を見つめ、怪訝になりつつやや目を細めた。


「どーしたんだ相棒? 山頂頭が気になんのか?」

「……いや、まだ気にはならん」

「ふーん、いつものやつじゃん。気になった時点じゃあ遅いって話題のやつ」

「下らん話題だな」


 それから何事もなく数分ほど歩けば一際目立つ洞窟の前に辿り着く。大蛇の風穴という名のせいか、洞窟の天井と床には鋭い牙を象徴するような氷柱状の岩が並び、まるで『蛇が大口を開いた』ような形に見えた。 


「ミール様、到着しました。ここが付近で最も近い大蛇の風穴です」

「あら、素敵な洞窟ですね♪ 早速入りましょ♪」


 何の警戒もせずに立ち入ろうと提案するミール。ラファエルは渋い顔をしながら腰に携えたランプを点火し、私たちの方を一望した。


「各自、隊列はそのまま保つこと。もし想定外の事態が起こった時は……ミール様を守りつつここまで引き返す」

「了解でやんす!」


 果敢に大蛇の風穴へと足を踏み入れていく最前列のラファエルとハンヌ。他の騎士たちもランプを点火するが、ロックはスマホを取り出して光で周囲を照らす。私は吸血鬼の血が流れていることで夜目が利く為、そのまま進むことにした。


「ねぇ、大蛇の風穴ってあたしらの知らないとこで数増やしてんでしょ?」

「うん、僕はそう聞いている。先月は三つ、今月は五つも新しい風穴が見つかったって」


 大蛇の風穴の内部。見渡す限りはその辺にあるような洞窟と変わらない。唯一特徴を上げるのであれば、天井や壁に人が通れるほどの穴がいくつも空いている点だろう。


「ならよぉ、こいつは人工的に掘られたもんなのか?」

「そこまでは分からない。大蛇の風穴の奥に何があるのかを確かめないとね」

 

 大蛇の風穴が何故存在するのか。何故その数を増やし続けているのか。最深部には何が待ち受けているのか。その疑問を抱きつつも私たちは慎重に歩を進めた。


「ギャハァ! ハハハハハッ!!」

「ウワァァアンッ!! アァアアッ!!」

「……! 食屍鬼の声、全員構えて!」


 暗闇に閉ざされた洞窟の奥から聞こえる食屍鬼の鳴き声。ラファエルの呼びかけでその場にいる者たちが臨戦態勢へと入る。


「ハハハッ!! アハハハハァッ!」

「ひ、ひぃいぃい!? 数が多すぎせんかぁあぁっ!!?」

「チッ……ミール嬢ちゃんたちに食屍鬼を近づけさせんなよてめぇら!」


 響き渡るヤミの悲鳴と向かってくる食屍鬼共の群れ。ミールを囲う形でハンヌたちは剣を振るい、食屍鬼の足や腕を斬り捨て、木の杭を心臓へと次々突き刺した。


「ワァアァアアーーッ!! ウアッアァアァアッ!」

「相棒、あいつ任せるわ」

「あぁ」


 真っ直ぐこちらへ駆けてくる一匹の食屍鬼。私はロックに返答してから短刀の草薙を左手に、右手に八咫鏡を握りしめ、


「ワァッ!? アァアァアッ!!」


 透き通る刀身を宙でなぞりながら鋭利な矛先を食屍鬼の胸元へ突き刺し、


「失せろ」

「アァアアーーッ!! ワァアァアアンッ?!!」

 

 八咫鏡から刀身に紫外線を流し込んで食屍鬼を灰へと変える。私は草薙を納刀しつつ顔を上げると、前方のハンヌたちも食屍鬼共を粗方始末していた。


「……妙だ」

「分かるぜ。やっぱおかしいよな相棒」

「あぁ、食屍鬼共は私たちに見向きもしなかった」


 だが気掛かりな点が一つ残る。それは食屍鬼共が一切抵抗しなかった点。そもそもハンヌや私たちなど襲うつもりはなく、単に洞窟の出口まで逃げようと試みていた……と考えられるほどまでに無抵抗。


「はっ、食屍鬼なんて相手じゃねぇな」

「そうでやんすね! おいらたちにかかればちょちょいのちょいでやんすよ!」

「ふふっ、皆さん頼もしいです♪」


 余裕そうな態度を取る騎士団へ静かに微笑むミール。私の中で気掛かりは残ったままだが、ラファエルたちは気にせず奥を目指して再出発する。


「……? 何か落ちている……?」

「なんだこりゃあ? 鉄の板か?」


 食屍鬼共と遭遇して数分ほど経った頃合い。薄暗い風穴の下り坂を進んでいると先頭を歩いていたラファエルが立ち止まる。拾い上げたのは手の平サイズの長方形の薄い板。


「ねぇそれ、最後尾で歩いてるアイツが持ってるのと同じやつじゃない?」

「確かにそっくりでやんす!」

「んぁ? スマホのことか?」


 正体は異世界転生者が所持するスマホ。ベッキーに視線を送られたロックは全員に見えるように持っていたスマホを掲げる。


「私も知っています。以前、兄様や姉様から何台か送られてきたので」

「ミール様、使い方はご存知でしょうか?」 

「ごめんなさい。触れてなかったのでそこまでは……」

「んなら俺に貸せよ。中見てやるわ」


 皇女のミールと対話するラファエル。ロックはそんなラファエルが拾ったスマホを奪い取ると、慣れた手つきで画面を何度か親指で叩いた。


「アプリも音楽も映画もなーんも入ってねぇじゃん。んだよ、ただの外れか……あ?」

「どうしたんでやんす? 何か見つかったでやんすか?」

「動画が何本か保存してあんだよ。まっ、とりあえず再生してみるわ」


 唯一保存されていた動画。ロックは全員に見えるようスマホを横にして、壁際に置くと三角形の印へ触れる。 


『ごほんっ、調査記録その一。撮影者は生物学を齧ってる氷月騎士団Zoyaゾーヤ Auberオーベル。同伴は同じく氷月騎士団のSlavaスラヴァ JacobジャコブNibalニバル Barrandeバランド。この三名で大蛇の風穴の調査記録を残します』

『ちょっと? ほんとに撮れてるのそれ?』

『た、多分撮れているとは……』

『頼むぞゾーヤ。お前以外にその変な箱の使い方を知らないんだからな』


 画面に映し出されるのは大蛇の風穴らしき入り口。髪を後ろで一つ結びにした金髪の女騎士と短髪で刈り上げた茶髪の男騎士。撮影している側の顔は見えないが声からするに女だろう。


「彼らは……氷月騎士団の?」

「これ、場所も違うんじゃない? 私たちが入ってきたとこじゃないっしょ」

「あぁそうみてぇだ。多分エメールロスタ付近の風穴だろうな」


 ハンヌたちが言った通り、私たちには見覚えのない大蛇の風穴。別の場所だろうと推測をしていれば、動画とやらの中で洞窟内部へと足を踏み入れる。


『えっと、大蛇の風穴はごくごく普通の洞窟と変わりません。ちょっと肌寒くて、匂いも自然って感じの匂いです。ただ薄暗いので歩きづらさはあると思います。変わっているのは……変なくぼみが多いぐらいです』

『スラヴァ、足元に気を付けろよ』

『分かってる。余計なお世話』

『しばらく奥を目指して進んでみようと思います。何かあったらまた動画? っていうのを回します』


 女騎士スラヴァと男騎士ニバルの後方を歩いて、動画を撮りつつ事細かに解説するゾーヤ。動画とやらはそこで停止する。撮影者は私と同じく天井や壁に穴が多いことを気にしていたらしい。


「まだあんけど……続き見るか?」

「うん、何か大事な記録が残っているかもしれないしね」


 ラファエルの返答を聞いたロックは画面を指でなぞって次の動画を再生した。映された場所は先ほどと特に変わりない洞窟内部。


『調査記録その二。あれから数分ほど歩き続けました。特に変わった様子もなく、やや下り坂っぽい道を進んでいます』

『ねぇニバル。なんか転がってない?』

『あぁ、獣の死骸か?』


 先頭を歩いていた二人が見つけたのは獣の死骸。スマホの映す先がすぐさま地面へと向けられ、画面には腐りかけたウサギの死骸が転がっていた。


『きっとここに迷い込んで出れなくなったのね』

『そうかもな。どうする? 俺たちも一度引き返しておくか?』

『まだ何も見つけてないわ。せめてめぼしいものでも見つけてから──』


 スラヴァが喋っている最中、ウサギの死骸が一瞬だけ音を立てて動く。二人は息を呑むと慎重に剣の鞘へと手を掛けていた。 

 

『今、死んでるのに動いてなかった?』

『あぁ動いてた。死骸の中に何かいるのか……?』


 観察しているとウサギの死骸が再び左右に揺れ、内側からナニカが飛び出そうと腹部の皮が波打つように蠢けば、


『シャァアァア……ッ』

『うわっ、気持ちわるっ……!』


 手の平に収まる程度の小さな蛇が無数に飛び出してきた。身の毛もよだつ光景にスラヴァは口を押えて後退りをする。

 

『ウ、ウサギの死体から小さな蛇がわんさか這い出てきました……。蛇の大きさは数センチほどです』

『こんな小さいやつ初めて見たわ……。蛇の中では珍しい種類だったり?』

『気温や地質にもよりますがこの一帯なら珍しい蛇かもしれません。けどこの模様の蛇は……私も初めて見ました。新種の可能性が高いです』

『新種? 世紀の大発見じゃない』


 動画越しで輪郭はよく見えないが模様の形は恐らく赤い瞳。カスペルに噛みついた蛇と同種類のもの。私は険しい表情を浮かべながら、画面に映る無数の蛇を見つめる。


『どうする? めぼしいものもあったし一旦戻るか──』

 

 ニバルが冗談半分で引き返す提案をするとスマホの画面が小刻みに揺れ始めた。ラファエルたちは周囲を見渡すがそれはこちら側ではない。動画の向こう側で揺れている。

 

『何よ今の? ちょっと揺れたわよね?』

『あぁ揺れたな。地震でもあったのか?』

『じゃあ戻りましょ。こんなとこで生き埋めになるのは嫌だから』

『シュゥーー……シューー……』


 身の危険を感じた三人が道を引き返そうとその場を振り返った。が、その途端微かに妙な音が聞こえ始める。まるで空気が漏れているか細い音。


『ん? 何か聞こえないか?』

『シューー……』

『ええ、何なのよこの音は?』

 

 スラヴァとニバルが辺りの様子を怪訝な顔で窺う。そのか細い音が徐々に徐々に三人の元へ近づいているのか、その音の大きさを上げていく。


『シューーッ……シューーッ……』

『ね、ねぇちょっと? わ、私たちに向かってきてない?』

『あ、あぁ! 警戒するんだ二人共!』


 二人は奇妙な音に動揺しつつも騎士の剣を引き抜き警戒態勢へと入る。ほんの数秒も経たずにか細い音は三人のすぐそばまで迫った。剣を握りしめる二人の手も張り詰めた空気に汗ばむのだが、


『……音が、止みましたね』

『ええ、今の音は何だったの……?』


 か細い音はピタリと止んでしまう。撮影者のゾーヤはその場で自転し周囲をゆっくりと撮影し始め、


『とにかく一旦引き返そう。収穫がなかったわけじゃない──』


 二人の姿を映す角度に戻った瞬間、ニバルの身体が予兆もなく、天井に向かって凄まじい勢いで引っ張り上げられ、


「んぁ? この動画、これで終わりじゃね?」


 動画がそこで停止した。何が起きたのか理解が及ばず、ラファエルたちは無言でスマホを見つめる。


「今さ、最後に映ったのなに?」

「わ、わかんないでやんす……。右のニバルって人が急に引っ張られたでやんすよね?」

「おっ、まだ続き残ってんじゃん。見てみるか?」

「……うん。見てみよう」


 妙に乗り気なロックはラファエルの返答を聞くとニヤニヤとしながら続きの動画を再生し、


『あ"ッああぁあぁあああーーッ!! や"め"ッ、だずげッ、ぎぃあ"ッあッあ"ぁあぁあああぁあぁッ!!』

「ひっ……!?」


 大音量で流されるのはニバルの断末魔と肉が引き千切れる音。エリンは驚きのあまり小さな悲鳴を上げる。


『はぁッはぁッ!! な、なんなの、なんなのよぉ!?!』 

『わ、分かりませんッ! 私にも分かりませんッ!!』


 後方から聞こえる断末魔から逃げるようにして、出口を目指すのは撮影者のゾーヤとスラヴァ。必死に走っているのか、動画は激しく上下に揺れている。


『は、早くここから逃げるのよ! 逃げて、逃げないと殺され──きゃあッ!?!』

『スラヴァさん!』


 左隣から聞こえるスラヴァの悲鳴。天井から落ちてきたナニカが衝突し、その場に尻餅をついてしまう。


『な、なにが落ちて──ひッ!?』


 ナニカを目視して短い悲鳴を上げるスラヴァ。ゾーヤの持つスマホが向けられた先に落ちていたナニカは──四肢が千切られ、大腸が引きずりだされたニバルの無残な死体。


『うっぷ……ッ』

『な、なんなのよぉッ!? 何が起きてるのよぉおッ!?!』 

 

 転がる死体に思わず吐き気を催すゾーヤと恐怖に肉体を支配されるスラヴァ。そして聞こえてくるのはあのか細い、空気が漏れるような音。


『シューー……シューー……』

『に、逃げましょうスラヴァさん!』

『分かってる、分かってる……ッ!!』

 

 ゾーヤがスマホを片手にスラヴァへ手を差し伸べる。その手を握ろうとスラヴァは身を奮い立たせ立ち上がろうとした。


『きゃあぁあッ!?!』

『スラヴァさん……っ』

 

 が、スラヴァの右脚を黒いナニカが掴むと壁際まで引きずろうとした。黒いナニカが伸びているのは人間一人が通れる横に長い隙間から。


『シューーッ……シューーッ……』

『い、いやッ、ゾ、ゾーヤ引っ張って……!!』

『分かって、ますッ……でも力が、強すぎて……ッ!!』

『い、いたッ、いたいいたいッ! あ、足が、足が千切れそ──』


 汗ばんでいたことで互いの手が滑る。ゾーヤは勢いのあまり転んでしまった。


『シューーッ……シューーッ……』

『いや"ぁああッ!! い"や"ぁあ"ぁあぁあぁああーーッ!!』


 壁際まで引きずられながら必死に何かにしがみつこうとするスラヴァ。しかし手が届くわけもなく、壁際の隙間に下半身だけ呑み込まれる。


『スラヴァさんッ!! 今、今助けますから……ッ!!』


 ゾーヤがスマホを投げ捨てたのか動画の視点が足元へと移り変わる。そこに映し出されるのは果敢にもスラヴァの元まで駆け寄り、騎士団の制服を掴むゾーヤ自身の姿。


『早くッ、早く引っ張って──ひッぎああぁあぁあッ!?!』

『くっ、こんのぉおおぉおッ!!』

『あ"ッあ"ぁあぁああああぁあーーッ!!』


 肉が裂ける音とスラヴァの断末魔。壁の隙間から噴出する鮮血。制服は瞬く間に血塗れになる。ゾーヤは焦燥感に駆られながらスラヴァの上半身を更に引っ張り、


『い"、い"や"ッ! 私の、私の足が、私の足がぁあぁああぁあ……ッ』

『あっ……あぁっ……』


 露になった下半身にゾーヤは思わず手を離して後退りをする。千切られた右脚の皮膚がだらしなく伸び、左脚はあらぬ方向へ捻じ曲がっていた。肉塊と変わらぬ有様にスラヴァはただ断末魔を上げる。


『シューーッ……シューーッ……』

『ひッ……!?! だ、だすけて、だすけてゾーヤ!!』


 慈悲も休息も与えない。そう言わんばかりにスラヴァの痛ましい肉体は再び隙間へと引きずり込まれ始めたが、ゾーヤは手を差し伸べることができなかった。


『あッぎぁぁあッ!?! ひッ、いやッ、いやぁあッ!! やだッ、やだぁあぁああッ!! 死にたくないッ、死にたくないぃいぃいッ!!!』

『ス、スラヴァさん……』


 スラヴァは隙間の上壁を両手で掴んでただひたすらにそう叫び抵抗する。隙間からは真っ赤な生き血と切り刻まれた肉片が飛び散った。


『死にたく──ッ』


 苦痛による筋肉の痙攣。震える手がなすすべもなく離れた途端、スラヴァの肉体はあっという間に隙間の向こう側へ引きずり込まれ、


『あ"ッあ"ぁあ"ぁぁぁあああーーッ!! ぐぅえッ、おぐぉッ、ひっぎィッ……あ"ッあ"ぁあ"ぁあ"ぁあ"あッ!!』


 隙間から聞こえてくる更に激しい断末魔と溢れ出す真っ赤な鮮血。ゾーヤは硬直させていた身体を動かし、落としたスマホを拾い上げ、


「おっ、これで終わりっぽいぜ?」


 そこで動画が停止した。視線をラファエルたちへ向けてみると険しい顔をした者や怯えて顔を真っ青にする者と反応が異なる状態。


「ね、ねぇ……今の、流石にやばくない?」

「やべぇで済む話じゃねぇだろこれは……。何がこいつらを襲ってたんだ?」


 正体不明の音と共にゾーヤたちを襲撃したナニカ。ベッキーとハンヌは信じられないと言った顔で息を呑む。


「あ、まだ動画があんじゃん。一応これが最後っぽいけど見とくか?」

「……うん、見ておこう。さっきの音の正体が掴めるかもしれない」


 この場で唯一平常心を保っていたのは私とラファエルのみ。しかしロックは喜劇を見るような調子で振る舞い、ミールは微笑みを絶やさない。そんな状況下で最後の動画を流し始める。


『シューー……シューー……』

『さ、最後の調査記録……っ。何者かによる襲撃を受けて、同伴したSlavaスラヴァ JacobジャコブNibalニバル Barrandeバランドの二名は死亡』

『シューー……シューー……』 


 映し出されたのはゾーヤの顔。内側を映すようにスマホを両手で握りしめ、こちらを見つめてくる。至る所から聞こえてくるのはあの空気が漏れる音。

 

『い、一本道のはずだったのに、戻ったら帰り道がどこにもない状態です……っ。洞窟の形状も変わっていません……。なのに、どうして出口が……っ』

『シューー……シューー……』

『逃げ道は無し。奇妙な音が私を取り囲んでいる。一つだけでなく二つ三つ……いえ、数えきれないほどの、変な音が……っ』


 ゾーヤは恐怖に打ちひしがれているのか、小刻みに動画が震え、その瞳には涙を浮かべていた。


『『シューー……シューー……』』

『私は、恐らくもう助かりません……っ。だからせめて、他の人が救われるようにこの記録を撮り続けます……っ』

『『シューー……シューー……』』

『私たちを襲撃したナニカの正体は未だ不明……っ。習性からしても食屍鬼や吸血鬼ではありません。壁や天井の向こうを移動して姿を見せず、自分たちの餌場に引きずり込もうとするナニカ。私にはその生物が何なのか見当が──』


 そう言いかけ、ゾーヤは言葉を止める。聞こえてくるのは何かが迫って来るような重々しい足音。視線はスマホではなく別の方角に向けられ、恐怖心が更に高まったのか唇を震わせ始めた。


『シューーッ……シューーッ……』

『あっ……あぁあぁ……っ!』


 壁に背を付けながらぐったりとした様子で座り込むゾーヤ。だが最後まで調査記録を残そうとする意志を持ち、スマホは自身の方へ向けたままだった。


『シューーッ……シューーッ……』

『全長およそ二メートル、肉体はやや肥満気味、歩幅は大きく百センチ。上腕部にかけて胴回りにかけて四本の腕。やや筋肉質で牙のような刃が付着……っ』

『シューーッ……シューーッ……』

『頭部と腹部に捕食するための二つの口。食道から口外にかけて多数の蛇、種類はウサギの死骸に寄生していた新種と同等。奇妙な音の正体は食道から伸びる蛇の音だと判明。その巨体が小さな穴に潜り込めることから骨格を外す、もしくは骨格がないと予測』


 ゾーヤは震えながらも目前まで迫りくるナニカの外見を早口で語り続ける。私たちはただ黙ってその動画を見つめていると、ゾーヤは転がっている石をナニカに投げつけた。


『シューーッ……』

『真っ直ぐ私に向かってくることから五感はハッキリとしている模様。しかし投石には反応なし。視覚を持たないと踏まえ、聴覚、もしくは温度で獲物を探知していると予測』

『シューーッ』

『臭いは酷く爬虫類と酷似、繁殖するための生殖器は無し……っ! 皮膚の剥がれを確認、脱皮をした痕跡あり……っ! 恐らく生態系の変化によって生まれた蛇の変異体だと予測……っ! ごめんなさいお母さんお父さん、私まだ何もしてあげられてな──ッ』


 更に早口になりながら最後の言葉を言い切ろうとした瞬間、ナニカがゾーヤを連れ去り、スマホが地面へ落下する。そして暗闇の奥まで凄まじい勢いで引きずられていくゾーヤの姿を最期に映し、


「おー、これで全部見終わったな」


 動画はそこで停止した。ロックは感心しながら頷き、ラファエルたちの間では険悪な空気が流れ始める。


「ちょ、ちょっとねぇ……! やっぱり一回引き返した方がいいんじゃない!? これ、あたしらの想定超えてるでしょ!?」

「さ、賛成でやんす! おいらたちで手に負えるような化け物じゃないでやんすよ!」

「どうするんだエル? ……って団長に聞くよりミール嬢ちゃんに聞いた方がいいな」


 怯えながら訴えかけるベッキーとカスペル。引き返すべきか否かをハンヌはただ微笑むだけのミールへそう尋ねた。


「勿論このまま進みます♪」

「……はっ? マジで言ってんの?」

「大マジですよベッキーさん♪ 素敵な記録のおかげで大蛇の風穴をお掃除する甲斐があることも分かりましたし♪」

「ですがミール様。僕らが対処しきれないナニカが潜んでいると判明した以上、もう一度作戦を練り直す必要が……」


 動画とやらを本当に見ていたのか。そう問い詰めたくなるほどあっけらかんとした返答。ラファエルがミールへ反論しようとした時、周囲で小さな揺れが起きた。


「ゆ、揺れたでやんすね」

「おー、この動画とまったく一緒の展開じゃん。んならそろそろあの変な音が聞こえてくんじゃね?」

「へ、変なこと言うんじゃないわよ! こんなのただの偶然──」

「シュゥーー……シューー……」


 遠くから微かに聞こえてくる空気の漏れる音。動画とやらで聞いた音と酷似している、というよりまったく同じ類のもの。ベッキーは眉間にしわを寄せ、ロックに詰め寄った。


「ちょっとその変な板の動画止めなさいよ! もう流さなくてもいいでしょ!?」

「あ? 動画止まってんけど?」 

「……え?」


 詰め寄られたロックはスマホの画面を指差す。動画は再生されておらず、ただ画面が点灯しているのみ。その一言でベッキー以外の全員が顔をゆっくり風穴の奥へ向けた。


「シューーッ……シューーッ……」

「う、後ろからも来るでやんす!」

「ひ、ひぃいいぃいいぃッ!! か、囲まれてますよぉッ!?」

  

 後方からも聞こえてくるか細い音。カスペルとヤミが振り向くのを見て、私とロックは後方へと身体の向きを変えた。


「「シューーッ……シューーッ……」」

「みんな! ミール様を囲む陣形に変えるんだ!」


 ラファエルたちは騎士としての務めを果たすためにミールとヤミを守護するように囲む。その最中ロックは私の背後に回ると背中を預け、


「シューーッ……シューーッ……」

「相棒」

「……何だ?」

「俺の後ろ任せたわ」


 そう一言だけ声を掛けてから短刀の草薙を鞘から引き抜き、


「シューーッ……シューーッ……」

「あぁ」 


 私は鞘に手をかけて奇妙な音が木霊する穴を見据えつつ構えると、


「前だけ見てろ」


 壁の隙間やら穴から無数の蛇が喰らい付こうと一斉に飛び出した。

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