8:31 Pendulum ─ペンデュラム─


 貫かれたメデューサの核。連動するように何十メートル以上もの蛇の巨体が支える為の力を失えば、


(……仕留めたか)


 メデューサの肉体は紅色の花弁となって雪のように地上へ降り注ぐ。私とミールはクレスたちのそばに着地すると、時間を止められていたラミとロックが我に返った。


「……? ラミは今まで何をして……」

「んぁ? おー、勝ってんじゃん」


 ラミは状況が掴めずに自身の両手を見つめ、ロックはゆらゆら舞い落ちる紅色の花弁を見て勝利を収めたのだと悟る。


「……っ」


 鐘の呪印の力を解除すれば、肌の上に浮かんでいた黒い薔薇の模様は左脚の紋章へ吸収され、鐘鳴刀は鐘の音と共に粒子となって消えていく。

 残されたのは酷い倦怠感と鋭い頭痛。私はその場に片膝を突いて頭を押さえる。


「アレクシア……!」

「……お前は」

「ん? 俺の顔に何かついてるのか?」


 呼びかけてくるこの男の名前が思い出せない。思い出そうとするが、鋭い頭痛によってこの男に関する記憶を押さえ込まれる。それだけではなく先ほどまで何をしていたのか、私が何故ここにいるのか、私が誰なのかすら薄れていき、


「──ッ!!」

「うおっ!? 急にどうしたんだよ!?」


 咄嗟の判断で頭を振り上げ、地面へ額を思い切り叩きつけた。原因の頭痛を別の痛みで上書きさせ、どうにか記憶を呼び戻す。


「……気にするな」

「あ、あぁ、それならいいんだけどさ……」


 鐘の呪印。

 カムパナは人間性をマニアへ捧げた対価として呪印の力を得ていた。ならば今の私も同じ立場。鐘の呪印を発現が意味するのはマニアへ人間性を捧げること。捧げる人間性は恐らく──転生者としての記憶。

 鮮明となったのはむやみに鐘の呪印を発現させるべきではない事実。私は険しい顔をしたまま静かにその場で立ち上がる。 


「オネエちゃん……オネエちゃん……」 

「ん? この声って……」


 その最中に聞こえてくる少女の声。私とキリサメは顔を合わせ、少女の声のする方角へと歩き出す。


「ドコに……いるの……?」

「……大蛇か」


 そこに転がっていたのは血の眼の模様が浮かぶ大蛇。体長が数メートルはある大きな肉体をその場に転がせていた。私とキリサメはその大蛇がメデューサだとすぐに悟る。


「オネエちゃんっ……オネエちゃんっ……」


 姉を求めるように弱々しい声で呟くメデューサ。私は近くまで歩み寄ってからその場にしゃがみ込む。そして自分の指先を歯で斬ると大蛇の口の中に一滴だけ垂らした。


「キャアァアァアッ!? クルしい、カラダがアツいッ!」

「……小娘、Bathoryバートリ卿を知っているか?」

「バートリ……バートリ、オネエちゃん……?」


 大木のような肉体を痙攣させるメデューサ。バートリ卿の名を出せば僅かな反応を示す。私は傷を付けた指先をスパイラルで再生しつつ、メデューサの次なる言葉を待つことにした。


「そっか、オネエちゃんは……バートリオネエちゃんの、コドモなの?」

「あぁ」 

「バートリオネエちゃんは、シンじゃったよね?」

「確かに公爵デュークに始末されたが……妙に呑み込みが早いな」


 明確に『死んだ』と口にするメデューサ。私はその反応に眉を顰めて疑心を抱けば、メデューサは蛇の眼で私を見上げてきた。

 

「ワタシはイヤだって言ったもん……。ニンゲンの為に公爵オニイちゃんと戦うなんて、イヤだって」

「じゃあさ、メデューサもスキュラやスフィンクスと同じ反対派だったってことか?」

「ソウだよ。……だって、公爵オニイちゃんには絶対に勝てないもん。勝てないから、イヤだって言ったんだもん」

「なぜそこまで断言できる?」


 公爵には勝てない。はっきりと明言するメデューサにそう追求すれば、短針を一度だけ動かした後、弱々しい声で喋り出す。


「公爵は、生き物じゃ倒せない……。人でも吸血鬼でも、絶対に倒せない」

「……どういう意味だ?」

「近づいたら、何もできなくなっちゃう。イタイことしなくても、シャボン玉をコワセちゃうから」


 大蛇が大きな口を開くと覗かせたのは汚れや亀裂が目立つ木の古時計。古時計の長針から垂れるのは深緑の涙。


「時計? メデューサって、この蛇が本体じゃなかったのか……?」

「……らしいな」


 私はその涙を指先ですくい上げ、慣れたものだと口に含んだ。口内に広がるのは長い年月を過ごしてきた木材の風味と、世界にありふれた血の苦み。


「気を付けて。公爵とワタシの力は似てるけど、ゼンゼン違うもの。だから、オネエちゃんは公爵オニイちゃんと戦わないで……バートリオネエちゃんみたいに、シンじゃイヤだよ」


 飲み込んだ瞬間、更に酷くなる頭痛。私は片手で頭を押さえながら、大蛇の口の中にある古時計を見下ろす。


「まだ、お前に聞きたいことがある」

「なに? オネエちゃん?」

「残りの眷属があと四匹いるはずだ。その四匹はお前よりも腕が立つのか?」

「遊んだことないからワカンない。……でもTyphonテュポーンオニイちゃんとEchidnaエキドナオネエちゃんは、ワタシなんかよりずーっとツヨイよ」


 四匹のうち名が挙がったのは『Typhonテュポーン』と『Echidnaエキドナ』と呼ばれる二匹の眷属。キリサメも心当たりがあるのか、張り詰めた表情で息を呑んでいた。


「その二匹はどう腕が立つ?」

「……第一次だいいちじ終末聖戦しゅうまつせいせん、だっけ?」

「第一次終末聖戦? それは何の──」

「四年前、グローリアの統治者だったエゴン・アーネット、ディアナ・アーネットが最前線に立ち、ランドロス大陸の吸血鬼へ仕掛けた戦争だ」


 私が問いかけようとした時、後方からクレスが説明をしながら近づいてくる。その後方にはスノウやミールたちも控えていた。


「……テュポーンオニイちゃんとエキドナオネエちゃんはね、そのおっきな戦争で十戒をぜーんぶコワシタんだ」

「十戒を、二匹の眷属が全滅させたのか……?」

「うん、ソウダよ。原罪は見てただけ。ぜーんぶぜーんぶ、テュポーンオニイちゃんとエキドナオネエちゃんがコワシちゃった」


 眉を顰めて考え込むクレス。先代十戒であろうとも加護を与えられた身で敵わないことはないだろうと。そんなクレスを他所にキリサメはメデューサの前で屈んで、ゆっくりと口を開いた。


「なぁメデューサ。テュポーンとエキドナはどんな姿をしているんだ?」

「えっとネ、テュポーンオニイちゃんもエキドナオネエちゃんも……顔がツルツルしてて、おっきなおっきなニンゲンみたいだよ」 

「じゃあさ、どんな力を持ってるかは?」

「……二人が戦ってたとき、オシロにこもってたからワカンない。でも、お空はずっとピカピカ光ってた」

 

 心当たりがあるのかぼそっと「そういうことか」とキリサメは呟く。共鳴するように吹くのは前髪をかき分ける逆風。


「異例の首輪、何を理解したのですか?」

「実はテュポーンとエキドナに関する情報はないんだ。その二匹が出てくる前に、小説は打ち切りになったからさ」

「んじゃあ、そのなんちゃって連中の情報は真っ白ってことじゃん。相棒、そいつらと遭遇したらどーすんの?」

「……知らん」


 つまり最も厄介であろうテュポーンとエキドナとやらの情報は白紙。小説からは得られる情報が何もない。加えて十戒を葬れるほどの実力が備わっている。情報がない現状で対面すれば間違いなく詰みだ。


「ねぇメデューサ……あなたはこれからどうするの?」

「……ワカンないよ。もう原罪のところにもモドれないもん」


 ミールがメデューサの元まで静かに歩み寄ると、大蛇の口から覗かせた古時計に行く先を尋ねた。そんなミールへ不安を募らせたメデューサはそう返答する。


「あなたが良ければ……私のお城に来てみませんか?」

「ミ、ミミ、ミール様!? 何を仰って……!?」

「……ダメ、ミールオネエちゃん。そうやってワタシに優しくしたから、故郷のお城がコワレちゃったんだよ? だからまた同じことを繰り返しちゃダメ」


 暗い声でミールを拒むメデューサ。しかしミールは諦める様子もなく笑顔で右手を差し出した。


「では親戚のお姉ちゃんならどうですか? どこかでたまに会ってお話する程度なら大丈夫でしょう?」

「えっ? でも、ほんとに、いいの?」

「けどこれだけは約束してください。今度は誰も傷つけないって」 

「……うん、ありがとうミールオネエちゃん。ワタシ、約束を──」


 メデューサがそう言いかけた瞬間、北の方角から木々を掻き分けてくる群れ。鼓膜に伝わるのは昆虫類の羽音。

  

「──ミールオネエちゃん危ないっ!!」


 飛び出してくるのはバッタの集団。脳裏を過るのは草木類を跡形もなく喰らい尽くす災害の一つ飛蝗現象ひこうげんしょう。メデューサはミールを尻尾で押し退けた後、


「キャァアァアァァアッ!?!」

「メデューサ!」


 向かってくる飛蝗ひこうの群れに揉まれ悲鳴を上げた。日光が差し込む空すらも埋め尽くす量。数秒も経たずに空は覆い尽くされ、飛蝗ひこうの群れが過ぎ去れば、


「メデューサは、どこへ?」


 そこには何も残らない。大蛇の肉体もメデューサ本体である古時計も、跡形もなく喰らい尽くされてしまった。


「優しいね、久遠の春花さんは! 僕は大好きだけど私は嫌いかな?」


 姿を見せたのは少年か少女か判別が不可能な声と外見をした人物。桃色と白色が混ざる二色の短髪を揺らし、被っているのは背後にリボンが付いた黒のベレー帽。

 着ているものは制服であろう黒の衣服。履いているのは丈の短いズボンと白のタイツを履いている。


「じゃじゃーん! 僕と私は八ノ罪Noelleノエル Izzardイザードです! 皆さんに会うため遥々来ちゃいました!」

「貴様……無性むせいか」


 飛蝗ひこうの群れはノエルの周囲を飛び交いながら肉体に張り付いていく。身体の一部なのか、それとも別の存在なのか。見極めようとしたが目だけでは判断できない。

 

「久しぶりだね外道さん! 死体漁りはしてないみたいだね? 私が、僕が注意したから反省したのかな?」

「……よく喋る死体・・だな」

「あっはは、そこそこジョークが上手いね! ……僕も私も嫌いなジョークだけど」


 Noelleノエル Izzardイザード

 イザード家の始祖でもあり恐らくは原罪の一人。上っ面だけの愛想を振る舞いて私たちの前で堂々と姿を見せる。


「あれ、ロックさんもいる! やっほー、元気にしてた?」

「んぁ? 誰だよお前?」

「あははっ、忘れちゃったの? 僕と私とロックさんは『ミランダおばさんが胸を盛ってないか着替えを覗こうとした仲』でしょ?」


 ノエルに指を指されたロックは考える素振りをしばらく見せた後、思い出したと言わんばかりにぱちんっと指を鳴らした。


「あー、思い出したわお前ねお前。ノエルくんだかノエルちゃんだったか……まっどうでもいいや。んで、あのおばばは胸盛ってたんだっけ?」

「覗く前にバレたから実験体にされて詰み!」

「ふはっ、そういやそーだったわ──」

「下らん会話は後にしろ」


 過去の話で盛り上がるロックへ冷めた眼差しを送れば舌を出してから口を閉ざす。ノエルは軽い溜息を付くと視線を他所へと逸らした。


「……それにしても予想外だったなー! メデューサのお腹の中で、雪月花まとめて生き埋めにする計画だったのに!」

「俺らをまとめて生き埋めに……?」

「そうだよそうだよー! それに聞いてよねー? ニーナさんが『危険な異世界転生者』を殺し損ねたんだよ!」

「危険な異世界転生者……」


 クレスの呟きと共に私たちの注目を自然と集める先はキリサメ。ノエルの言葉を聞いたことでキリサメも半目になっていた。


「だーかーら! わざわざ外道さんを利用して地下まで誘導したのに……どうしてこうも上手くいかないのかな?」

「……! じゃあ、あの時廊下で俺に呼びかけたのはお前か……!」

「あははっ、それは僕じゃなくて私の方だね。でもどうしてか君たちはぜーんいん生き延びちゃって……雪月花も一つに戻りかけてる。これは僕と私たちにとってアクシデント──」


 ノエルの背後から予兆もなく姿を現す男性。頭にシルクハットを乗せ、白と黒が混じった長い髪を持ち、足首まで届く長いコートを羽織っていた。


「──ねっ、デニスさん?」

「……悪趣味あくしゅみか」

 

 パーキンス家の始祖であるDenisデニス Perkinsパーキンス。立場はノエルと同じく原罪。右手に握りしめた人間の心臓が何よりの証拠になる。


「というかさぁ? ほんとのほんとにデニスさんの災禍さいかは雪月花に効果があったの? 普通に共闘してたけど?」

「あったから、雪月花の瓦解が起きたのだろう。しかしどうして、断ち切れた関係を取り戻せてしまったのか。……あぁ、そうか、そういうことだったのか!」

 

 デニスは興奮のあまり握りしめていた心臓を握力で破裂させ、血塗れの右手をスノウへ伸ばす。


Angelusアンゲルス大陸、世界三大毒花の永久氷花えいきゅうひょうか……! 災禍を拒むため、心を凍らせた……!」

「……! なぜスノウ様の……!」

「興味深い、とても興味深い! 氷の皇女よ……その凍らせた心、私に見せてくれ!」


 スノウの過去について何かを知っているのか目を見開くルミ。デニスは左手でハサミを取り出して、スノウへと一歩ずつ前進したが、


「撃てぇッ!!」


 後方から甲高い少女の声が聞こえると東・西・北の方角から銃撃による掃射が始まった。弾丸に紛れているのは銀の杭。ノエルとデニスは避けることもせず、自身の肉体で何十発も受け止める。

 

「我が主ヘメラよ。我らは汝へ栄光を捧げ、汝より救いを授かりし者。我らが栄光を阻むは罪。我らへ汝の加護を与え給えば、我らが栄光なき罪人へ神弾しんだんを与え給おう──」


 私たちの後方から飛び出すのは小柄な体型の少女。リンカーネーションから支給されたであろう白の制服。

 黒のリボンを左右に一つずつ付いた長い金髪をなびかせ、胸元にある紅水晶ローズクォーツで作られた金糸雀カナリア色の十字架を右手で摘まみ、


「六ノ戒──りつノ加護」


 両手に銀を基調とした散弾銃を具現化させる。金髪の少女は黒鉄で装飾が施された銃口をデニスとノエルへ突きつけ、


「──BANGバン


 射るような目つきで両指で引き金を引き、二人の頭部を木端微塵に吹き飛ばした。ゆっくりと後方へ倒れる肉体。金髪の少女は返り血で白の制服が汚れることを気にせず、仰向けに倒れたノエルとデニスの胸元へ金糸雀カナリア色の杭を何発も撃ち込んだ。

 

「……っ! やはり本部からの情報に誤認はないようだな……!」


 確実に二人の心臓を貫いている……が、私たちの周囲を飛蝗ひこうが一斉に取り囲む。金髪の少女は私たちの元まで後退し、銃口を左右別々の方角へ向けた。


「あははっ、ほんと予定通りにいかないねデニスさん」

「いいや、そうとは限らない。結局、最後に予定調和をすれば──」


 瞬く間に肉体を再生させていくデニスとノエル。肉体に空けられた風穴も吹き飛ばされた頭部も何もかもが治癒してしまう。


「──すべて予定通りになるだろう」

「貴様ら下がれ! これは分断──」


 飛蝗ひこうが間に割り込むように飛び交い、意思疎通を図れないよう私たちを分断する。声は鼓膜を劈くほどの羽音でかき消され、飛蝗ひこうの壁の向こうに声は届かない。

  

「ハロー外道さん! 僕と私と仲良くする気はないのかな?」

「私が吸血鬼共の肩を持つはずないだろう」

「ならば悪党。私にお前の心臓を見せてくれ。転生者殺しの罪を擦り付けられ、傷んでしまった心が……どうなっているのか気になるのだ」

「……なら悪趣味、まずは貴様から心臓を見せろ」


 原罪共が最優先に始末しようと考えているのは私。その事実に『自身がキリサメよりも吸血鬼共の脅威となった』のだろうと考察を立て、右手に蒼色の獄炎を纏わせたのだが、


「アレクシア!」

「……お前もいたのか」


 キリサメが私の背後に立ってノエルと向かい合う。背中を預け合う隊形となれば、キリサメは白雷を溜めながら私へこう告げる。


「アレクシア、新しい血涙の力を使うんだ……!」

「この局面を覆せるのか?」

「それはやってみなきゃ分からないだろ!」

「……確かに、試す価値はあるか」


 私は蒼色の獄炎を収めてから慣れたように血涙の力へ意識を集中させた。紅く染まった左の瞳に浮かび上がるのは古時計の写像。長針も短針も秒針も停止したまま。


『オネエちゃん、ワタシの新しい名前はなに……?』


 脳内に映し出されるのはメデューサの本体である古時計。キリサメは私の左目を見てからノエルの方を睨みつける。


「アレクシア、その力の名前は──」


 古時計の長針と短針が延々と回り続ける光景。そんな光景がしばらく続いていたが、


「──Pendulumペンデュラムだ」

(……Pendulumペンデュラム

 

 新たな名を独白した瞬間、長針と短針がちょうど零時に重なると小さな鐘を鳴らす。


『うん、分かった。ワタシの名前はPendulumペンデュラム。新しいオネエちゃんの名前はAlexiaアレクシア オネエちゃん。ワタシも一緒に頑張るよ』


 傷んでいた古時計は新品同様の古時計へと姿を変えていく。そして再び零時から秒針を刻み始めた。

 

『オネエちゃん、ワタシは難しいこととかよくわからない……。とにかくワタシは、オネエちゃんの味方だからね』

(……そうか)

『でもお願いオネエちゃん……。バートリオネエちゃんみたいに公爵オニイちゃんと喧嘩はしないで。仲良くしようとしないで。だって何もしなかったときが──ワタシもみんなも幸せだったから』


 そして心の底から願うようなメデューサの一言と共に我に返ると、私は取り囲んでいた飛蝗ひこうたちを見渡し、


「──Pendulumペンデュラム


 小さな声で呟きながら指を一度だけ鳴らす。飛蝗ひこうたちの群れはあっという間に宙で停止し、羽音はピタッと鳴り止んだ。


「あっはは、外道さんは黒薔薇のクソみたいな呪印と血涙の二刀流なんだね!」

「……お前たちは黒薔薇十字団を認知しているのか?」

「当然だよー! 僕たちにとっていっっちばん邪魔な連中だからねー! ……って、そういえばありがとう外道さん! ネクロポリスのカムパナを殺してくれて! 僕も私も喜んでるよ!」


 律儀にお辞儀をして感謝の言葉を述べたノエル。しかしその上っ面だけの愛想によって不快感だけしか感じ取れない。


「黒薔薇のクソ共は僕たちの支配下に手を出してくるんだ! ちなみにネクロポリスもその一つで……ジェイクさんが困ってたんだよ!」

「なら白薔薇十字団は?」

「あははっ、敵だよ敵! 僕たちは僕たち以外とは手を組まないから! 僕たちはただ邪魔をするクソ共と危なそうなクソ共を消していくだけだし!」


 転生者が集った黒薔薇十字団と白薔薇十字団。特に黒薔薇十字団は吸血鬼共と裏で手を組んでいるのかと憶測を立てていたが、実際は敵同士らしい。


「だが貴様たちは異世界転生者と手を組んで──」

「素晴らしい。バートリ卿の血涙を継いだ心臓、この目で見てみたい。悪党、少しその胸を開かせて貰えないだろうか」


 私がそう言いかけた途端、被っている黒のシルクハットを足元へ落とすデニス。シルクハットから聞こえてくるのは女性の金切り声。カタカタと小刻みに揺れると内側から青白く細い手が無数に伸びてきた。


「悪趣味、助言を与えてやる」


 鋭利な爪が生えた手が寸前まで迫った瞬間、再度指を鳴らし青白い手の速度を遅延させる。そして停止した飛蝗ひこうの壁の向こうから投擲された長刀の叢雲を掴み、


「貴様は心を読む前に空気を読むべきだ」

「へぇ、これが抽象化された血涙の力かー!」


 もう一度指を鳴らせば、今度は私自身の速度を高速化させ、遅延させた無数の腕を一瞬で斬り捨てた。ノエルが興味深そうに不気味な笑みを浮かべると、一帯を吹雪が包み込み飛蝗ひこうの壁は氷壁へと変わる。


「原罪、あなたたちはこの世の理を揺るがす異例。この場で速やかに排除されるべき対象です」

「いいや、手は出さないでもらおうか氷の皇女殿。吸血鬼を始末するのは私たちの任務なのでね」


 氷壁を跡形もなく砕く散弾。向こう側の光景は銀の散弾銃を向けている金髪の少女。堂々とした態度でスノウに臆せず意見を述べると、両手に一丁ずつ握りしめた散弾銃の銃口をノエルとデニスに向ける。


「うーん、ここで予定調和はできなさそうだよデニスさん?」

「そうだろう。この場では難しい。だがしかしまだ予定を続ければいい」


 デニスが拾い上げた黒のシルクハットが逆さまになれば、雪崩のように溢れ出す人間の心臓。デニスは地面に転がった心臓を一つだけ拾い上げ、高らかに空へと掲げた。

 

「そっかそっか! じゃあとてつもない予定調和をしちゃお!」

「……予定調和?」

「あははっ、そうそう宣戦布告だよ!」


 私の返答にノエルは不敵な笑みを浮かべれば飛蝗ひこうで自身の周囲を漂わせる。


「明日の夜、Amonアモン AnorアノールAmonアモン Ithilイシルから吸血鬼の群れを進軍させる──君たち雪月花の国にね」

「──! お前、何を企んで……?」

「予定調和だって言ったでしょ? 元々雪月花の領地はすべて支配下に置くつもりだったし。ほら始めようよ、雪月花さんたち──第二次終末しゅうまつ聖戦せいせんを」


 第二次終末しゅうまつ聖戦せいせん。その名前を聞いた雪月花の三人は僅かに眉を顰めながらノエルとデニスを見据える。


「今日の夜でも良かったけど……僕と私が優しいから準備期間をあげたよ! 僕と私にたくさん感謝してほしいな!」

「準備期間……? 一日あるかないかじゃ……」

「あぁでもこれだけは覚えておいてね。今日は程々に優しくしてあげたけど──」


 ミールが険しい顔を浮かべている最中、ノエルは愛想よく振る舞いながら笑顔で説明したが、


「──次は僕も私も君たちを皆殺しにするから」  


 最後に冷徹な一面を覗かせた後、飛蝗ひこうの群れに包み込まれ、デニスと共に姿を消してしまう。原罪が姿を消せば、辺りの視界は見る見るうちに開けていく。


「明日の夜に、第二次終末聖戦か……。キャンセルはしてくれなさそうだな」

「兄様、姉様、私たち雪月花に勝機はあるのでしょうか? アモンイシルとアモンアノールの戦力は計り知れません。そこにもし増援として原罪たちも加わったら──」

「クレス、ミール、泣き言を漏らすのはそこまでです。故郷はこちらから奪還する為、水面下で準備は進めていました。その時期が少し早まっただけのこと」


 不安を募らせるクレスとミール、そしてルミを含めた使用人たち。しかしスノウは特に焦る様子も見せず、クレスたちを一喝する。


「第二次終末聖戦……ふっ、おもしろい。ならば我々も一肌脱ごうではないか──」

「誰だお前は?」


 割り込んでくる金髪の少女。私が言葉を遮りながら誰なのかを尋ねれば、金髪の少女はその場に硬直してしまう。クレスは溜息を付くと私に金髪の少女をこう紹介をした。


「その人は六ノ戒Ellenaエレナ Oliverオリヴァーだ。前に『吸血鬼共の情勢を調査したい』とアダールランバを尋ねてきた」

「……やはり十戒か。その女が何故ここにいる?」

「お引き取り願ったからだ。騎士団はリンカーネーションを酷く嫌っている。揉め事を起こされたくなかった。てっきり姉さんかミールの方へ出向いたと思ったが……」


 クレスがスノウとミールへ顔を向けるとほぼ同時に視線を逸らす。後ろめたいことでもあると察したのか、クレスは半目になって小首を傾げた。静まり返る空気の中、ルミは申し訳なさそうに一歩だけ足を前に踏み出す。


「クレス様、大変申し上げにくいのですが……スノウ様はエレナ様との面会を拒否されました」

「面会拒否だって? その理由は?」

「その、ですね……。『今は顔を合わせる気分ではない』と」

「はっ?」


 クレスは思わず声を漏らしスノウを見つめるが、頑なに視線を合わせようとせず、そのまま他所を向いていた。


「兄様、私はその……」

「どうせ面会拒否をしたんだろう? 理由だけでも聞かせてくれ」 

「その週は徹夜続きで眠れていなくて……。つい寝ぼけたまま帰って貰うようヤミちゃんに……」

「ははっ、お茶目だなミールは」


 乾いた笑い声を上げたクレスは右頬を引き攣って苛立つエレナの様子を窺う。私は顔を合わせることがなかったワケに納得すると腕を組んだ。


「お前は門前払いされた結果……。放浪者になったというわけか」

「誰に向かって口を利いている貴様? 空っぽの脳味噌をBANGバンされて鉛玉を詰め込まれたいのか?」

「お前の立場など知らん。私は事実を述べただけだ」


 詰め寄ってこちらを見上げてくるエレナ。私は苛立ちを隠せていない童顔を見下ろし淡々とそう返答した。


「これは驚きましたよ雪月花殿? 礼儀の『れ』の文字も知らぬ無知で、命知らずな、愚か者が、騎士団へ入団できるとは」

「……『罵倒を覚えた赤子』でも十戒になれるのか」

「何だと貴様──」

「てかさ、どーでもいい喧嘩しててもいいわけ? 明日の夜、なんちゃら聖戦なんじゃねぇの?」


 掴みかかろうとしたエレナはロックにそう言われるとハッとした様子で我に返り、苛立ちを胸の内に抑え込む。 


「こほんっ、これは失礼した。では同志諸君、死闘を乗り越えた群雄たちを本国まで丁重に引率せよ!」 


 エレナの掛け声に草陰や木々から続々と姿を現すのは黒の制服を着たリンカーネーション。メデューサや原罪との死闘を終えた私たちは肩の荷を下ろし、エレナの部下たちによって引率されることとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る